【フルダイ自己紹介】 ネットの海に飛び込んだ、未だ無名の大学生。
こんにちは。フルダイです。
今日は改めて自己紹介をしたいと思います。
まずタイトルについてひとこと。
自分が敬愛するブロガーであるトーマスさんの自己紹介記事【トーマスガジェマガ自己紹介】逃げることに全力の人生。を意識してタイトルをつけたところ、なんだかカッコつけたイタい感じになってしまいました。ご了承ください。
※本記事はひたすら自分語りをします。かなり長いです。
最後までお付き合い…してくださる方は少数だと思うので、目次をみて気になったところだけでも見てみてください。
基本情報
性別…男
年齢…18歳(2002年生まれ)
出身…山梨県
所在…神奈川県横浜市
所属…横浜国立大学経済学部1年
年齢
まず年齢について。2002年生まれ。歳は19。来年は成人式がある。
つまり、実質今年(2021年)が10代最後の年だ。
孫正義さんの有名な言葉で、「今の全財産を出してでも20代の若さを買いたい」というのがある。
また、かの松下幸之助もその晩年に同じことを話している。
このように、若さというものはどうやら貴重らしい。若さの大切さは歳をそってみないと分からないが、歳を取るともう若い頃には戻れない。
だから、毎日を大切に、今しかできないこと、今だからこそできること、それに集中して残り1年を過ごしたい。
出身
出身は山梨県。生まれてから高校時代まで、ずっと山梨の地で生きてきた。
生まれ育った場所は、「ど田舎」というほどではないが、自然に恵まれたいいところだった。家の前は桃畑が広がっていたし、15分ほど自転車をこぐと山に行けた。綺麗な川も流れていた。
中学までは家の近くが行動範囲だったが、高校生になって、甲府の方の高校に通うことになったため行動範囲が広がった。電車で通学していたが、それでも見える景色は変わらなかった。相変わらず人がいなくて、自然が豊かだった。
山梨を離れて一年近く経つが、これまで山梨で過ごすことができて、本当に良かったと思っている。今でもときどき山梨に帰りたくなるが、お金がないため帰れない(横浜からだと4000円ほどかかる)。
文字だけ続くのもつまらないと思うので、写真も載せようと思う。
甲府駅近くの愛宕山から撮った写真。
実家近くの広場。普段はだれもいない。
フルーツ公園から見た甲府盆地の景色。夜景はもっと綺麗。
友人と学校をサボって昇仙峡に行ったときの写真。
川の水がすごく綺麗だった。
こんな感じ。とにかく、山梨を一言で表すとしたら「自然以外なにもないところ」だ。
大学
大学は横浜国立大学。経済学部1年。
通称「横国」。有名人でいうと、YouTuberのスーツさんやゆきりぬさん、それとタレントの福田萌さん(中田敦彦さんのお嫁さん)などがあげられるだろう。
横国の特徴について話したいが、自分はまだ2,3回しか大学に足を運んだことがないため、語ることがない。でも、数回しか足を運んだことがない自分で断言できるのが、「横国はほぼ森」ということだ。
「横浜」という名前からして、キャンパスはみなとみらいを彷彿させるような都会的でオシャレなものだと想像して行ってみたら、ただの山だった。
これは横国を語る上では外せないエピソード。
この他にも、駅からのアクセスが悪いことも有名。実際自分も最寄り駅(相鉄線上星川駅)から徒歩で大学まで行ったことがあるが、想像以上に坂が急で驚いた。
しかし、一応横国はれっきとした国立大学なので、ある程度の学力は世間に認められている。実際、自分もバイト先で大学名を言うと、少し驚かれる。かといって東大や早稲田大のような一流大学に比べるとやはり学力は劣るため、横国だからといって偉ぶることは決してできない。
そんな、少し中途半端な立ち位置にあるのがこの横浜国大。
今までの人生
次に、自分のこれまでの人生についてざっくりと振り返りたい。
最初に述べたように、今回はただの自分語りだ。「誰得」というツッコミはなしで、聞いてもらいたい。
【幼年時代】両親の離婚と貧しい暮らし
両親が離婚したのが、自分が5歳の頃。正直当時のことはほとんど覚えていない。父親の顔も、実家の様子も。
ただ、山梨の中でも特に田舎の場所に住んでいたことは覚えている。それと、ボクシーというワゴン車を所有していたことも覚えている。
山梨を離れるに際して、自分が幼年時代住んでいた場所に連れて行ってもらった。本当になにもない「ど田舎」で、コンビニすら見当たらなかったほどだった。
