反近代の逆襲──現代美術の見世物的転回に向けて
千葉県の国立歴史民俗博物館で「見世物大博覧会 現代編」が開催されている(2017年7月17日まで、現在は終了)。昨年、同館および国立民族学博物館が共催した「見世物大博覧会」の続編で、展示されているのは志村静峰による絵看板をはじめ、「人間ポンプ」こと安田里美による実演映像、見世物の公演を告げるビラやポスターなど、60点の資料。比較的小規模な展示であるとはいえ、往年の見世物小屋を可能なかぎり再現しようとした意欲的な企画展である。
ミュージアムにおける再現性の限界
「たとえ『美術』がなくても『見世物』があれば十分なのではないか」。前回の「見世物大博覧会」について、こう書いた★1。いくぶん挑発的な意味合いが強いとはいえ、「見世物」をとおして「美術」を再構築すべきであるという論旨はいまも変えるつもりはないし、本展を鑑賞してその確信をますます強めたとさえ言える。事実、安田里美のポンプ芸はもちろん、熊娘の見世物を告知するチラシや、たこ娘のからくりを披露した舞台装置など、本展の見どころは多い。企画者が言うように、「かつての見世物小屋の不気味で奇怪な雰囲気」を堪能することができるのだ。
★1──拙稿(http://artscape.jp/report/review/10129751_1735.html)
しかしながら難点がないわけではない。本展の目的は、「近年まで行われてきた見世物小屋の姿をできる限り再現し、その文化的な位相を紹介」するところにあるが、その再現性の精度には必ずしも満足できたわけではないからだ。志村静峰によるキッチュな絵看板に誘われた来場者は、安田里美の濁声を耳にしながら、見世物を物語る数々の資料を目にしてゆく。視覚と聴覚を存分に働かせる鑑賞法は、見世物ならではのいかがわしいイメージを幻視させるには十分である。けれども、その妖しい空気感に身を委ねれば委ねるほど、じっさいには見えない見世物小屋のイメージを想像すれば想像するほど、来場者の欲望は見世物そのものに向かうことを余儀なくされる。かなうならば、そこで繰り広げられる超絶した芸を目の当たりにしたい。虚実が入り乱れた口上を半信半疑で受け止めつつ、鮮やかに裏切られてみたい。女芸人たちの妖しい誘惑に打ち負けながらも、彼女たちの恐るべき芸に打ち震えたい──。ところが会場には曲芸師も口上師も、あるいは生人形も奇獣も実在しない。どれほど見世物小屋が再現されたとしても、来場者はいやがおうにもミュージアム(美術館・博物館)の空間的・制度的な限界に直面せざるをえないのである。あるいは、表象の間接性が実在の直接性への欲望に火をつけるといってもよい。
むろん、社会教育という理念のもとで運営されている現行のミュージアムに見世物の直接的な再現を期待するのは筋違いではある。かつて大型動物は見世物において「眼福」という現世利益とともに見せられていたが、近代以後、それらはそのスペクタクル性と宗教性を大きく減退させた反面、「教育資料」という価値に紐づけられたうえで動物園で見せられるようになった。そうした経緯を思えば、動物園と同じく近代的な文化装置であるミュージアムがどれほど見世物を再現したとしても、それはあくまでも「教育資料」の範疇に限界づけられているのも致し方ないことなのかもしれない。ましてや、現場の学芸員が権力者に忖度する自己規制ばかりか、権力者の側が実質的な表現規制に乗り出すこともいまや珍しくない昨今、エロティシズムやフリークス、宗教性、そして死といった、まさしく近代が抑圧的に周縁化してきた要素をあからさまに好奇の視線の対象とする見世物がミュージアムで完全に再現されることは望むべくもない。歴史的に考えれば、ミュージアムはそれらを排除する政治学にもとづいて成立してきたからだ。
近代を内破するプロジェクト
とりわけ美術の場合、いまも昔も、見世物は排除と憎悪の対象である。木下直之が見世物と美術の歴史的な連続性と断絶性について明快に論証したにもかかわらず★2、あるいはだからこそというべきか、とりわけ美術館関係者のなかには見世物を蔑視する傾向が依然として強い。事実、かつて南嶌宏は熊本市現代美術館で生人形と松本喜三郎の企画展を催したとき、「生人形は美術品ではない」とか、「見世物の生人形のような展覧会に(自館の作品を)貸すことはまかりならない」という美術館関係者の声を耳にしたことを証言している★3。美術の正統を自認する彼らは、展覧会や美術作品に政治性が含まれることをあれだけ唾棄しながらも、美術から見世物を排除する政治学には率先して手を染めているのである。
