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春来ぬと、目にはさやかに見えねども

気軽に即時的に連絡を取り合える現代において、読書・作文指導の課題の作文が届くのを待つ気持ちって、文通相手からの返信を待つようなわくわくと待ち遠しさが相まった、時間差があるゆえのじれったさと楽しみがあります。

そして、それを受け取ったとき、自然と口角が上がってにやにやしている自分がいて、本当に人の書いた作文を読むのが好きだねぇ、としみじみ思います。

言葉として出ているものは、その人の気持ちを表すものとしては氷山の一角で、その目印となる氷山のような表現からどんな気持ちを湧き上がらせながら書いたのだろうとあれこれ考えたり、その人の字をじぃーっと眺めてみたりする時間が、今は何より至福です。

僕自身の生活のリズムや流れに、ダイナミクスがついたようで、その緩急や幅のおかげか、なんだか日の過ぎるのが遅いのです。

これまでの生活が充実していなかった、ということではないはずなのですが。ある意味日々の生活は繰り返す部分があって、そういう何かを反復しているときって、リズムに乗って取り組んでいくことでスムーズに過ぎ去っていくので、スピードとしてはきれいに流れていくように感じるのだと思います。

それが、この読書・作文指導をはじめてから、出会う人たち、読む文章、対話の時間を含めて、僕にとってものすごく濃密で心を揺さぶることがたくさんあるようで、数日前のことが遠い昔のことのような、でも鮮明に自分の中に息づいているという確固たる体感もあるのです。

これはきっと、いろんな人とお話したり、本や文章を通してつながったり対話したりすることで、いろんな変容が起こっているのだと思います。

3月になり春めいてきた中で、ちょうど生き物の息吹がそこかしこから聞こえてくるような、まだ目には見えないけど、木の幹から今にも芽吹いてくるんじゃないか、土からかえるが顔を出すんじゃないかというような、規則的な生活の中に何かが生まれ出てくるのではないかという予感を持ちつつ過ごしている。そんな日々の中にいます。

あしたは、これまで個別対話メインだったところが、はじめて複数で一緒に語る対話の時間になります。三人寄れば文殊の知恵。

明日が楽しみです!

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