母は僕と兄を連れて、少し離れた団地に引っ越した。母曰く、家賃は3万円だったそうだ。当時の様子はうっすら覚えている。家の中がすごく散らかっていた記憶が強い。
正直その団地にはいいイメージがない。住んでいる人も、なんだかいい人が少なかった。
流行っていたカードゲームでズルが横行していたり、自分の場合ゲーム機が誰かに盗まれたこともあった。
とにかく、引っ越した直後は本当に貧乏で、しばらく電子レンジ(か冷蔵庫)が買えなかったそうだ。
母は飲食店で毎日働いていて、幼稚園の迎えはいつも遅かった。母の代わりに同じ職場の方が迎えに来てくれたこともあった。
2年ほど経って、徐々に生活が安定してきたため、今度は別のアパートに引っ越した。
【小学生時代】毎日が夢のように楽しかった
(小4の頃の自分。3DSのカメラロールに保存されていた。なにを食べているのだろう。)
引っ越したのが、小学2年の頃。引っ越したあとは、ガラリと環境が変わった、煩わしい団地ではなく、静かなアパートに引っ越すことができた。
小学校を転校するのは正直抵抗感があったが、新しい学校にもすぐに慣れた。本当に小学生時代は楽しい思い出しかない。とにかく友達と遊びまくった。
小学生時代楽しかった思い出は数え切れないくらいあるが、その中でも特に印象的な出来事を書いてみる。
デュエルマスターズ
(これは実際に自分が作ったデッキ。切り札は「勝利宣言 鬼丸 覇(ヘッド)」。)
通称「デュエマ」。カードゲームの一種。確か、小学校3,4年の時に特に流行った気がする。
人それぞれ個性のあるデッキだった。光文明で固めるやつ(切り札はシルヴァーグローリー)、闇文明で固めるやつ(ドルバロム)、ドラゴンデッキの人(コッコルピア)…今でもありありと思い出される。
ちなみに自分は、シールドトリガーをたくさん入れた多色デッキだった。自分の学校は「マナゾーンに同じ文明のカードがなくても召喚できる」というとんでもないローカルルールがあったため、文明を揃える必要がなかった。
__すみません。知らない人には何の話かわからなかったですね。
とにかく、学校から帰ったら友達とデュエマをし、家に帰ったらデッキの構成を練る…そんな日々を送っていたのがこの頃。
橋の下の秘密基地
(秘密基地の跡地。撮影したのは一年前。)
忘れもしない2012年9月3日。台風の日。自分たちは川の近くで遊んでいて、そばにとめた自転車を見つけた住民によって学校に連絡が渡り、こっぴどく叱られた。
そのとき自分たちは、橋の下で火遊びをしていた。
家の近くに大きい橋があって、その隙間に、誰にも見られないような空間があった。文章にするのはすごく難しいが、ホームレスが住みつきそうな、そんなイメージの場所だ。
小学生というものは秘密基地に強い憧れを抱く。竹やぶの中、山の中、スーパーの裏など、当時の僕たちは拠点を探していて、最終的にたどりついたのが橋の下。
雨風がしのげて、人にも見られない。山や竹やぶと違って、虫もでない。しかし、光が足りなかった。色々懐中電灯やライトを買ってみたものの、電源がない野外だと限界があります。
そこで自分たちが手を付けたのが、「火」。最初は罪悪感があって、小さなろうそくに火を灯すだけだったが、徐々にエスカレートしていった。火事などの大事には至らなかったものの、それがバレたときは本当に大人たちに怒られた。
(当時の写真が奇跡的に残っていた。岩でかまど的なものを作り、そこを皆で囲って炎を見つめていた。)
確か、校長室まで行ったほど。
その事件があってから、徐々に秘密基地の文化はなくなっていったが、そこでの思い出はたくさんある。
ポーカーで賭けをしたり(通貨は1円硬貨)、クリープハイプの曲をみんなで聞いたり、近くのコンビニで買ったカップ麺を食べたり、、、あそこは本当に居心地がよかった。
他にも数え切れないくらい思い出はあるが、とにかく「友達と遊びまくった小学生時代が一番楽しかった」という話だ。
【中学生時代】空白の2年半
(中学時代、友達のいない自分は文房具がとても好きだった。)
次に中学時代。正直入学してからの2年半は、これといった思い出がない。部活もつまらなかったし、小学生時代のような本気で打ち解ける友人もできなかった。そんなふうに、特に思い出がない中学生の時期を「空白の2年半」と呼んでいる。
2年半、つまり、中学3年生の前半までが空白の期間。中3の後半は、とにかく濃い日々だった。
