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本棚雑誌 銭湯ペンキ絵 田中みずき

「本棚雑誌」を創刊しました。これは「代官山 蔦屋書店」の本棚の一部を雑誌の誌面に見立て、いろんな記事や写真、そしてじっさいの書籍を紹介するものです。紙媒体として印刷することはもちろん、ネット配信もしないので、文字どおり、この場所でしか読むことはできません。あまり知られていない魅力的な人や物、思わず手にとって読みたくなるようなおもしろい書籍を、ご紹介していきます。ほんの束の間ですが、ぜひここで「立ち読み」してください。
                   
責任編集=福住廉(美術評論家)


「銭湯ペンキ絵」をご存知でしょうか。銭湯の浴場の壁によく描かれている富士山の絵、あれです。末広がりの富士山の下で湯に入ると、のびのびとした気持ちになって、ほんとうに気持ちがいい。身も心も洗われて清められたような気がします。ペンキで描かれた鮮やかな絵は、銭湯の代名詞と言ってもいいほど、銭湯には欠かせません。けれども銭湯自体が都内から減少しつつある今、その希少価値は以前にも増して高まっています。


絶滅寸前の仕事。銭湯ペンキ絵師は、まさにそのひとつと言えるでしょう。『職業外伝 紅の巻』(秋山真志著・ポプラ文庫)は、伝統を持ちながらも継承者に恵まれない職人の生き様に迫ったルポルタージュの傑作です。飴細工師や紙芝居師、彫師、見世物師、幇間、さらには世界最古の紙である野州麻紙の紙漉き職人や、コブラの蒸し焼きを製粉機にかけたコブラパウダーを売るへび屋など、いずれも好奇心を刺激する職業ばかり。専門的な知識がなくても、必要な情報はコラムで補ってくれるので、たいへん読みやすくわかりやすい。



この本の中に登場する銭湯ペンキ絵師が、中島盛夫さんです。昭和20年(1945)、福島県飯舘村に生まれた中島さんは小さな頃から絵を描くのが大好きで、中学・高校ともに美術部。上京後、銭湯のペンキ絵に出会ったことから当時の第一人者、丸山喜久男さん(故人)に弟子入りして銭湯ペンキ絵の世界に入りました。以来、この道一筋、およそ50年。現役バリバリの銭湯ペンキ絵師です。都内で言えば、足立区の大黒湯や杉並区の亀の湯のペンキ絵は、すべて中島さんの作品で、ダイナミックな富士山を楽しむことができます。



銭湯について要領よくまとめた『美の壺 銭湯』(NHK美の壺制作班編・NHK出版)によると、中島さんが使うペンキの色は4から6色。パレットの上で混ぜあわせ、濃淡をつけながら刷毛で色をのせていきます。壁面の手前の景色を濃く、背景を淡く描くことで全体的に奥行き感が生まれるそうです。

「ペンキ絵っていうのは、湯船で見るには近すぎる。洗い場に入った瞬間、パッと目の前が開け、広く見えるように描いているんだ」

銭湯の浴室に入った瞬間のあの独特の開放感は、ペンキ絵による視覚効果のおかげだったのです。


そんな中島さんは弟子を取っていませんでした。なぜならペンキ絵師の仕事は体力的に過酷で、経済的にもとくに恵まれるわけでもなかったからです。そこへ、今からおよそ10年前、突如として1人の若い女性が中島さんの前に現れました。その女性は中島さんに向かって、こう言ったのです。

「弟子にならせてください」

中島さんはたいへん驚きました。銭湯ペンキ絵師といえば男性の仕事であり、しかも当時の絵師たちはみなすでに高齢だったからです。すぐさま断りましたが、その若い女性はしつこく食い下がり、なかなか諦めません。とうとう根負けした中島さんは、しぶしぶ彼女を弟子として仕事の現場に同行させるようになりました。


