鴻池朋子展「根源的暴力vol.2 あたらしいほね」
この夏、中国は重慶に長期間滞在した。重慶市は北京や上海と並ぶ直轄市のひとつで、中国内陸部における重要な経済拠点である。長江と嘉陵江が合流する盆地は起伏が激しく、急な斜面におびただしい数の超高層ビルが立ち並んでいるため、東京以上に立体的で重層的な都市風景が広がっている。街中には仰々しい高級外車と簡素な三輪自動車がめまぐるしく行き交っており、貧富の差が歴然としている感は否めない。けれどもその一方で、まるまるとした腹を出した中年男性(いわゆる「北京ビキニ」)が煙草を吹かしながら路上を堂々と闊歩したり、大勢の高齢者たちが夜な夜な広場で大音量の音楽にあわせてみんなで踊ったり(いわゆる「広場ダンス」)、重慶の街には人の熱気というよりむしろ生きることの肯定感が強烈に立ちこめていた。言い換えれば、社会主義国であるにもかかわらず、彼らは自由に生きており、その生き様が幸福に満ちあふれているように見えたのだ。それは帰国した後、管理と自主規制が常態化した息苦しい東京から振り返ったとき、ありありと浮き彫りになった偽ざる実感である。いったいどちらが資本主義国でどちらが社会主義国なのか、しばらく考えあぐねてしまったほどだ。
とりわけ印象深かったのが、車道における歩行者の横断である。車道はあくまでも自動車の専有道路として認識されている日本とは対照的に、重慶では歩行者が車道を平気で横断する。むろん横断歩道や信号が機能していないわけではないが、それらとはまったく無関係に、まるで空いている場所を埋めるかのように、歩行者が自動車の往来を見計らいながら自由に車道を横切って行くのだ。しかも、それは一部の無法者による逸脱行為などではなく、老いも若きも、あらゆる人びとが普通にそうしているのであり、さらに言えば、歩行者のみならずドライバーにも共有されている、社会一般の暗黙の了解であるようだ。
文化的な習慣の相違と言えば、そうなのかもしれない。だが、あえて深読みすれば、ここには土地をめぐる認識の根本的な相違、つまりは世界観の大きなちがいが現われているような気がしてならない。国家の体制がどうあれ、人はみな土地の上でものを考えながら日々の日常を生きている以上、思想と土地は分かちがたく結びつけられていると考えられるからだ。
周知のように、中国は社会主義国であるから土地の私有は認められていない。所有権は国が持ち、国民には使用権が与えられるにすぎない。日本でしばしば問題化されるジェントリフィケーションによる強制退去がほとんど問題にならないほど、中国では人の退去や移動、あるいは共同体の解体と再構築が頻繁に行なわれているのだ。事実、重慶の街を歩いてみても、古い街並みを丸ごと高層住宅街につくり変えている工事現場をいくつも目撃した。
それゆえ郷土愛にしても、ないわけではないが、その質は日本のそれとはかなり異なっているようだ。中国人の友人によれば、日本のように先祖代々受け継がれてきた土地を守るという使命感は、中国ではほとんど見受けられないという。先祖が暮らしていた土地と同じ場所で生きている人はきわめて稀だからだ。つまり土地にたいして、よく言えば執着心がなく、悪く言えば責任感がない。言い換えれば、わたしの所有物ではないが、同時に、あなたの所有物でもない。そのような割り切った土地への意識が、おそらく車道を自由に歩行する身ぶりにつながっているのではないか。すなわち車道といえども、車のものではないし、私のものでもない。しかしだからこそ、空いていれば、そこは誰であれ公平に使用しうるのだと。
