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#1 正しさに固執しない。“違い”が可能性を見せてくれるから

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ひとりは鳥、ひとりは風。
ふたりのyamamoto hayataは、同じ名前の中に文字という違いを携えている。
彼らを結びつけた名前という共通項は、同じであって同じじゃない。
そんな彼らが「違いって、おもしろい」を紡いだ対話を届けたい。
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自己紹介:yamamoto hayata(隼)
共創サークル『不協和音』と、このメディア『対岸』のオーナー。

自己紹介:yamamoto hayata(颯)
映像クリエイター。高校卒業後、就職するも2年で退職。独学で英語を学び、同時通訳・英会話講師として勤務。「絶えず試行錯誤し続ける仕事をしたい」との想いから、副業だった映像創作を本業に。現在は映像クリエイターとしてプロモーション映像全般に創作活動を展開している。
(連絡先:hayata.videography@gmail.com

映像クリエイター:yamamoto hayataさん

迷いの先に見つけた映像制作という仕事
表現する喜びに魅せられた

きっかけはTwitterだった。同姓同名のクリエイターがいる。隼が颯をフォローしてDM…という何気ないやり取りから、ふたりの縁は始まった。

隼:hayata君のキャリアって、おもしろいよね。

颯:ちょっと、変わってるかもしれないですね。実は、結構長い間「やりたいことが見つからない」という迷いを抱えていたんです。就職したけど、辞めた。英語を勉強して英会話講師や同時通訳の仕事もしたけど、本気で打ち込めなかった。その後、副業だった映像制作を本業にしました。
でも、早い段階から自分の軸は見えていました。それは「絶えず試行錯誤し続けること」と「未知の世界に触れられること」のふたつ。何だろう…“知らないことを知りたい”と思う探究心は自覚していましたね。

隼:そのふたつを満たせるのが、映像制作だったわけか。何で「これだ!」って思えたんだろう?

颯:単純ですが、僕は人にほめられると弱いんです(笑)現在はイベントや店舗のプロモーション映像を撮影する仕事が多いんですが、喜んでいただけるのがうれしいんですよね。

隼:いいね。人とのつながりやあったかさが感じられる。創作っていうと、内から発する自己表現を突き詰めるってイメージもあるけど、hayata君の場合は誰かのために創る、って感じだね。

颯:そうですね。僕はクライアントの求めるイメージを引き出して表現するというやり方が好きです。仕事を通して誰かの喜びに直接触れ、役立てている実感を得られるのが、今の仕事の醍醐味です。

周囲との違いに葛藤の日々。
心を支えたのは「まだ負けたくない」との想い


隼:でも、会社員から英語講師、同時通訳からの映像クリエイター…って、なかなかの紆余曲折だと思うけど。

颯:平坦ではなかったと思います。たとえば会社を辞めた時って、自分では正しい判断だったんですよ。でも、周囲からの「え、何で?」っていう疑問の目にさらされるほどに自信喪失してしまって。あまりにも“違ってた”んですよね、自分が。

隼:「この人と私は考え方が違う」じゃなくて「私は、世間の人とは違ってるんだ」ってことかな。

颯:うん、めちゃくちゃ感じました。世間とのギャップをネガティブにしか受け止められなかった。あの時に痛感した“違い”はあまりに大きくて、「僕は僕だから」なんて思えなかったです。
英語を勉強していた時も、よく「英語をマスターするなら留学しなきゃダメじゃない?」「独学じゃ無理だよ」って言われましたね。

隼:そういう時って、1人で受け止めようとするとものすごく高い壁が立ちはだかってる感じがするよね。世界を広く見たら全然異なる価値観があるのに、どうしても周囲の言葉が真理みたいに響くというか。

hayata君がどうやってその逆境を跳ね返したのかも、ぜひ教えてほしい。

颯:葛藤はありましたけど、行動で自分の決断が正しいと証明しようと決めた、ということに尽きますね。「ここで折れたら相手の思うツボだ!」って、自分に言い聞かせていました。自分が人とは違うことをやろうとしていて、周囲はそれを間違ってると言う。だったら、自分が成功することで、その意見の方が間違ってるんだと証明すればいい。「まだ負けを認めたくない」「絶対にやり抜くんだ」の一念で、心が折れそうな時も踏みとどまれたんだと思っています。

自分の進む道を拓こうとする想いと、異なる価値観の間に立ちはだかる“違い”という高い壁。
果たしてそれは、どうやって向き合うべきなんだろう——?

