ハーバード見聞録(41) 後段

「ハーバード見聞録」のいわれ
 本稿は、自衛隊退官直後の2005年から07年までの間のハーバード大学アジアセンター上級客員研究員時代に書いたものである。

今週は、前週(11月30日)の「三十二の瞳」【前段】に引き続き【後段】を掲載します。


三十二の瞳【後段】(10月24日の稿)

前回(12月2日)の【前段】では、以下のようなことを書いた。
 
2005年12月10日に、ボストン日本語学校の担任の吉田喜美先生の要請で、6年2組の16名の子供達とその保護者に講話(おはなし)をする機会を頂いた。

第1時限目は簡単な自己紹介の後「大いなる未来に向かって」というテーマで私が書いた「椰子の実随想」というエッセイ集の中から「生命の松明を輝かせよう!」と「ミミズの大冒険」の二つを選んで話した。

第2時限目は「団塊の世代の子供時代の思い出」と題し、私が五島・宇久島で過ごした少年時代の思い出を綴った「椰子の実随想」のエッセイの中から「鎮台ゴッ」、「目白」、「雉」の三つを選んで、吉田先生が準備して下さったスライドの写真を見せながら、各エッセイの全体を説明した後にそれぞれのエッセイの中の最も面白い部分を抜粋して私自身が朗読して聞かせた。

自衛官現役の頃、周辺の町の人達に「部外講話」と称するスピーチは沢山させて頂く機会があったが、お聞きくださるのは「大人」が対象だった。今回の対象は小学校の6年生だった。子供達に分かるように話すのは大変難しいと思ったが、「三十二のキラキラ光る瞳」と向き合い話をさせて頂いたことは、私自身にとって大いに充実した時間であり、けだしアメリカ滞在間の最も良き思い出の一つになることだろうと思った。

その後、吉田先生から子供達と一部の保護者の感想文をお送り戴いたので、お許しを得て、私の尊い宝物として、アメリカ見聞録に収録させて頂く事とした。
以下が【後段】である。

〇子供達の感想文

 ①     縣(あがた)さくらさん
土曜日私達は、3時間という非常に短い時間の中で福山さんの授業を見てこう思いました。福山さんは、自分に自信を持っている人だと思いました。なぜかというと、福山さんの授業で、私達がここにいるのは、何千年も前に生き延びた私達の祖先のお陰だからと言っていたからです。
今日、自分がここにいるのは、父母だけのお陰ではないということです。福山さんは、もし自分にコンプレックスなどがあるということは、自分達の祖先を侮辱しているという事だとおっしゃられていました。私はそんな福山さんの授業を受けて、生きるという事は、とても大切なんだとしみじみ思いました。そしてこれからも生きる時間を大事にしていき、私達の先祖に感謝していきたいです。

②     アルマゼイディー・ヤスミンさん
小さい頃からの思い出、特に昆虫―くもやありやちょうをつかまえた話はちょっと、“ぎょ”としました。なぜなら私は、くもが大の苦手だからです。見るのもいやだし、さわるなんてとんでもない話です。きじの話はせっかくつかまえたのに死んでいたのでとても残念だったろうと思いました。私はくやしいーと思いますが、私は鳥もさわることができません。
今まで自衛隊はアーミーだと思っていたので、違いが分かったし、第二次世界大戦のあと、日本が軍隊を持ていない事も分かりました。一番心に残ったのは、ほんやくして初めて意味が分かった「挑め!果敢に」という言葉でした。
私も多くの事にチャレンジしています。ありがとうございました。

③     岡田真愛さん
2時間目と3時間目に話してくれて、ありがとうございました。私は、くも、きじの話がおもしろかったと思いました。くもを飼って昆虫を食べさせて、友達のくもと戦わせたりして、おもしろそうでした。どうやって自分のくもだと分かりましたか。
きじを捕まえる時の話が一番良かったと思いました。きじに近よっていく時、なんだか、「捕まえたの。逃げたの。」と思いました。でも、捕まえたけど、もう死んでいたのでざんねんでしたね。でも、福山先生がきじを食べるなんて、私はびっくりしました。食べるとは思わなかったのです。
福山先生、あなたの時間を私達のために使ってくださって、どうもありがとうございました。サンキュー・ベリー・マッチ。

