橙色のエレジーだった!
昨日見つけた動画。又吉直樹のエッセイが原作の映画、『僕の好きな女の子』の舞台挨拶の一幕。動画のタイトルに惹かれてついつい見てしまったのだけど、これがマズかった。
「これ、俺じゃねえか!!」
興奮のあまり思わずスマートフォンを窓の外に放るところだった。ワインドアップから振りかぶったところで何とか堪え、もう一回その動画を観た。
「僕の好きな人は僕のことを絶対好きにならないっていう、その状態が好きっていう...」
二回目は冷静に観れた。そして抱いた感情は、「コイツ病気だな」だった。そして、「じゃあお前もだろ」と、自分の頭の中の綾部にツッコまれると、何だかすごく悶々としてきた。何なんだろう、僕と又吉に取り憑いているこの病理は。
「片想いの時期が一番楽しい」みたいな、割とみんなが共有しているありふれた感覚とはまた全然違う。僕らの(僕と又吉の)感覚は、自分の想いが結実することをゴールとしていない。それはたとえ運良く誰かと付き合うことになったとしても同じことで、僕らは自分の気持ちの「報われなさ」を愛してしまっているのである。まともな恋愛をする上でこれは致命的な問題だ。
しかもそれでいて、自分の好きな人が自分から遠く離れてしまうのは嫌なのだ。それはあんまり寂しすぎる。いつも自分の近くにいて、なおかつ自分のことを好きでいてくれないのが良いのである。いっそ嫌ってくれてもいい。でも自分の前から消えてしまうのは辛すぎる。うわ、超ワガママ!キモっ!
でも、こんな歪んだ形でかまってちゃん心を発露してしまうのは僕らだけではないはず。学級委員の女子に叱られたくて掃除をサボってた君と、根っこの部分は多分同じなのだと思う。僕はもうさすがに、構ってほしくてちょっかいかけるような真似はしないけれど。思えば、同じクラスなら好き嫌い関係無く一年間は離れずにいられる学校という場所は、「報われないけど構ってほしい」僕にはピッタリな環境だったかもしれない。
そういう質なもんで、やっぱり報われないラブソング、青春ソングが好きだ。と言っても僕の好きなのは、山ほどある失恋ソングや片想いソングのほんの一部だ。例えばback numberなんか聴いても、「なんだ、そんな感じのモテ方したいだけか」としか思えなかったり。
僕が好きなのは、例えばこんな曲。
言わずと知れたナンバーガールの名曲"IGGY POP FAN CLUB"。特に聴いてほしいのはA'メロの歌詞である。
何度となく聞いたこの部屋で
君の夏 初体験物語
このレコードを君は嫌いって言った
この曲を笑いながらヘンな歌って言った
自分の部屋でくつろぐ女の子に、大好きなイギーの曲を聴かせたかったんだろう。『ラスト・フォー・ライフ』だろうか?『ソルジャー』だろうか?僕は1stの『イディオッツ』だったのではないかと睨んでいるが、とにかくそれを彼女は嫌いだと言ったのだ。ヘンな歌だと。それでも「何度となく」彼は彼女の前でこのレコードをかけたのだ。
そして歌詞はこのように続く
あの曲を 今聞いてる
忘れてた 君の顔のりんかくを一寸
思い出したりしてみた
もし彼女がイギーの『イディオッツ』を「好き」と言っていたら、きっと彼はこんな風に彼女のことを思い出したりはしないだろう。「ステキな歌」だなんて褒めてたら、彼は今こんな悶々とした気持ちで"Nightclubbing"を聴いていないはずだ。「一寸」思い出したり「してみた」なんて精一杯カッコつけてるけれど、本当はじたばたしたくなるほど切ない気持ちに襲われているに違いない。
それで何と僕は、そんな"IGGY POP FAN CLUB"の彼に憧れてしまっているのである。僕もいつか、部屋に居着いた彼女にフィッシュマンズやスーパーカーを聴かせて、「嫌い」「声が気持ち悪い」「ボソボソ歌ってんの気持ち悪い」などと言われたいのである。もちろん僕はフィッシュマンズもスーパーカーも大好きだ。でも、僕の好きな子には僕の好きな音楽や映画を好きでなくいてほしいのである。
それでいて僕は好きな子には、自分の趣味に付き合えるだけ付き合ってもらいたい。『アメリカン・サイコ』のパトリック・ベイトマン(クリスチャン・ベイル)のように曲をかけながら解説したい。我ながら本当に気持ち悪いと思うけれど。
なんで僕がこんな質になってしまったのかは分からないけれど、今のところは以下の説が有力である。
https://twitter.com/beyon_beyond/status/1294205187574251520?s=21
※以下若干ネタバレあり
だから僕は映画版『モテキ』を観ると、幸世(森山未来)でもみゆき(長澤まさみ)でもなく、るみ子(麻生久美子)を応援してしまう。「趣味なんか合わせなくたっていいよ!B'zとか全然聴いてていいよ!神聖かまってちゃんの何がいいのか分かんないなら何がいいのか分かんねえって言ってやれよ!」といった風に、なかなか黙って観ていられない。『モテキ』を観るたびに僕は、大根監督とのカルチャー観、女の子観のギャップを感じてしまう。それでも何回も観てしまうのはやはり、吉牛をかっ込む麻生久美子を観たいがためである。あの映画はあのシーンで"Fin."が出て然るべきだ。ちなみに僕は好きな子がB'zを聴こうがEXILEのライブに行こうが全然気にしないが、やっぱりフィッシュマンズとスーパーカーは全部聴かせると思う。気持ち悪いね。
又吉は趣味の好き嫌いの話まではしてなかったが、僕にとっては「自分」と「音楽」は限りなく同義に近いものだから、ついここまで話を広げてしまった。映画や音楽を絡めないと自分の話もできない、もしかしたら僕の方が又吉の何十倍も病気かもしれない。というか、もっと別の病気な気がしてきた。ああ、もう手遅れだなこりゃ。
そんな自分が嫌いじゃないんですけどね。