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会話が自ら歩き出す

合同会社逍遥学派の共同代表をしています。
福崎です。

日常に雑談をおくというプログラムをやります。
雑談の時間が面白くて、もっと日常にあったらいいじゃない?でも意外とオンラインだと目的とか時間が決まっててやりづらいよね。というところから企画が生まれたのですが、
プロジェクトメンバーの記事を読んでいたら詳しく背景が書かれていたので、
僕は雑談をどう捉えているかについて考えている記事を書きます。

メンバーの。


場が考える

共話という言葉は、ドミニク・チェンさんの『未来をつくる言葉―わかりあえなさをつなぐために―』で初めて知りました。

共話とは、次の例のように、話者同士が互いのフレーズの完成を助け合いながら進める会話様式を指す。  
A:「今日の天気さぁ」  B:「うん、本当に気持ちいいねぇ」  
こんな何気ないやり取りにも共話の特徴が見られる。
まず、Aは未完成のフレーズを宙に放り投げ、それをBが受け取って完了させる。この時重要なのは、「気持ちいいねぇ」という結論にAが同意するかどうかではなく、あくまでBがAの意を受け取ろうとしている点だ。
次に、「天気が気持ちいい」における「天気」という対象語をもBはAから受け継いでいる点。さらに、あいづちの「うん」から受け継ぎを開始している。

ドミニク・チェン. 未来をつくる言葉―わかりあえなさをつなぐために― . 新潮社. Kindle 版.


その後対話と比較する形で以下の図が示されます。

ドミニク・チェン. 未来をつくる言葉―わかりあえなさをつなぐために― . 新潮社. Kindle 版.


その上で両者の形式的な違いに注目すると、共話とは互いの発話プロセスを重ね合う話法であるのに対して、対話とはターンテイクを行い、互いの発言をなるべく被せ合わせない話法であるといえる。対話では、発話主体は明確に区別され、相手が言ったことを受けて次の発話内容が決まる。対して共話では、フレーズの主語が共有されることで発話主体の区別が曖昧になり、内容はリアルタイムに生成される。だから、対話では個々の主体の差異が明確になるが、共話のなかでは主体がコミュニケーションの場に融け込んでいく。

ドミニク・チェン. 未来をつくる言葉―わかりあえなさをつなぐために― . 新潮社. Kindle 版.


「発話の主体が曖昧になる」「互いの主体性が交わる」
というところがとても重要だと思っていて、つまり雑談とは自分が考えるのではなく、場が考えるようなコミュニケーションのありようなのではないかと思うのです。
場が考える、というのは福崎の身体的な感覚です。場で考えるのであれば、例えばファシリテーターがいたり、フレームワークがあったりするのかなと思いますが、雑談は基本そうした作法がありません。(共話的なことが起こるための空気感はありそう)


過剰に脱線し続けた先に突然出口が見える

作法がないので、話題は簡単に着地しません。なんとなく話し始めたテーマがあったとして、そこから脱線することばかりになります。でも、その脱線を話の本筋にもどず、さらに脱線させる・・・ということをひたすら重ね続けることになります。ここでビビらないことが重要です!
何を話していたか忘れるほどに、とんでもないところへと飛んでいきますが、それらは伏線になります。閾値までいくと創発し急にはじめのテーマに紐づいてきます。
そうした当初思いもよらなかった結論に辿り着いてしまう。
雑談とはそんなものなのではないかと思うのです。そして閾値まで辿り着くには日を跨ぐこともあります。


会話が自ら歩き出す

アートを自己表現として考えている方々は、「制作」というものをインプットしたもののアウトプットとか、アーカイブされたものへの検索行為として理解している。「どこからこんなイメージが出てくるの」とか「作品づくりには教養が必要」などと言うわけである。すなわち、再現/表象としての作品イメージである。しかし実際には、自己表現を超えた作り手たちは自作品に驚きながら、自分都合ではどうにもならない制作体験をしている。作者はインタラクティブにつくりながらつくられ、モノと協働し、身体図式をメディウムにして、イメージがなりたいようになる手伝いに徹している。そしてこれを「作品自身が考えたこと」だと述懐する。

中島智.142 イメージは考える ~ 文化の自己目的性について

大学時代に教わった中島先生の文章がまさに・・・と感じていて引用しました。有料部分にもう少し核心に迫ることが書いてあるのですが、今回は冒頭を。
これは自分も何かを作ることに自分自身に起こっていることだと感じているのですが、雑談の場でも近いことが起こっていると感じているのです。
何か結論を出すための会話ではなく、結論を手放しながら、どこにいくかわからず、「会話」自体が歩き出してしまい、その「会話」にエネルギーを与えるようにして話者が話題を重ねていく。
これが雑談の時に自分が感じている、場が考える感覚、言い換えれば会話が自ら歩き出す感覚です。

こういう時間は関係性や余裕があってこそ生まれると思いますが、
今回は実験的にそれらがあまりない場でもできないだろうか・・・という試みになります。
プレイベントは来週の12/18(水)の19:30〜21:30。ここでは雑談が生まれるのかを実験します。
そして来年は8ヶ月間、毎月1回集まって雑談をする場を作ろうと企画しています。

どうぞご参加いただけると嬉しいです。

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