中3の夏、自分ははじめて塾に入った。その塾がまあ厳しい塾で、本当に勉強漬けの日々を送った。その塾は一人の女性の先生が仕切っていたのだが、その先生が本当に怖い人だった。
自分は何度も怒られて、直前期は毎週のように泣いていた。正直、勉強をさせるために怒っているのではなく、ただ単に精神力を鍛えるために怒っていたとしか考えられない。
それでも、勉強のやり方はすごく理にかなっていた。集団授業ではなく、映像授業だったので、苦手分野だけ授業を見たり、倍速で見たりと、かなり効率的に学習をすすめることができたと思う。
結果的に、県内でも割と頭がいい方の高校に進学できた。この塾に行ってなかったら、自分は家から近い高校に適当に進学して、大学受験もうまくいっていなかったかもしれない。
【高校時代】受験勉強に捧げた日々
(2018年9月に撮影。当時は狂ったように受験参考書を被写体に写真を撮りまくっていた。それだけ参考書への思い入れが強かったのだろう。)
【高1】武田塾チャンネルとの出会い
(元武田塾御茶ノ水本校塾長の太田先生から頂いたメッセージ。高2の夏休み、わざわざ東京に出向いて武田塾に足を運んだ。)
さて、無事高校に受かることができた自分。通っていた塾を辞めて、開放感に浸っていた。とにかく「もうあの先生から怒られることはない」そういう気持ちでいた。
そのため、勉強をすること自体に全く抵抗感がなくなっていた。むしろ、先生に怒られることなく自分で自由に勉強できる、そのことに喜びを感じていたほど。
また、塾で勉強の仕方も一通り学んでいたので、スムーズに大学受験の勉強に取り掛かることができた。
自分は楽そうな文化部に入部し、高1から図書館に通い始めた。
大学受験の勉強を意識し始めたのは高1の夏。そのきっかけが「武田塾チャンネル」。
武田塾とは、参考書学習をベースに受験勉強を指導する塾。このチャンネルではどういうふうに参考書学習をして成績を上げるか、どういう参考書を使えば良いのかなどを解説している。
ぼくはこの武田塾チャンネルを見て、「参考書を使った独学での受験勉強」にコミットすることを決心。それから、学校の勉強を無視して、自分のペースで受験勉強をすするようになった。
実際に武田塾には入塾しなかったが、そのYouTube動画は大いに参考にさせてもらった。
学校が嫌で仕方がなかった高2
(高2の終わり、荒川ダムまでサイクリングしたときの写真。当時はとにかく学校が嫌いで、よく休んでいた。)
この「学校の勉強を無視して」というのが重要で、当時の自分は学校の勉強に時間を費やすくらいなら自分の参考書をやりたかったので、本当に授業とかが嫌だった。
授業中はよく内職して先生に怒られたし、学校を休んで図書館に行くこともあった。また、一時期は高校を辞めて、高卒認定をとって完全独力でやっていこうと思っていた時期も。それが高2の中頃。
毎日昼休み、友人に「俺は高校を辞めて、すき家でバイトしながら独りで勉強する」そんなことを本気で話していた。
結局色んな人に反対されて、退学は断念したが、今思うと辞めなくて本当に良かった。心からそう感じる。
「受験は団体戦」という言葉は、かなり物議を醸すワードである。
自分も最初「受験も受験勉強も独りでするもの。なにが団体戦だ。」と批判的に捉えていたが、実際に受験を経験してみて、この言葉の意味が分かった。
受験をともに戦う仲間がいることは、心からの励みになる。自分も、毎日のようにある友人と一緒に学校から出て、真っ先に図書館に向かっていた。
仲間と一緒に受験勉強ができて、本当に良かった。
高3、センター試験での失敗と挫折
(センター試験の自己採点のメモ。当時震えながらこの文字を打ったのを覚えている。)
高3になると、周りの人も徐々に受験勉強のモードになって、先生たちも課題などを過度に強制しなくなったので、2年の頃よりは穏やかに勉強することができた。当時の志望校は一橋大学で、ずっとそこに向けて勉強していた。
自慢ではないが、模試では一橋A判定を取れるほど学力はついた。文系だと学年1位を取ったりもしていたので、先生方からも少なからず期待はされていたと思う。
万全に準備をして、迎えたセンター試験。結果は83%。自分の中では失敗だった。
これが相当ショックで、そのまま自信を失ってしまい、結局受験校を横浜国大に変えた…こんなストーリー。