違いに出会ったら、受け入れる。
“正しさ”のフィルターで世界を狭めないために

“違い”は人の心を揺らすもの。でも、たぶんそれだけじゃない。

隼:映像クリエイターの仕事は個人でするけど、クライアントを含めるとかかわる人たちは多様で、世代も性別も国籍も違う人たちが含まれるよね。価値観が合わない人も、たぶんたくさんいるはず。多様な意見にさらされた時、hayata君はどんなふうに切り返してる?

颯:そもそもの前提として、僕は、自分の考えが正しいとは思っていないんです。hayataさんの言葉通り、世間にはいろいろな意見や価値観を持った人がいる。ぴったり合う人の方が少ないと思うんですよね。
でも、自分とは違う意見に出会った時、僕は反論しないでまずは受け入れることにしています。

隼:さらっと言われたけど(笑)それ、実践するの難しいよね。hayata君はどうやってそれができるようになったんだろう。仕事を通して経験を積んだからなのかな。

颯:うーん…確かに、“自分が正しい”と思っていたら、違う価値観を受け入れるのって難しくなるかもしれませんね。
でも、僕はそのスタンスだと、見える世界が狭まってしまう気がする。自分が正しいっていう価値観に固執して、他の可能性を見逃してしまう損失が惜しいんです。だから僕は、自分が正しいとは思わないことにしています。

同意はアクセル、違いはブレーキ。
迷いを払う力を与えてくれる

隼:もう少し詳しく聞きたいんだけど、「違いを受け入れること」と「自分をなくすこと」って違うでしょ?違いに自分をさらしながらも自分を維持するのには、バランス感覚が大事だと思う。hayata君はそれをどうやっているんだろう?って思った。

颯:僕、“かみ砕く前に、違いをはじかない”って決めているんです。最終的なジャッジは自分が下すべきだと思っていて、でも、その一歩手前では違いを受け入れてみるのがいいんじゃないか、と。
たとえば、違う価値観に出くわした時には、相手の立場で考えてみる。自分と相手の意見を、一歩引いて俯瞰して見る。もし、反論の熱が上がりそうになったら、時間を置いて考え直してみる。少し距離を取るゆとりがあれば、相手の正しさと自分の正しさの間にある違いをちゃんと見つめられるから。

隼:hayata君は、自分をすごく客観視してる感じがする。特にアドバイスとかって「こうあるべきだ」という気持ちが入ってるんだよね。悪気もなくて、単に価値観が違うだけで。

颯:確かに。でも、迷いがある時ほど、違う人の違う意見って役立ちませんか?むしろ、自分とは異なる価値観を取り込むことで、自分の決断を強くする力にもなると言えるかもしれない。
僕にとって違いはある種の“知識”でもある。価値があって、世界を広げていくれる力にもなる。だから、必要なものだと思っています。

隼:その人の価値観の背景、つまり、相手の考え方や姿勢の源泉にまで想いを馳せられたら、違いを受け入れることができそうだよね。
たとえば、想定してもいなかった発想に気づいたり、見えていなかった観点に目線を向けられるようになったり。

颯:そう、まさしく違う部分が見えてくるというか。
同じ意見が自分の背中を押してくれるアクセルとしたら、違う意見は、立ち止まる余地をくれるブレーキだと思います。どっちも大事だし、欠かせないものです。

価値観の違いが、自分自身の決断を強くするのに役立つ。
逆説的な発想を支えているのは「“違い”を受け入れる」というスタンス。
…でも、それは言葉で表すほど簡単にはできないものだ。
その先にある景色を——対岸を光景を見つめるヒントが、そこにある。

言葉は、断片。
その裏側に目を向けたら、何が見えるだろう?