④     小川健太朗君
ありがとう。
自分の時間をぼくたちのために楽しい事を教えてくれて。
くもの戦い、鳥をつかまえる、きじを見つけた事を教えてくれて。
ぼくは、くもを戦わせるのが一番すきだった。
ぼくは、戦いで負けたくもが何になるかを考えてた。
ぼくもくもを飼って戦わせたいな。
鳥を棒につけるのは、かわいそうだと思った。
鳥が棒につけたらどうやって取るかと思った。
いろんな楽しい事を教えてくれて、ありがとう。

⑤     黒木文香さん
今週の土曜日、私達6年2組に福山先生のパワーを分けてくださり本当にありがとうございました。
私が感動した事は、私には86億人×86億人以上のご先祖様からの命のエールを受け継いで今生きている事が分かった事です。そして私はこの大切な命に自信を持って生きていかなくてはいけないと言う事です。
次に印象に残ったのは、福山先生の故郷宇久島のことです。特にびっくりしたのは、鎮台ゴッを棒の上にのせて戦わせる遊びです。私はくもは苦手ですが、小さいくもの世界にもものすごい力があるということを知りました。
福山先生のお話は、今まで思ってもみなかった事ばかりでとても興味深かったです。私はアメリカで小さい人間ですが、自信を持って、きじやくも(ゴッ)のように力強く生きて行きたいと思いました。そしていつか私も宇久島に行きたいと思いました。福山先生本当にありがとうございました。

⑥     小玉正斗君
今日、僕は日本語学校であった特別授業の感想文を書いています。特別授業では元自衛隊の福山先生が来てくれました。福山先生は陸上自衛隊ではその中で一番えらい、指揮をとる人でした。そんなにすごい先生が教えてくれたのは、僕達の先祖のこと、先生の子供の頃の時代ではまっていた遊びなどでした。
僕が一番興味をしめしたのは、目白とコガネグモのことでした。エッセイはいっぱいの自然がふくまれていて、まるで宮沢賢治の詩を読んでもらっているようでした。そして同時に、宮沢賢治と同じぐらい自然と語り合える人だなと思いました。
さすがに福山先生からはすごい気迫が感じられてぼくもずーっと緊張していましたが、話を聞いていると、僕達子供のような純粋な心を持っていると思いました。今度、会った時はまたいろんな事を教えてもらいたいと思います。

⑦     佐藤勇希君
先週は特別授業に来てくれてありがとうございました。とても楽しかったです。最初に話してくれた、千年前は2³³の約86億人の祖先がいると聞いて驚きました。その人たちはどんな人たちだったか興味がわいてきました。
そして先生が子供の頃に体験したくもの戦い、目白のつかまえ方やきじの話はとてもおもしろかったです。ぼくもそういう楽しい島に住んでいたらいろいろな体験をしてみたいです。でもアメリカでもこれからいろんな体験ができると思うので、しっかり生きていたいと思います。
来てくれてありがとうございました。

⑧     佐野瑛梨奈さん
先週、私達のクラス、6年2組に素晴しいお話をしてくれて、どうもありがとうございました。
私は特にご先祖様の話が心に残りました。それは、ご先祖様が上の天国から、私達を見守っている事です。自殺をすると、ご先祖様が怒るという事がよく言えていたと思います。私にも、自殺をしようとした友達がいます。福山先生の言った事をその友達に伝えてあげたら、「じゃあ、もっと生きていく事に集中すれば良いんだ。」と、言っていました。
私は、福山さんが来る前、あんまりご先祖様の頃は考えていませんでした。私に1800人以上のDNAがまとまって入っていると言う事は、本当にすごいと思いました。福山先生の話を聞いた後、私は、何かをする前に「ご先祖様はどう思うだろう。」なんて考えたりもします。
福山先生が動物と自然と遊んだ事が非常に素晴しい事だと思いました。今の子供達はほとんどみんな、ビデオゲームやテレビを見る事が遊びだと思っています。福山先生の自然とのつながりがとても大切だと思います。
私達の命は本当に大きな旅みたいですね。私の、これからも、永遠に続く旅に持って行けるこの知識と言う名のすてきなプレゼントを与えてくれて、どうもありがとうございました。