さて、ここからのぼくの人生については下の動画で語っているので、続きはこちらで。キーボードを打つ手が疲れたので、一旦ここでぼくの人生に関する執筆は終わります。
今・そしてこれからの自分について
さて、これまでは「今までの」自分について語りましたが、この章では「今」と「未来」にフォーカスを当てて話していきたい。
今の自分
「やりたいこと」が明確になった今
この1年、自分はオンライン授業で独り自室にこもり、大学生活を送ってきた。同級生と話さず、友達とも遊ばず、引きこもりの生活を続けてきた中で、自分について色々と考えることができた。
自分は何者なのか
なにが好きで、なにが嫌いなのか
どういう人生にしたいのか
こういうことを毎日考えているうちに、徐々に自分についての理解が深まってきた。ぼくはクリエイターとして生きていきたい。
現在はブログとYouTubeでの発信活動にコミットしている。
実際、一日の大半を創造する時間に当てている。というのも、オンライン授業だと自分の時間がたくさんあるので、それだけ好きなことに費やせる。余計な人間関係もない。正直今の生活は本当に楽しい。
しかし、良いことばかりではない。自分はあくまで大学生。本業は大学での学習と研究。今の自分は学業をおろそかにしすぎている。実際、危うい単位はいくつもある。そろそろ取り掛からないと、本当に単位を落としてしまう…
だから、勉強せねば。でもブログやYouTubeが楽しすぎて手がつけられない。
これがざっくりとした今の状況。
また、発信活動をしてもなかなか伸びないことも目下の悩み。YouTubeチャンネルに関しても、まだ登録者数は96人(2021/02/22時点)。コンテンツを作っても、見てくれる(読んでくれる)人が少ないことはやはり辛い。
しかし、誰でも最初は0人からスタートする。報われない今だけを見るのではなく、長期的な視点をもって動画投稿をするよう心がけている。数カ月後、数年後には、きっと違って景色が見えるはず。
それを信じて今日も創作活動をしている。
『ネットの海に飛び込んだ、未だ無名の大学生』というサブタイトルにしたのはこういう今の自分を表現したから。
さて、次はこれからの話をしていきたいと思う。
これからの自分
先程、「やりたいことが明確になった」と話したが、これからはこの「やりたいこと」で生きていけるように、自分の力を磨いていきたいと思う。
理想は、時間や場所に縛られず、好きなことを発信して生きていくこと。できることなら山梨に帰って、その自然を満喫しながら活動していきたい。
このように、好きなことをするだけではなく、すきなことで生きているようになりたい。
そのためには、無数の改善点がある。日々それを改善して、いつかは有名なインフルエンサーさんのような、成功者になりたい。
それを夢見て、今日も地道に作業する。
以上、無名の大学生が夢を語りました。
以下では、その他自分が紹介したいことについてざっくばらんに話していきます。
YouTube
YouTubeは2020年12月11日にはじめて、登録者が97人(2021/02/22時点)。
「意識高い系大学生の日常」をテーマに、日々の自己研鑽の様子やビジネスの話、生活改善情報などを発信しています。テキストでは表現できないところまで知れると思うので、気になる方はこちらから遊びに来てください。
ブログ
次にブログ。始めたのは今年(2021年)の1月8日。
自分は現在、『Life with Apple』というApple製品の情報を中心にしたブログを運営しています。
「すべてのAppleファンに捧げるブログ」というサブタイトルの通り、Apple製品についての魅力や、最新ニュースなどを発信しています。未だpv数は少なく、記事のクオリティもまだまだですが、これから改善していきます。
note
この記事自体をnoteで投稿しているので紹介しようか迷いましたが、一応。
noteは去年の6月に始めました。現在フォロワーは200人くらい。明確なテーマは決まっていませんが、YouTubeのことや大学生活の話がメインです。
noteは先に述べたブログと違って、自分が書きたいことを自分のペースで書いていこうと思っています。これからもよろしくお願いします。
Twitterのアカウントは2つあります。日常垢(@fulldai_lifelog)とガジェット(@fulldai_gadget)垢。