★2──木下直之『美術という見世物』(ちくま学芸文庫、1999)
★3──南嶌宏「反近代の逆襲──生人形の生と死」、『生人形と松本喜三郎』展図録(熊本市現代美術館、2004)。なお以下も参照。南嶌宏「生人形の棲息領域とその後」、『見世物』6号、見世物学会・学会誌企画編集委員会、2016
見世物を迫害する美術。それは、その創世記から変わらない「美術」の歴史的本質と言えよう。日本近代彫刻の元祖ともいえる高村光太郎は松本喜三郎にたいして「造形本能からは彫刻が生まれ、模擬本能からは人形が生まれます」と批判的に評価しているが、それは光太郎が生人形を制作する動機を「活きて動く人間の外観的複写を作る処にあって、きわめて皮相的な外面的迫真がその目的であり、立体に基づく美感とまるで没交渉なためであります」と考えていたからだ★4。光太郎の父、高村光雲が松本喜三郎とその弟子、江島栄次郎による《谷汲観音像》を絶賛していたのとは、じつに対照的である。だが冨澤治子が的確に指摘しているように、西欧由来の「彫刻」を日本社会のなかに定着させる使命に燃えていた光太郎は、だからこそ生人形という土着的な民俗文化を戦略的に差別化せざるをえなかったのではあるまいか★5。
★4──冨澤治子「日本の生人形総論」、『生人形と松本喜三郎』展図録(熊本市現代美術館、2004)
★5──冨澤前掲書、p.119
このようにして美術と見世物の非対称性が歴史的に再生産されてきたことを踏まえれば、その再現性に不十分な点があるとはいえ、見世物を正面切って展示の対象とした本展の功績は最大限に賞賛されなければなるまい。本展が博物館の企画展として優れているのは、近代が退けてきた見世物を近代の文化装置である博物館で開陳するという根源的な矛盾の上で展示を構成しているからだ。すなわち近代のただなかで反近代の可能性を育むこと。その緊張感をはらんだ両義性は、たとえば南嶌が企画した松本喜三郎の企画展にも見出すことができるが★6、それらがどちらかといえば生人形の造形性に傾注していたのにたいし、本展の重心はあくまでも見世物小屋の空間性に置かれている。そこに美術館と博物館の典型的な特徴が表われているが、いずれにせよ本展は「反近代の逆襲」の具体的な現われとして高く評価できよう。
★6──「反近代の逆襲──生人形と松本喜三郎」(熊本市現代美術館、2004)および「反近代の逆襲Ⅱ──生人形と江戸の欲望」(熊本市現代美術館、2006)。
「反近代の逆襲」とは、文字どおり、近代に反近代を対置させることではない。それは、近代の核心で近代を内破しうる批判性を押し広げながら近代そのものをつくりかえてゆくことを試みるプロジェクトにほかならない。そのような意味での反近代という批判性自体が近代の価値観に内蔵されていることは事実だとしても、だからといって反近代というパースペクティヴがただちに失効するわけではあるまい。もはや近代の圏外としてのいかなる外部性も担保することができない以上、私たちに可能なのは近代の内側から近代を重層的にとらえ、いくえにも折り重ねられたそれらの層を、一つひとつていねいに解きほぐしながら、その間隙にもうひとつの近代やありうる未来を展望するほかないからである。
「見世物性」という地下水脈
だが問題の所在は博物館ではなく美術館である。本展の画期的な意義は疑いないにせよ、それは博物館だからこそ実現可能だったと考えられなくもないし、逆に言えば、見世物小屋の空間性を美術館で再現することは依然として困難であることは想像に難くないからだ。前述したように、美術の起源のひとつに見世物があることが実証されているにもかかわらず、その出自を封印するかのごとく、美術は見世物を否認してやまない。それゆえ「反近代の逆襲」は、やはり美術館に照準を合わせなければならない。