⑨     宍戸香於里さん
福山先生が話したご先祖様が頑張って生きてきた命で自分がいるんだなと思って感動しました。自分の一つの命をもし捨てて自殺をしていまったら、どれだけ両親、友達が悲しんでご先祖様が怒っているでしょう。
そして鳥もちと蜘蛛で遊んでみたいです。田では、よく鶴や蛇、かえるやおたまじゃくしを見ました。田んぼにはかえるかおたまじゃくしが泳いでいる時には、小さな箱でおたまじゃくしを捕まえるのを覚えています。蛇がおじいさんの墓ににょろにょろ山にいたり、おばあさんの畑に毒蛇、蝮(マムシ)がうろついたりしていたのを覚えています。
私達の教室に来てくれてありがとうございました。

⑩     島津治紗子さん
土曜日の2時間目と3時間目に来てくださってありがとうございました。私には86億人以上のご先祖様がいるとおっしゃった時、私はとてもおどろきました。自分のためにそんなにたくさんの人がまきこまれているとは知らず、とてもありがたいです。
先生に教えてもらったくもや鳥のお話もとてもおもしろかったと思います。先生のお話を聞いた後、私も福山先生が住んでいたようなところへ行ってみたいと思いました。来てくださってありがとうございました。

⑪     下本仁宣君
ぼくは、福山先生の話はすごかったと思いました。
一つめの理由は、くもを素手でつかまえたからです。ぼくは、くもを見つけると気持ち悪くていつもティッシュを使ってつかまえるからです。
二つめの理由は、先祖が何千人も居ると、語られたからです。ぼくはいつも何千人くらいの先祖がいるのと思うと気が遠くなりますが、福山先生の話で少しは落ち着きました。
ぼくは、また福山先生が来た場合は、2時間目くらいに来てもらっていろんな話をしてもらって、習いたいと思います。

⑫     中谷泰治君
福山先生が話しに来てくれて、僕はいろいろな事を学びました。
一つは、生き物全て、平等にチャレンジや困難があると言う事です。人間にとっては何でもないようなことでも、ミミズにとっては冒険になるというような事、前からわかっていたつもりでした。でもあのスピーチを聞いて、改めてそれを感じました。
もう一つは、昔の遊びがどれだけ今と違っていたかです。「今みたいにゲームとかがなかったから昔の遊びは違ったんだろうなあ」みたいなことは思ったけど、まさかここまで差があったとは思いませんでした。中でも、くもを棒の上で闘わせるというのが印象的でした。  
鳥もちで鳥をつかまえるというのもおもしろそうだと思いました。
この日学んだ事を胸に刻み、これからの人生で役立てたいと思います。

⑬ 馬場直人君
2時間、話してくれてありがとうございました。一番心に残ったことはどんなに今と昔の遊びが違っていたことでした。
今は、ビデオゲーム、テレビが遊びとなっています。でも昔は、目白をつかまえること、くもを戦わせる事だときづいてビックリしました。
もう一つビックリしたことは、祖先の数です。千年前一人の祖先だけで86億人(2³³)人がいることです。でも、これで気づいた事があります。ほとんどの人はどんなに少なくてもこのクラスの誰かと同じ血を持っていることです。だから人を殺す事はいとこを殺す事のようになるのです。
福山先生ありがとうございました。

⑬     真木恵鈴さん
特別授業ありがとうございました。心に残ったことは、目白や他の鳥を鳥もちでとったことです。私は、くもがあんまり好きじゃないんですが、友達と戦わせることがおもしろいと思いました。
私は、福山先生の話を聞いてもっと生きる事の大切さをわかりました。戦争の時に木の根っこや他の木のところをゆでて食べるなんて、すごいと思いました。福山先生が言ったように父や母の家族やみんなを入れるとすごい数になることに気づきました。
特別授業に来て、生きる大切さもわかりました。ありがとうございました。

⑭     吉田藍弓さん
特別授業は、私にとっておもしろくて勉強にもなりました。私が授業で一番好きだったところは、福山先生が、目白のお話をしてくれたときでした。私は鳥が大好きだから、目白をじっさいに見たいと思いました。ちなみに、わたしの飼っているセキセイインコの色が目白に似ていました。
授業で一番おもしろかったお話は、先祖のお話でした。先祖が数え切れないほどいるから今ここにいるんだなーと思いました。
また、こういう特別授業があったらおもしろいと思います。

