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魔術的絵画という秘薬

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16世紀のヨーロッパを代表する医師のパラケルスス(Paracelsus、1493/94-1541)は、近代医学の創始者であり、なおかつ錬金術や魔術の重要性を説いた両義的な思想家である。むろん、それが両義性と見えるのは「近代」というパースペクティブによるのであり、ルネサンスにおいて錬金術や魔術は自然の本質を把握するためのある種の合理的な方法だった。魔術とは、いわゆるオカルト的な黒魔術などではなく、自然の事物に隠された本質を見出す自然科学のひとつにほかならない。それゆえパラケルススは、自然界のあらゆる事物を「医薬」とみなし、眼に見えないそれぞれ特有の効能を引き出したものを「秘薬」としたのだった。

井崎聖子の絵画はパラケルススが言う秘薬に相当するのではないか。薄い層を幾度も重ねることで透明感のある色彩の形象を浮上させるグレーズ技法という彼女の方法論が、人文科学的というよりむしろ自然科学的な身ぶりを連想させるからだけではない。平面という本来的には無の空間に見えないものを見ようとする視線が、可視的な自然の奥に不可視の世界を見出そうとしたパラケルススの視線と重なり合っているようにも思われるからだ。事実、井崎は過去に事物を部分的にクローズアップしたような構図の絵画に取り組んでいたが、その延長線上に現在の絵画を置くならば、それは事物の内奥に可能な限り接近した微視的な絵画のように見えなくもない。彼女の視線は一貫して事物の本質をまさぐり出そうとしているのであり、その迫真的な意欲がグレーズ技法というある種の「魔術」を召喚したのではなかったか。

絵画の本質を絵画によって探究する絵画——。その本質を平面性に求めるにせよ、線や色彩に求めるにせよ、モダニズムはさまざまな方法でそのような純粋還元を試みてきた。透明感のある色彩の重なりが、遠近法的ではない奥行きや広がり、深みを感じさせるという点で、井崎の魔術的絵画もまた、モダニズムの系譜に位置づけられよう。

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