しかし、そのとき重要なのは、やはり見世物を美術に対置させるのではなく、それを美術の内側に位置づけることである。なぜなら現代美術のオルタナティヴとして見世物を提示したところで、美術はそれらを例外として受容する以外の反応を示すことはありえないからだ。都築響一の一連の仕事に、十分な敬意を払いつつも、同時に、十分に満足できないのは、それらが現代美術を仮想敵とするあまり、見世物であれアウトサイダーアートであれ、それらを結果として「例外」に帰着させてしまうからだ。かつて宮川淳はアンフォルメル以後の現代絵画の状況を、価値概念としての近代と様式概念としての現代の矛盾として診断したが★7、その現代性の内実が何であれ、いかなる新動向も様式概念として回収してしまう価値概念としての近代の論理と力学は、依然として有効であると言わなければならない。見世物を、そのための生け贄として差し出す必要性はまったくない。
★7──宮川淳「アンフォルメル以後」、『宮川淳 絵画とその影』(みすず書房、2007)。また中原佑介はその名もずばり「「みせもの」の批評」を書いているが、その論旨は従来の印象批評を批判する点にあり、宮川の言葉を借りて言い換えれば、価値概念としての近代を見世物によって批判的に相対化する点にあり、必ずしも見世物そのものを論じているわけではない(中原佑介「「見せもの」の批評」、『中原佑介批評選集第一巻』(現代企画室+BankART出版、2011))。
現代社会から見世物小屋の姿がほとんど消え去ったことは事実だとしても、その「見世物性」はある種の地下水脈として社会の奥底に滔々と流れているのではないか。川添裕によれば、見世物とは「現代娯楽の母なる流れ」にほかならない★8。それは、絵画や彫刻はもちろん、映画、建築、サーカス、動物園、テーマパークといった、ほとんどすべての現代文化の起源に、おおむね見世物の形式があることを意味している。1980年代の子どもたちを熱狂させていた、あのドリフターズによる「8時だョ!全員集合」の名物といえば、クライマックスにセットの家を一気に崩落させてしまう「屋体崩し」だったが、川添によれば、これを担当していた株式会社金井大道具は、歌舞伎の仕掛物を手がけていた長谷川官兵衛の系列に連なるという。「美術」や「芸能」という近代的な制度区分を自明視しているかぎり、「見世物」という底流に触れることはできないが、ひとたびそのような色眼鏡を取り払えば、そこには思いがけないほど豊かな水脈が広がっているのである。
★8──川添裕『江戸の見世物』(岩波新書、2000)
だとすれば、その底流は、とうぜん現代美術のなかにも流れ込んでいることになる。事実、縮小模型としてのフィギュアはかねてから造形作家たちの関心を集めていたが、近年、よりいっそう注目を集めているのは等身大のラブドールである。それがセクシュアリティの観点から蔑まれてきたことは否定できないにせよ、とりわけオリエント工業による技術的刷新を経た現在、ラブドールを立体造形として再評価する機運はかつてないほど高まっている。ラブドールの造形性の中心が理想的な女性像を再現するリアリズムにあることを思えば、それを現代の生人形として考えることもできなくはないだろう。木下直之が鋭く、かつ大胆に指摘したように、松本喜三郎にとって生人形と性的なイメージは分かちがたく結びつけられていた★9。さらに木下は、それが女性器を露出していた可能性と、それがために公開が禁止された可能性を推察しているから、やはり生人形とエロティシズムは密接不可分だったのであり、であれば生人形とラブドールを結ぶ水流はより確かなものとなる。性欲という普遍的な動機を結節点として、かつての生人形はいまやラブドールとして甦っていると言えるだろう。
★9──木下前掲書、p.103-104
想像力を喚起する見世物の口上
地下水脈としての見世物性は、しかし、現代美術の造形面だけに噴出しているわけではない。それは、人間の想像力においても顕在化している。見世物であれ現代美術であれ、それらと対面する者たちは、つねに何かしらの想像力を稼働させながら目前の対象に視線を差し向けている。言うまでもなく、想像力の内容は、個々人や時代に応じて異なるのだろう。けれども想像力の働かせ方には、ある種の共時性と通時性を包括する特定の形式がありうるのではないか。豊かで実りのある見世物研究は、そのことを私たちに教えてくれる。