フォロワーは日常垢が100人。ガジェット垢が170人くらい。影響力はまだかなり小さいですね。正直に言うと、Twitterには全く力を入れていません。なんだかTwitter発信は自分には合わないようです。
座右の書
次に、自分がバイブルにしている本を数冊紹介します。
嫌われる勇気
発売されて6年近く経っている今でも根強い人気を誇るベストセラー。
フロイト・ユングに次ぐ「心理学の巨匠」の一人であるアルフレッド・アドラーの教えをわかりやすく解説している本。生きづらさを感じる現代人に向けて、幸せになれる思考法を教えてくれます。
自分の中では、「課題の分離」と「原因論の否定」の内容が特に意識していること。
課題の分離
課題の分離とは、簡単に言うと「ある物事の結果を最終的に受けるのは誰か」という基準で物事を判断していくこと。これをすることで、驚くほど世界がシンプルになり、本当に大切なものに意識を集中できます。
原因論の否定
過去の結果として今がある、という原因をアドラーは否定します。すなわち、原因論ではなく目的論に従って人は行動しているということ。例えば、過去にいじめがあって学校にいけなくなってしまった生徒がいるとする。普通だったら、いじめという原因があったから不登校という「今」がある、と考えます。
しかしアドラーの目的論で考えると、その生徒は「人と会いたくない」などの目的を遂行するために「いじめ」という過去を利用しているとなります。
目的論から、アドラーはなにを言いたいのかと言うと、「今の行動を決めているのは過去ではなく自分自身だ」ということ。目的論という考え方にシフトすると、過去に囚われずに生きていくことができる。
他にも目からウロコの考え方がたくさん書かれています。まだ読んでいない方はぜひ読んでみてください。
人を動かす
これまだベストセラー。初版は1937年。
一言でいうと「良好な人間関係を築くための原則が書かれた本」。書店に行くと今はコミュニケーションに関する本がたくさん並んでいますが、正直これ一冊読めば十分だと思う。
自分自身コミュニケーションに関する本は少なからず読んできたが、本質はどれも変わらない。結局は「相手の重要感を満たすこと」これに尽きる。
批判をしない
笑顔を見せる
名前を呼ぶ
誠実な関心を寄せる
適切に褒める
などなど、シンプルかつ具体的な内容。この中でも「誠実な関心を寄せる」と「批判をしない」に関しては自分自身の行動にまで落とし込めたと自負しております。
永遠の0
これも超有名。
先に上げたような自己啓発本と違ってこれは小説ですが、高1の頃に初めて読みましたが、自分の人格形成に最も影響をもたらした本がこれです。
簡単に言うと、戦争を戦い抜いた男の物語なのですが、その主人公である宮部久蔵が自分にとって本当に魅力的なんです。
部下に対しても礼儀正しくふるまう誠実さ・日々の鍛錬を怠らない気概・それでいて操縦に関してはプロフェッショナル…
また、他者に批判されても自分の生き様を曲げない姿も印象的。
宮部久蔵の生き様だけでなく、戦争という極限状態での様子がリアルに描かれていて、戦争のない現代にいる自分がいかに幸せかを実感できます。「強く生きよう」そう感じさせてくれるのがこの本。
好きな映画
自分は普段映画を見ないのですが、好きな映画が3本あります。
ショーシャンクの空に
1994年公開のアメリカ映画。刑務所内の人間関係を通して、免罪によって投獄された有能な銀行員アンドリュー・デュフレーンが、腐敗した刑務所の中でも希望を捨てずに生き抜いていくというストーリー。
この映画は、何度でも見返したくなります。それくらい、何度見ても感動する作品。感動と言っても、涙が出るような感動ということではなく、晴れやかな気分になるという意味での感動。
冤罪で刑務所に入れられた主人公ですが、その中でも希望を捨てずに生きていく様子に心を打たれます。また、ラストシーンが特に良い。ネタバレなので言えませんが、ラストは圧巻です。
綺麗な女優さんや、刺激的なバトルシーンもない一見平凡な映画ですが、シーン一つ一つに意味があって、それを考えるのが楽しいです。
永遠の0
またです。永遠の0は小説。映画ともに好きな作品です。
主人公を演じているのは岡田准一さんです。この岡田さんの演技が本当に素晴らしい。誠実で、努力家で、プロフェッショナルな宮部久蔵の人となりを最高に表現しています。
サザンオールスターズの主題歌とのマッチもいいです。
