無力さを感じながら、手足を動かし続けられるのだろうか? 気仙沼を訪れて、底上げと出会って
東日本大震災の時、僕は中学3年生で、東京に住んでいた。
気仙沼を覆う想像もつかないような津波、漏れ出した重油が引火し、文字通り火の海になる。
そうした光景がテレビの向こうから見えていて、
しかし僕にとっては、全く理解が及ばず、テレビの世界のことだった。
気づけば12年が経ち、原発の処理水の海洋放出というニュースが流れるこの夏に、遠いから、時間がないからと、いかない理由を積み重ねていた被災地を訪れる機会に恵まれた。
しかも、震災から程なくしてボランティアとして気仙沼入りした大