すでに知られているように、見世物には口上が不可欠であった。軽業小屋であれ、籠細工興行であれ、油絵茶屋であれ、見世物小屋を訪れた人びとは、超絶した曲芸や細工、油絵を静寂のなかで黙って鑑賞していたわけではなく、口上師の話芸を耳にしながら、それらに視線を運んでいた。むろん、それらの話芸の詳細を知ることはできないが、当時の人びとが見世物の数々を哄笑とともに楽しんでいたことは想像に難くない。なぜなら触覚や聴覚、味覚などを切り捨てる一方、視覚を優先した近代の美術館では大口を開けて笑うことすら許さない無言の圧力が働いているという事実が、その対照的な例証になりうるからだ。
そして、そのような口上は見世物の来場者たちの想像力に大きな力を及ぼしていた。川添は、籠細工をはじめとする細工見世物の特徴を、「素材と、素材の集合が表現するものとの落差を楽しむ見世物」であるとしたうえで、来場者は「素材と完成品とのイメージ落差が大きければ大きいほど、あるいは洒落風流であればあるほど、面白いと感じる」と分析している★10。たとえば「目をみはる勇壮な関羽だけれどじつは籠である、また逆に、まぎれもなき日用品の籠だけれど確かに関羽である」というように、細工見世物には細部と全体のあいだを往還する想像力の理路があった。それを川添は「細工見世物の呼吸」と言い表わしているが、その呼吸を緩急をつけながら強調していたのが口上師による話芸だというのである。むろん見世物小屋で来場者がどのようなかたちで想像力を働かせていたのか、客観的に実証することは不可能に近い。けれども「ありふれた籠で『こんなことができるのか』という親しみをベースにした驚き」があったにちがいないと推察する川添の説には、一定以上の説得力がある。現代美術においても、すべてとは言わないにせよ、優れた美術家の作品には、そのような想像力の理路をたしかに見出すことができるからだ。
★10──川添前掲書、p.58-60
現代美術の見世物性
たとえば駅の交通誘導を担う警備員である佐藤修悦は、乗降客を安全かつ効率よく誘導するために、ガムテープを形成した案内文字を自発的に作成した。いまリメイク・ブランド「途中でやめる」を主宰している山下陽光が企画した佐藤修悦の展覧会「現在地」(2007)をきっかけに爆発的な人気を博し★11、その独特の文字は明朝体、ゴシック体に続く「修悦体」として定着している。修悦体は、いまもJR新宿駅などで実見することができるが、凡庸なガムテープをていねいに貼り合わせた手法を見れば、それが細工見世物と同じように私たちの想像力を細部と全体のあいだを何度も往復させることに気づくはずだ。まさしく、ありふれたガムテープだけで「こんなことができるのか」という親近感にもとづいた驚愕が生まれるのである。
★11──拙稿(http://www.dnp.co.jp/artscape/exhibition/review/071001_02.html)
あるいは、近年とりわけ評価が高まっている池田学の絵画にもまた、細工見世物と同じ想像力の働かせ方を見出すことができる。池田が用いるのはマンガなどで多用されているGペンないしは丸ペン。基本的な素材だけに限っているのは佐藤と変わらない。ただ池田が優れているのは、その「素材と完成品とのイメージ落差」が誰よりも大きいからだ。1ミリにも満たない線は、ひじょうに繊細である。しかし、画面の全体に広がるイメージのボリュームは来場者を圧倒するほど強大なのだ。池田の絵画の前で、画面に近づいたり遠ざかったり前後運動を繰り返す私たちは、尋常ならざる大きさの細工見世物に驚喜していた江戸時代の人びとと★12、その想像力の理路を共有していたのではなかったか★13。
★12──大坂の四天王寺で興行された一田庄七郎による籠細工「釈迦涅槃像」は九丈六尺(約29メートル)もあったという(川添前掲書、p.69)。
★13──拙稿(http://artscape.jp/report/review/10132602_1735.html)
このように現代美術のなかには、程度の差こそあれ、見世物性がたしかに残存している。だが、一部の美術家の特性を具体例として挙げるだけでは、依然として「例外」という不当なレッテルを跳ね返すことはできないのかもしれない。であれば、より議論の射程を拡大するほかあるまい。
