ハーバード見聞録(49)
「ハーバード見聞録」のいわれ
本稿は、自衛隊退官直後の2005年から07年までの間のハーバード大学アジアセンター上級客員研究員時代に書いたものである。
本noteでは、下記の6項目の順に述べるが、分量が多いので1~3については前週のnoteで【前段】として掲載した。今週は引き続き4~6を【後段】として掲載する。
韓国はどこへ行くのか【後段】(12月19日の稿)
1 米韓関係の悪化の現状(トピックとして紹介)
2 ノ・ムヒョン政権誕生までの朝鮮半島情勢概観
3 ノ・ムヒョン政権のアメリカ離れと親北朝鮮・中国重視政策の真意
4 次期韓国大統領選挙の展望
5 反米、親中国・北朝鮮政権が誕生した場合の米国・日本の対応
6 結言
4 次期韓国大統領選挙の展望
今後の米韓関係を占う上で、次期韓国大統領の外交政策がきわめて重要であると言う点では異論は少ないだろう。
ノ・ムヒョン大統領の任期は、北京五輪直前の2008年2月までである。選挙は来年の2007年12月に行われる予定。次期選挙で当選する大統領の外交政策としては次の三つのシナリオが考えられる。
シナリオ1: ノ・ムヒョン現政権の外交政策を継承する大統領が誕生し、親中政策が進行し、アメリカ離れが加速する。
シナリオ2: ノ・ムヒョン現政権の外交政策を否定する大統領が当選し、米韓関係の再強化を図る。
シナリオ3: 上記(シナリオ1と2)の中間の外交政策を主張し当選し、米・中間で遊泳的な外交を展開する。
来る大統領選挙はどのように展開するであろうか。その意義・特色は次の通りと考える。
①選挙の争点が、「米韓同盟重視」と「親中国・北朝鮮」という韓国史上初めての外交・戦略の選択を選挙の争点とした選挙
②北京五輪直前の選挙で、政治的・経済的・社会的に北東アジアにおいては「中国風」が強まる中での選挙
③キム・デジュン政権からノ・ムヒョン政権の間それまで国是とされて来た「反共政策」が徐々に弱められ「親北朝鮮政策」が10年間も培われた後の選挙
④中国が台頭する中で、米国、中国それぞれのアジア戦略の焦点の一つである朝鮮半島の帰趨を占う選挙
以上挙げたように、来る選挙は、韓国民のみならず、特に日本、米国、中国、北朝鮮の戦略・利害にも直接結び付くものである。従ってこれらの国々も、内政干渉は出来ないものの、直接・間接の形で、自己に有利な大統領候補にプラスに働くような動きをすることであろう。
これら、主として米・中・北の韓国大統領選挙に対する働きかけは、従来に無い激しいものになることが予測され、文字通り「選挙『戦』」の様相を呈するものと思われる。韓国人特有の「激情に走りやすい性格」と相俟って朝鮮半島は大きな緊張に包まれる可能性がある。
この有様は、嘗て19世紀末、最後の李氏朝鮮王朝に対し、日本、清国、ロシアなどが入り乱れて、自らの影響力拡大に画策・奔走した歴史を髣髴とさせるような展開が予期される(新潮文庫「閔妃暗殺」角田房子著参照)。
特にアメリカは、前回ノ・ムヒョン政権を誕生させた教訓を深く反省し、在韓米軍幹部、ソウル駐在の大使館員及びCIA職員などを強化し同じ轍を踏まないように注意していることだろう。
ノ・ムヒョン政権誕生の一因になったのは、「二人の女子中学生の轢死事件」であった。
2002年6月13日、韓国の京畿道で、ミソンちゃんとヒョスンちゃんという二人の女子中学生が訓練中の在韓米軍第2歩兵師団の装甲車に轢かれ死亡した。この事件の判決が、大統領選挙(2002年12月19日)直前の11月22日に、在韓米軍軍事法廷で下され、「無罪判決」となった。
これにより、一挙に反米感情高まり、全国規模の抗議運動が展開された。この抗議運動は、直ちに大統領選挙に大きな影響を及ぼし、米軍事法廷判決直前の11月18日の世論調査では、イ・フェチャン(保守)候補が62.9パーセント、ノ・ムヒョン候補が28.0パーセントだったものが、判決4日後の11月26日の調査では、イ・フェチャンが39.0パーセント、ノ・ムヒョンが48.0パーセントと逆転した。
5 反米、親中国・北朝鮮政権が誕生した場合の米国・日本の対応
〇 アメリカの冷戦後の東アジア戦略
筆者は、文献で確認している訳ではないが、必然的にアメリカの対中国基本戦略は「共存共栄戦略」であると見ている。但し、アメリカは当然のことながら、中国がアメリカの権益を許容できない程度・規模で犯そうとした場合、主として軍事的手段により、これに対処できる準備を並行して行うこともこの戦略には包含されていることだろう。
アメリカの対中国共存共栄戦略については、この戦略の名称を明瞭には規定してはいないものの、ボストン大学教授兼ハーバード大学ジョン・キング・フェアバンク・センター(東アジア研究)準教授Robert S. Ross 教授の「平和の地理学、21世紀における東アジア」という論文(International Security, Vol.23 NO.4(Spring 1999),pp.81-118)にそのアウトラインが記述されている。