宮部久蔵が、夜中に皆が見ていないところで過酷なトレーニングをしていた、というシーンがあります。
一時期はそんな岡田さんの演じる宮部久蔵に憧れて、夜暗い中一人で鍛錬をしていました(高1の頃)。真っ暗な公園で独り腕立て伏せをしていた自分は、はたから見たらおかしい人だったと思います。
今思うと山梨という田舎だからこそできたことですね。
La La Land
2016年公開のハリウッド映画。女優志望のミア(エマ・ストーン)とピアニストのセブ(ライアン・ゴズリング)との恋愛をえがいたミュージカル映画。
この映画、好きな点が2つ。画と音楽。
ロサンゼルスが舞台なのですが、そこでの街の様子がすごく幻想的で美しい。「異国情緒溢れる」とはまさにこのこと。どのシーンを切り取っても、お洒落さを感じます。
そして、音楽。この映画は途中途中で音楽が挟まれるのですが、この音楽が自分はすごく好きなんです。初めて見たのが去年の7月で、それから定期的に脳内で流れているのがラ・ラ・ランドのサウンドトラック。
多分、今後もしばらくはイヤーワームとして頭の中に残ると思います。
好きなアーティスト
https://www.m-on-music.jp/0000092860/より引用
自分が好きなアーティストや曲はたくさんありますが、その中でもずば抜けて自分がよく聴くアーティストがいます。
それが、クリープハイプというバンド。
クリープハイプは自分が小4の頃から聴いています。本当に、自分の青春時代はクリープハイプなしでは語れません。
『ラブホテル』。小4の頃、ある友人(H君と呼びます)からこの曲を紹介されたのがクリープハイプとの出逢い。今でも覚えています。小学校の理科室で次の授業を待っているときのことでした。
H「フルダイ、クリープハイプって知ってる?」
自分「知らない。」
H「クリープハイプっていうバンドがあるんだけど、このラブホテルって曲の歌詞が面白くてさ、
”そんなつもりじゃなったんだけどとかいまさら言われても、困るよ”
とかいまさら言われても困るよ…
っていう歌詞!おもろくね?」
この会話がきっかけでクリープハイプを聴くようになりました。
秘密基地ではよくクリープハイプの曲が流れていて、ウォークマンを囲みながら友達と聴いていました。(秘密基地に関しては本記事の「小学生時代」の欄を参照)
また、高校受験、大学受験のときもクリープハイプの曲に助けられました。特に『破花』という曲が印象的。
歌詞の一部を引用します。
先が尖ってる芯が少しずつ丸くなる
真っ白な気持ちは書いた分だけ黒くなる
【問】いつかの為の毎日に 何の意味があるんだろう
心の中の得体の知れない何かを書き出せ
【答】ずっと吸ってばかりだった だから苦しくなるんだろう
大きく深く吐き出す
どうして どうして どうして どうして どうして疑う事で何か始まる
どうして どうして どうして どうして
信じる者は足を掬われる
白紙の海泳ぐ黒い線にいつか
真っ赤な花が咲くその日まで
白紙の海泳ぐ黒い線にいつか
真っ赤な花が咲くその日まで通して
道に迷った分だけ範囲は狭くなる
後悔だらけの間違いを消した分だけ黒くなる
動き出した君の歴史 いつも今日に答えがある
動き出した君の歴史 いつも今日が答えになる
動き出した君の歴史 いつも今日が答えになるから
このように、受験勉強と少し重なる部分がありますよね(太字の部分)。この歌詞の中でも自分が一番好きなのが、「動き出した君の歴史 いつも今日が答えになる」というフレーズ。
なにか不安なことがあったり、うまくいかないことがあるとき、自分はこの曲を聴きます。そうすると、なにが起きてもそれを受け入れる勇気がわいてくるんです。
なにが起こったとしても、それが自分の歴史の「答え」になるから、なにも間違っていない、と。
ちょっとクサイ表現になってしまいましたが、決して誇張はしていません。クリープハイプは、自分の人生に思い出と、友情と、勇気とを与えてくれたアーティストです。
好きな漫画・アニメ
(言わずとしれた進撃の巨人タイトル回収の場面。はじめて読んだときは震え上がった。)
自分は普段そこまでアニメや漫画を見ませんが、唯一と言っていいほど好きな作品があります。
それが、『進撃の巨人』。
自分がこの漫画を読み始めたのは、高2の冬。ある友人が進撃の巨人のエンディングがヤバかったという話をしていたのがきっかけです。