たとえば戦後の美術史を見世物という観点から編み直すことは十分に可能である。大正時代にはじまるアンデパンダンは、「美術」のなかで「見世物」が騒乱した「反近代の逆襲」を象徴的に物語る出来事として意味づけることができるし★14、その後の「読売アンデパンダン」展を母胎にして生まれた60年代の反芸術パフォーマンスは、まさしくそのいかがわしくも猥雑な見世物性が反感を買ったがゆえに、長らく歴史の陰に封殺されていたのだった★15。そして70年代以後の、もの派に代表される造形性を中心とした美術史は、60年代に美術を染め上げた見世物性を脱色させていく過程として考えられよう。戦後美術史の見世物的転回は、理屈っぽくなおかつ退屈な美術のイメージを、いかがわしくも魅力的なものに劇的に塗り替えるにちがいない。
★14──拙稿(http://artscape.jp/report/review/10124713_1735.html)
★15──黒ダライ児『肉体のアナーキズム』(grambooks、2010)
そして近年、現代美術に見られる身体パフォーマンスの隆盛は、演劇やダンスとのポストモダン的な混交というより、むしろ美術がその奥底に長らく抑圧してきた見世物性の、異議申し立てを含んだ噴出としてみなすべきではないか。遠藤一郎やcontact Gonzo、あるいは首くくり栲象や、山川冬樹、村田峰起★16らによる見世物性に富んだパフォーマンスには、いずれも悲哀を含んだ暴力性が通底しているからだ。「美術」という鬼子への痛烈な反撃と言ってもいい。
★16──首くくりと山川、村田による「間人」(2016年11月20日、前橋市芸術文化れんが館)は、まさしく現代美術の見世物性を体現した公演だったと言えるが、その醍醐味は美術と見世物の接触というより、美術の痕跡を見出すことができないほど見世物性が突出していた点にある。
あるいは、国際的なアートシーンとは別に、独自の形態として発展している日本型の芸術祭は、全体として小市民的な多幸感に流れるきらいがあるとはいえ、非日常的な仮設性や狭い意味での宗教性ではなく広い意味での信仰心を体感させる作品が少なくないという点で、美術の現場に見世物性が回帰している現象として位置づけることができよう。いまや現代美術の内なる見世物性は隠しようがないほど露呈しつつあるのだ。
“現代美術は見世物である”
「江戸の盛り場で見世物小屋に入った観客は、この世ならざる異界の風景や人間の根源的な姿を見せられ、魂が鎮められるのではなく、逆に魂の奥底が揺さぶられて精神の再生をはかったのではなかろうか」★17。写真家で民俗学者の内藤正敏は、1970年の7月、浅草花屋敷前に仮設された稲村劇場で「見世物看板大写真展」を催し、その後、彼らに同行しながら見世物小屋の実態と生態を内側から観察してそれらを写真に収め、さらには数々の資料を渉猟することで江戸時代の見世物を研究した。その写真を目撃しながら文章を読むと、見世物が体現していた超越性や宗教性、エロスとタナトスを文字どおり体感できる。
★17──内藤正敏『江戸 都市の中の異界』(法政大学出版局、2009)p.264
だが同時に痛感するのは、現代美術はそのような見世物性をもののみごとに打ち捨ててきたが、はたしてそれらと引き替えに得たものは何だったのかという疑いである。少なくとも内藤がいう「精神の再生」を現在の現代美術の総体に期待することは難しいと言わざるをえない。だが「芸術」であれ「芸能」であれ、あるいは「現代美術」であれ「見世物」であれ何であれ、いつの時代であっても、私たちが望み、また必要としているのは、まさしくその「精神の再生」ではなかったか。擬似的な死の経験を通過したうえで自らの生を改めて生き直す。その喜びを伴った肯定感が求心力となっていたからこそ、江戸時代の人びとはあれほど見世物に熱狂していたのであり、現在の私たちもまた、見世物の妖しい魅力に惹きつけられるのである。
残念ながら本展には口上師は不在である。だが私たちの脳裏には、想像上の口上師が切る啖呵がいまもこだましている。「現代美術は、いまも昔も、そしてこれからも、見世物である──」。
初出:「artscape」2017年05月15日号
見世物大博覧会 現代編
会期:2017年4月18日〜7月17日
会場:国立歴史民俗博物館
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