自分と他者は、数々の“違い”によって隔てられている。向こう岸に立つ相手は、異質な場所にいる異質な人。
だけど、相手からすれば自分だって違う存在。橋を架け、対岸に渡ってみる勇気があれば、思いがけない景色に出会うことができる。

隼:「違いって、おもしろい」。これは、この対談、そしてメディアのテーマでもあります。
でも、おもしろいって感じる以前に、そもそも“違いを受け入れる”こと自体ができないケースもあると思うんだよね。誰しもがhayata君みたいに柔軟に考えて行動できるとは限らない。
何ていうか…飲み込めない。好きじゃない食べ物って、口に入れられない、飲み込めないものじゃん?美味しいって感じるより手前にあるハードルをどうやって乗り越えるか、っていう話。
hayata君は、そういう“違い”をどうやって飲み込めるようになったと思う?

颯:やっぱり、海外での経験は大きかったと思いますよ。
19歳の頃カンボジアに行ったんですけど、市街のマーケットにはいろんなお店があって、同じ商品を同じ価格で売ってるんです。不思議じゃないですか?僕だったら、他の店にない商品を売るとか、価格を下げるとか、何か違いを出したくなる。だけど、彼らは「ここでは、これがいいんだ」としか言わないんです。すごく、謎だった。
でも、それは日本で生まれ育った日本人の価値観でしかないんだな、って思い直したんです。もし僕がカンボジアで生まれ育っていたら、そんな価値観になっていたかもしれない、と。相手の背景まで汲んで想像してみたら、意外と、受け入れられないものって少ないのかもしれません。

隼:確かにそうだよね。海外の人のライフスタイルや価値観って、自分を基準にして見ると逸脱してたり理解できなかったりすることが多いと思う。でも、もう一歩踏み込んで目を凝らして、彼らの文化的・歴史的背景まで理解できたら、見え方が全然違ってくる。


颯:ある種、海外の人ってhayataさんがおっしゃったように文化や歴史が違うから、考え方も発言も違うんだってわかりやすいですよね。「あ、この人は自分とは違う場所にいるから、価値観が違っていて当たり前だな」って。

隼:うん。自分の前に向き合って話している人には、その人が歩んできた背景や経験があって、環境があって、歴史があるんだって、当たり前なんだけど見逃しやすい。でも、裏側にいろんなものがあるんだって認められれば、意見が違うからって分断することはなくせると思う。
その時に見えるのが、対岸の景色だよね。たぶん、それまでの自分が思っていたのとは全然違う世界。それに、対岸から見たら自分の姿も全然違うはず。僕はそれをおもしろいと思ってる。

多彩な色があるから、描けるものがある。


隼:僕は、価値観が違うのってやっぱりおもしろいことだと思う。その多様さはカラフルで、優劣はないんだよね。

颯:そう、そういう考え方ができるといいですよね。自分の色は大切だけど、いろんな色の価値観を混ぜ合わせることできれいな絵が描けるなら、そっちの方がずっといい。僕の場合はそれを「最終判断は自分で下すけど、自分が正しいと思い込まない」というスタンスで表したいってことかな。

隼:「この色じゃないといけない!」って主張しちゃうと、必ず「その色じゃダメだ!」っていう衝突が起こってしまうし。主体性もなく相手に合わせればいいんじゃなくて「そういう考えもあるよね」って受け入れられたら、たぶんもっとおもしろいし、良い景色が見えるんだろうな。

颯:それもひとつの価値観、ですよね。万人が同意するものではないかもしれない。でも、僕は同意するし、共感するし、そのうえで違いを受け入れる行動を取ります。

隼:うん、価値観は多様にあるものだから。大切なのは、違うという理由だけで理解を分断させないこと。理解されていないと感じる人がいたとしたら、そのままで見過ごさないことなんだと思う。一般論との違いの差が大きいほど、確かに理解されるのは難しくなるかもしれない。
でも、だからってまったく認められない理由なんてない。この考えだって「それは違う」と感じる人がいるはずだけど、理解の輪が波紋みたいに広がっていけばいいという考えが、このメディアで目指したいことでもあると再認識できた。

hayata君の経験や価値観を通して、すごく良い話が聞けました。どうもありがとうございました。

少し視点をずらしてみる。
たったそれだけで“違い”は思いがけない景色を見せてくれる。
やっぱり「違いって、おもしろい」。
だけどのその姿勢さえも、押しつけるものではない。
ただ、そこに存在するものとして“違い”を見つめ、肯定できれば、それだけでいい。

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メディア『対岸』では、”違いって、おもしろい”をコンセプトとし、魅力的な個人との対話を通して、その人にとっての違いや、違いの楽しみ方を記事にして発信していきます。
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