同教授の論文を要約すると次の通り。
〇 対中国戦略上アメリカにとっての韓国の価値
冷戦時代、アメリカは欧州における対ソ戦を想定した陸・海・空軍・海兵隊戦力をソ連の周縁に配置・展開した。米国は、ソ連の大規模な機甲戦力と欧州で戦うため、西ドイツに陸軍の機甲師団などを集中配備していた。
これとは対照的に、中国との軍事対決のシナリオを考えれば、陸軍(機甲戦力)が主役となる戦場はほとんど無いと言わざるを得ない。台湾及び朝鮮半島における決戦兵力は海・空軍に重点が移るものと見られる。かかる観点から、朝鮮半島(韓国)に陸軍・海兵隊の基地を維持する必要性はそれほど高いものではないと考えているのではないだろうか。海軍基地としての価値はどうか。米海軍は、現在、韓国には一部の支援部隊しか配置していないことを見ても、その戦略的な価値が乏しいことが窺われる。空軍は、水原や烏山などに基地を設け、F-16 戦闘機60機を展開しているが、中国との戦闘を想定すれば、北朝鮮から奇襲的な先制航空・ミサイル攻撃やゲリラ攻撃などが考えられ、日本の基地よりもリスクが高いと思われる。
このように考えれば、北朝鮮の脅威から韓国を防衛のためには現在の在韓米軍基地は必要であるものの、対中国戦略上の韓国の価値は日本に比べれば低いと看做される。
〇 米国の対韓国防衛戦略の再検討―アチソン・ライン再設定の可能性
第2次世界大戦直後の1950年1月12日、アメリカの国務長官アチソンは「アメリカが責任を持つ防衛ラインは、フィリピン―沖縄―日本―アリューシャン列島までである。それ以外の地域は責任を持たない」と発言した。この発言が朝鮮戦争の引き金になったとも言われている。
韓国のアメリカ離れが進み、中・韓関係が強化されれば、アメリカは米韓相互防衛条約を見直し(これを破棄するか、緩やかな方向に修正するかの幅があると思われる)、明言するか、米国政府内の暗黙の了解事項とするかは別にしても、アチソン・ラインを再設定する可能性は排除できないのではないだろうか。
かかる動きは、アメリカのイニシアティブで行われる場合と韓国・中国のイニシアティブの場合の二通りが考えられる。
私のこのような考え方について、航空自衛隊からの留学生・影浦誠樹2佐に意見を求めたところ、下記のように私の考え方に対して肯定的なコメントをいただいた。
〇 米韓相互防衛条約修正・破棄に対する日本の対応
アメリカが、韓国を戦略上の防衛範囲から除外した場合我が国は、明治以降、常に追及して来た大陸(中国・ロシア)に対する「戦略的縦深性(バッファーゾーン)」を失うことになる(敗戦後はアメリカ・在韓米軍の力により、現在の非武装地帯まで縦深を維持)。日本は、米国の対中国戦略上、最も重要な「最前線基地」とならざるを得ない。このような日本の立場は、冷戦時代に一国でソ連の重圧を支え続けた西ドイツの立場に近いものであろう。
アメリカが韓国を戦略上の防衛範囲から除外した場合の我が国防衛にとってのメリットとデメリットは次のように整理できる。
【メリット】
・米国の対日防衛のコミットメントがより鮮明になる。(日米安保条約の信頼性の向上)
【デメリット】
・大陸に対する戦略縦深性の喪失
・中・韓との外交的、軍事的軋轢の増大
・中・韓の工作により、アジア諸国との外交関係が悪化する恐れ
・日米安保条約等に基づく負担の増大
6 結言
2月3日にソウルで行われた在韓米軍司令官の交代式典において、離任司令官であるラポート陸軍大将が行った下記の離任スピーチは、現在の米国と韓国との関係を的確に反映している。
さらに、ラポート陸軍大将は、米韓同盟破綻の危機を念頭に次のように悲痛な訴えを行った。これは、在韓米軍司令官が米韓同盟の危機を深刻に受け止めていることを示す証左であろう。
アメリカ政府もラポート司令官の離任式典におけるスピーチのように米韓関係が危険な段階に近づきつつあることを深刻に認識しているものと思う。今後、様々なレベル、チャネルで、米韓関係維持の努力がなされる一方、両国とも「離婚」のシナリオについても隠密裡に検討しているものと思われる。
わが国の安全保障にとって、韓国を「わが陣営」から失うことは、わが国の安全保障上極めて大きな損失であることを深刻に認識すべきである。わが国においても、米・韓の関係悪化を、「対岸の火事」と傍観することなく、今こそ総力を上げて、日韓関係の強化と米韓関係改善の側面からの支援を真剣に行う時であると思う。
米韓の「離婚」は、日本の安全保障にとってはデメリットの側面が多いことは明らかで、「離婚」が現実のものになる際は、日本としては、これらのデメリットを如何にして克服するかが大きな課題となろう。
わが国を取り巻く情勢は、中国の台頭を基調として、北朝鮮問題の深刻化、米韓関係の悪化などが期せずして同時並行的に展開するダイナミズムの中で、我々は、待った無しの対応を迫られつつあり、敗戦後最大の危機に向かいつつあるのかもしれない。