この特殊エンディング、結構ヤバいです(語彙力)。自分もはじめて見たときはどういう状況か全く分かりませんでしたが、とりあえず「ヤバいエンディング」であることは理解できました。
それから進撃を読みはじめ、あっという間にその魅力に取り憑かれました。学校でも休み時間に読んでいたり、他の友だちに貸したりして進撃の巨人を布教していました。
『進撃の巨人』は残酷な漫画ですが、色々な教訓が含まれていたり、伏線回収がめちゃくちゃ綺麗だったりで…本当にまだ読んでいない人には読んでほしい。間違いなくのめり込みます。
自分としては、これを超える漫画は他にないんじゃないかと思うほどです。
自分は受験時代も進撃の巨人のキャラクターに当てはめて自分を鼓舞していました(完全に厨二病ですね)。
「俺は進み続ける。敵を駆逐するまで。(受験に合格するまで)」
って感じで(?)。
今年の4月に最終巻を迎えるので、これを機にぜひ読んでみてください。アニメも今だとAmazonPrimeなどで見れます。
座右の銘
次に、座右の銘や自分が好きな名言について。
一日一生(いちじついっしょう)
これは、自分が一番尊敬する先生が授けてくれた言葉。「授けてくれた」といっても、YouTubeの画面越しですが。
その先生は、「限界突破コーチよなたん」というチャンネル名で現在活動している与那嶺先生のこと。主に受験生への応援メッセージや勉強ノウハウを発信している方です。
「一日一生」とは、主に2つの意味があります。
・今日でこの人生が終わってしまうと思って、この一日を過ごす
・一日一日が一生の連続であり、今日寝て起きたらまた新しい人生が始まる。(だから過去を気にしすぎずに生きろ)
「今日寝て起きたらまた新しい人生がはじまる」ってめちゃくちゃ良い言葉ですよね。自分はこの意味がすごく好きです。希望に満ちた朝を迎えられます。
なにかを得るためにはなにかを捨てなければならない
(あのアルミンもこう語っている。)
これは有名な言葉ですね。自分はなにかを新しく始める際、この言葉を意識してそれに取り組みます。
1日が24時間であるのは変わらないので、なにかをはじめたら、それに費やす時間の分だけ、以前やっていた行動を捨てる必要があります。
これは当たり前のことですが、意識するとしないでは行動の質が違ってきます。自分の場合、高校時代は受験勉強にコミットしていましたが、その分部活動や恋愛、学園祭の活動などは捨てました。
これから対面での大学生活が始まり、同級生との人間関係も生まれるわけですが、自分やブログとYouTubeに時間を割きたいので、そこでの人間関係にはほとんど時間を使わず、半ば孤独な大学生活を送るつもりです。
このように、「なにかを得るためにはなにかを捨てなければならない」という言葉を意識すると、すべてを手に入れない状況も甘んじて受け入れることができ、自分の得たいもの・したいことに集中できます。
Stay hungry, stay foolish
これは皆さんもご存知のように、2005年6月、スティーブ・ジョブズがスタンフォード大学の卒業式でのスピーチで語った言葉。
直訳すると「ハングリーであれ、愚か者であれ。」
ジョブズは『全地球カタログ』という彼が若い頃愛読していた本の中の一節として、この言葉を引用しました。
スチュワート(全地球カタログの著者)と彼の仲間は全地球カタログを何度か発行し、一通りやり尽くしたあとに最終版を出しました。70年代半ばで、私はちょうどあなた方と同じ年頃でした。背表紙には早朝の田舎道の写真が。あなたが冒険好きなら、ヒッチハイクをする時に目にするような風景です。その写真の下には「ハングリーなままであれ。愚かなままであれ」と書いてありました。筆者の別れの挨拶でした。ハングリーであれ。愚か者であれ。私自身、いつもそうありたいと思っています。そして今、卒業して新たな人生を踏み出すあなた方にもそうあってほしい。
ハングリーであれ、愚か者であれ。
ありがとうございました。
2005年6月12日 スティーブジョブス
このように、ジョブズはスピーチの中で、この言葉の意味について深く言及していません。自分の解釈としては「現状に満足せず(hungry)、他人の目を気にせずに(foolish)自分の道を突き進め」です。
ハングリーであれ。愚か者であれ。
いい言葉です。
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