むろん、これは想像的な推察にすぎない。中国人の当事者からは異論が出るかもしれない。だが重慶の街並みで感じた快適で自由な雰囲気は、このような土地意識の反映ではなかろうか。歩道や広場、電車といった公共空間で中国の人びとは誰もが他者への無関心を貫いている。いや、「無関心を貫く」というより、そもそも「関心がない」と言うべきか。たとえわたしのような外国人が紛れていたとしても、基本的には無視されるし、一瞥されることはあっても、それ以上は何もない。個々人がそれぞれの自由を勝手に追究しているのだ。むろん国家権力による統制がないわけではないが、少なくとも市井の人びとの水準で言えば、その放っておかれる雰囲気がたまらなく心地よいのだ。こうした、いわば社会主義国における徹底した個人主義は、自由社会を謳いながらも、その実たえず周囲の人びとの言動に眼を光らせている日本の不自由な公共空間のありようとは、きわめて対照的だった。土地や公共空間の意味が、ことほど左様に異なることを、まざまざと実感したのである。
鴻池朋子による本展は、昨年、神奈川県民ホールギャラリーで催された展覧会の巡回展である。だが基本的な構成を踏襲しながらも、最近制作された新作もあわせて含んでいるため、たんなる巡回展というより、むしろ制作しながら生きている鴻池朋子の同時代的な時間性をそのまま凝縮した現在進行形の展覧会と言うべきかもしれない。事実、全長24メートルにも及ぶ大作《皮緞帳》は新たに加筆されたうえで展示され、前回は展示されていなかった版画作品なども新たに展示された。「もはやおなじものではいられない」という鴻池自身の言葉を体現したような展観であった。
この言葉には、はたしてどんな意味が含まれているのか。「全国の美術館を渡り歩きながら庶民とはかけ離れた「現代美術」を再生産するアーティストのありようが打ち棄てられているのか。あるいは、震災によって決定的な断絶を経験したにもかかわらず、その裂け目を直視することから逃避し続けている私たち自身の自己保身が撃たれているのか。いずれにせよ、この世界を構成する生命体が有機的に接合したイメージを全身で体感すればするほど、ある種の大きな切断面が心の奥底に広がるのである」。前回の「根源的暴力」展について、こう書いた。基本的な評価は変わらない。根源的暴力とは、来場者をその切断面や裂け目に直面させることを意味していると解釈する点も同じだ。けれども牛皮を縫合したポンチョの作品だけは、印象がかなり異なっていた。
前回、彼らは会場の一角にうずくまるようにして設置されていた。いずれも中身が黒いマネキンであるため、その空虚を埋める新たな身体──すなわち、「あたらしいほね」──が要請されているように見えた。「もはやおなじではいられない」のだとすれば、ではどんな身体がふさわしいのか。来場者の想像力はポンチョに収める身体のありようをめぐってどこまでも広がったのである。しかし今回の展覧会では、彼らは会場の中にも設置されていたが、大半は会場入口前のロビーにまとめて展示されていた。注目したいのは、ひな壇状に立ち並んでいたせいか、彼らを見上げると、わたしのもとから立ち去っていくように見えたことだ。わたしたちが追いつくのを待っているのかもしれないが、みな背を向けているため、いまにもこの場から飛び立ってしまうかのようだ。この違いは決して小さくない。
去りゆく彼らと残されるわたしたち──。その非対称性を思い知ったとき、急激に浮上してきたのが土地だった。むろん美術館であるから土地そのものが剥き出しになっているわけではない。けれども、いまにも飛翔せんばかりのポンチョたちを見上げていると、逆説的に、自分たちが依って立つ土地のありかに思いを巡らせることになったのだ。向こう側の世界に消え去ってしまうかのような彼らのイメージが、こちら側の世界で生きるわたしたちの足元を逆照したと言ってもいい。「もはやおなじものではいられない」のだとすれば、「あたらしいほね」が必要だろう。だがそのとき、土地はどんな土地がふさわしいのか。わたしたちはどんな土地に立つことができるのだろう。自由や幸福はどんな土地で育まれるのだろう。どんな土地で生きていけばよいのだろう。
初出:「artscape」2016年09月01日号
鴻池朋子展「根源的暴力vol.2 あたらしいほね」
会期:2016年7月9日~2016月8月28日
会場:群馬県立近代美術館