田中みずきさん。大学で美術史を専攻し、卒業論文のテーマには銭湯ペンキ絵を選びました。研究を進めていくうちに、だんだん自分でも描いてみたくなり、意を決して中島さんの元を訪ねたのでした。当初は中島さんの仕事を補佐する雑用をこなしていましたが、やがてペンキ絵の背景を描かせてもらえるようになりました。とはいえ、銭湯ペンキ絵の世界では長年の修行が必要です。ひじょうに基本的で地道な作業を繰り返す日が続きます。どうやら中島さんも、そのうち根をあげて逃げ出すだろうと高を括っていたようですが、田中さんはじつに根性のある女性だったのです。修行を途中で投げ出すような甘さを自分に許していませんでした。来る日も来る日も、青い空を淡々と描き続けました。


弟子として修行を始めて9年目、ついに田中さんは独り立ちしました。女性の銭湯ペンキ絵師としては、正確にはわかりませんが、おそらく史上初でしょう。独立後の田中さんの活躍は目覚ましいものです。都内の銭湯で定期的にペンキ絵を描き替えているのはもちろん、個人宅の浴室にペンキ絵を描くためにイギリスまで飛んだことも。最近では、アウディ・ジャパンとのコラボレーション企画で、R8スパイダーというアウディのスーパーカーと富士山をあわせたペンキ絵を描くなど、「銭湯ペンキ絵」という概念の幅を押し拡げるような活動にも挑戦しています。いま日本に3人しかいない銭湯ペンキ絵師の一人である田中さんは、銭湯ペンキ絵を確実に次の時代に押し進めているのです。


ところ変わって、新潟県十日町市。越後湯沢からのローカル線「ほくほく線」で1時間ほどの「まつだい」駅で降りてすぐそこに、まつだい「農舞台」があります。「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」の拠点ですから、ご存知のかたも多いでしょう。周囲に点在する草間彌生やウラジミール・カバコフらの作品がよく知られていますが、館内のギャラリーでは、いま田中みずきさんの展覧会が催されています(11月9日まで・現在は終了)。



暖簾をくぐって会場に入ると、目に飛び込んでくるのは、もちろん大きな富士山。透明感のある色彩で描かれたそれは、中島さんの描くダイナミックな富士とは異なる、田中さんならではの流麗な富士山です。対面に描かれているのは、まつだい周辺の里山の風景で、「農舞台」をはじめ、山の上のお城、美しい棚田、険しい山道の先にある神社などが見受けられます。ケロヨンが置かれたスノコに座って見上げると、まさしく銭湯で見るペンキ絵と同じような開放感と迫力を味わうことができます。



もともと新潟には銭湯はほとんどありません。ところが、どういうわけか東京の銭湯の経営者には新潟県出身の人が多いのです。田中さんは、もしかしたら展覧会でペンキ絵を描くことによって「銭湯」を里帰りさせたのかもしれません。


田中みずき

1983年大阪生まれ。幼少期から東京で育つ。明治学院大学にて美術史を学ぶなか、卒業論文で銭湯のペンキ絵について調べたことをきっかけに、銭湯ペンキ絵を制作する絵師の下に弟子入り。9年の修行を経て、昨年から一人で制作を始める。http://mizu111.blog40.fc2.com/

〈奥付〉
「本棚雑誌」vol.1
発行=2014年10月27日
編集=福住廉(美術評論家)
AD=鎌江謙太(Arts & Detail.)
撮影協力=櫻(フォトグラファー)

本棚雑誌 特集「銭湯ペンキ絵」
会期:2014年11月6日(木)〜2014年11月28日(金)
時間:7時00分〜26時00分
場所:代官山蔦屋書店2号館1F美術コーナー
編集:福住廉
AD:鎌江謙太(Arts & Detail)
写真協力:櫻(Photographer)

限界芸術百選プロジェクト#1 田中みずき 銭湯ペンキ絵
期間:2014年7月19日〜11月9日
場所:まつだい「農舞台」ギャラリー
参加:田中みずき

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