絵画の様式論(二)
時代を象徴する様式ではなく、美術家の本質を示す様式——。つまり絵描きにとっての様式について考察を深めるようになったのは、その後、阿部展也と福沢一郎の回顧展を続けて鑑賞したことが大きい(「阿部展也——あくなき越境者」は埼玉県立近代美術館で11月4日まで、「福沢一郎生誕120年」は富岡市立美術博物館・福沢一郎記念美術館で11月11日まで、それぞれ開催)。前者は1913年生まれであり、後者は1898年生まれだから、世代こそ異なるとはいえ、両者はともに近代日本絵画史に残る偉大な画家である。また、いずれも多様な様式を取り入れながら絵画を展開させていった画家である点も共通している。だが、それぞれの様式の内実を分け入ってみれば、阿部と福沢はきわめて鮮やかな対照を描く。
阿部展也の画業はまさしく様式の変転として包括することができよう。キュビスム、シュルレアリスム、アンフォルメル、そして幾何学的抽象——。出征先のフィリピンで写真を撮影したのをはじめ、雑誌の表紙や挿絵を描いていたから、ヴィジュアル・イメージを生産するという面で、戦争に関与した事実は藤田嗣治と変わらない。だが阿部が藤田と決定的に異なるのは、戦争以後もアンフォルメルなど西洋伝来の新たな様式を受容した点にある。古い様式ではない。新しい様式を次から次へと内面化させ、結果的に戦後美術の歴史と同期しているように見えるところが興味深い。展示された絵画を眼で追っていくと、戦後美術の通史をなぞっているように錯覚するほどだ。
だが逆に言えば、次々と変転する様式の奥底に阿部展也の本質的な核心を見出すことはなかなか難しい。いや、より直截に言えば、絶え間なく移り変わる様式とは対照的に、それらの根拠となりうる実質がまったく欠落しているような印象すら覚えるのだ。むろん《飢え》(1949)のような菊畑茂久馬の言う「肉体絵画」*1 に戦争の惨憺たる経験や疲弊した精神を見出すことはできなくはない。けれども、それにしても、たとえば同じ主題に取り組んだ浜田知明の執拗で冷徹な視線は感じられないし、鶴岡政男や福沢一郎のような暗鬱とした内面すら感じさせない。とりわけ象徴的なのがアンフォルメルで、一室にずらりと並べられた作品群は、いかにも物質的なマチエールを強調したアンフォルメル絵画だが、蜜蝋を焼きつけるエンコスティックという技法的な特徴が際立つばかりで、何やら白々しい印象すら覚える。それを虚無、あるいは内面の不在として言い換えてみれば、阿部はじつはポップ・アートの先駆者なのではないかとすら思える。展示の中で瀧口修造や大辻清司、そしてルーチョ・フォンタナらとの私的な交友関係が強調されればされるほど、その憶測は果てしなく深まるのである。もしかしたら阿部にとっての様式とは、自らが世界を軽やかに駆け巡るためのヴィークルだったのかもしれない。
*1 菊畑茂久馬「虚妄の刻印 1950年代美術」、『菊畑茂久馬著作集2 戦後美術と反芸術』海鳥社、1993年
阿部展也と好対照なのが福沢一郎である。福沢といえばシュルレアリスムを日本に紹介した画家として広く知られているが、本展に展示された80点あまりの作品をていねいに追っていくと、福沢の画業がシュルレアリスムにとどまらず、アンフォルメルやポップ・アートのような絵画にまで展開した長い軌跡を目の当たりにすることができる。幾何学的抽象には手を出さなかった点は異なるにせよ、様式の振れ幅が大きい点は阿部と共通している。だが、福沢にあって阿部にないのは、多様な様式を貫く「何か」である。
じつのところ、その「何か」こそ、陰なのではあるまいか。福沢一郎の長い画業をていねいに見渡したとき、何よりも深く印象づけられるのは、主題や様式こそ多様であるとはいえ、それらの底にはつねに得体の知れない陰が潜んでいるという事実である。たとえば、パリに留学していた1920年代の絵画はどれも暗鬱としており、バルテュスを彷彿とさせる寓意性の高い《無敵の力》(1930)や《煽動者》(1931)にしても、そこに認められるユーモアは明るく朗らかなものではなく、暗く不気味なものだ。戦後に描いたより社会風刺性の強い絵画にいたっては、色彩こそ鮮やかになったものの、画面の全体は陰のヴェールで覆われたように薄暗い。その暗さは、阿部展也の絵画に容易に見出すことができる(こう言ってよければ)無節操な明るさと比較してみれば一目瞭然である。
しかし、この暗い陰はたんなる比喩ではない。それは、福沢の絵画にはっきり描き出されていることも少なくないからだ。初期の《装へる女》(1927)や《骨董店》(1929)、そして《科学美を盲目にする》(1930)に通底しているのは、人体の背景に濃い陰を描いている点である。ちょうど藤田嗣治がうねる陰によって内側の繊細な輪郭線を補強していたように、福沢は暗い陰によって人体の明るさを逆照していたのだ。だが、それだけではない。《女》(1937)は砂漠のように荒涼とした大地を歩く全裸の女を描いた、いかにもシュルレアリスム的な絵画だが、特徴的なのは地面に落ちている影が彼女の背後に不気味に立ち上がっていることだ。水平に寝ているはずの影が垂直に立ち上がるという超現実的な光景。だからだろうか、歩く彼女の後を影が分身のようについてくるというより、むしろ自立した影が彼女を歩かせているようにも見えるのだ。福沢はシュルレアリスムにそれほど拘泥していたわけではなかったようだが、だとしても《女》は、影=陰こそが福沢にとっての絵画的核心であることを象徴しているのではないか。
[この稿続く]
阿部展也——あくなき越境者
会期:2018年9月15日〜11月4日
会場:埼玉県立近代美術館
福沢一郎生誕120年
会期:2018年9月15日〜2018年11月11日
会場:富岡市立美術博物館・福沢一郎記念美術館
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