⑮     ラドゲート・ディーン君
福山さん、来てくれてありがとうございます。むかしの遊びは、今の遊びより全然ちがう遊びでした。むかしはビデオゲームとかコンピューターはありませんでした。むかしの遊びは鳥もちを枝につけて目白をつかまえるとか、くもを戦わせるとかしました。そういう遊びはぼくにとってけっこう楽しいと思います。    
きじは、つかまえるのはすごく難しく見えます。福山さんはもうちょっとできじをつかまえるところでしたが、きじは死んでいました。
それと一番最初の家族の先祖を辿れば木枝のように広がりを持つという話はけっこうおもしろかったです。一番さいしょに言いましたけれど、福山さん日本語学校に話に来てくださってありがとうございました。

〇保護者の方々と吉田先生から頂いたお言葉

①     小玉展子様(小玉正斗君のお母様)
異国の地に育つ子供たちにとりまして、自分のアイデンティを強く問う時期が思春期ぐらいにあるようです。それは親が思う以上に人生の壁であるようで、自分に自信がなくなり、つぶされて小さくなってしまうお子さんもあるようです。そのような話を聞く度に、親の方もどのように育てていけばよいのか迷いが生じます。この度福山先生の特別授業を受けられました子供も親もとても幸せだと思い、心よりお礼を申し上げます。

最初に福山先生が子供たちの名前を覚えて来て下さった事は、何よりも子供たちがそれぞれ大事な1人である事を身をもってお教えいただきました。名前を呼んでいただける事は自分の存在を明らかに認めて下さっている事、自分は唯一のものなのだと自信がもてたと思います。

そして第一話の「大いなる未来に向かって」の話は印象に残る先祖の数の計算からでした。ここでも子供たちはいかに自分達が『生命の松明』であるかを数字から理解した事と思います。自分を大事にして、人も大事にしながら、自分の可能性に挑戦していってほしいと願っております。
第二話の「団塊の世代の子供時代の思い出」では美しい五島の写真やくも、雉子、目白の写真を見ながら、見た事もない、経験した事もない子供たちのいずれの目も輝いていました。

わくわくし、想像をはりめぐらせながら聞いていたのだと思われます。私も人口6千人の広島県の山間部に育ち、女の子でありながらお祭りといえば、電信柱にするすると登ってはお祭り用の縄をかけていたのを思い出しました。またあめんぼをつかまえたり、どじょうを溝からすくったり、たにしも取ったりして遊びました。ペットも動物好きの父が山で拾って来たねこ、犬、野うさぎやすずめのひな(のちに手乗り文鳥のように慣れて、家中のアイドルでした)などでした。今の子供たちはバーチャルの世界でしかペットを飼ったり、色々な冒険が出来ない事を気の毒に思います。また日本を遠く離れてみて、新ためて日本のよさ(文化、気質、食文化)を感じております。子供たちは自分達が日本人である事を誇りに思い、日本人である自分を好きであってほしいと願っております。あの日の帰りの車の中で先生から伺った色々な話を家族にしました。そして日本に帰国した時には、是非先生が生まれ育たれた五島列島に旅をしようという事が決まりました。

②     黒木聡子様(黒木文香さんのお母様)
この度、子供達と保護者に向けて貴重な御話を頂きまして、誠に有難うございました。
吉田先生より、12月に特別授業があります、と言う旨の案内を頂いた時から、ずっと心待ちにしておりました。

まず授業開始と同時に、福山先生が次々に子供達の名前を呼ばれたのです。顔と名前を確認された時、既に子供達の心をギュッとつかまえておられました。私はそのことにとても感激いたしました。御話の途中にも何度も子供達の名前を呼ばれ質問をされたり、相槌を打たれたりと関心を常に引き寄せられ、心地良い緊張感が保たれていた気がしました。

1時間目の御話は、「人生応援歌」と言う副題にもありますように、子供達にとても大切な命についてのメッセージを頂きました。最近、自殺が低年齢化している中、どうして自分達が生まれここに存在しているのか?これは、偶然でも何でもなく何千年も前(1千年前で約86億人)から必然的に命をつないで生きてきたのだと言う内容でした。このかけがえのない命と言うのは、例えば小さな生き物にも小さな命が存在し、その小さな命の中で一生懸命生きているのだと言うこと。そうして私達にも皆大切な命があるのだから、それを理解しchallengeをしながら生きて行って下さい、というとても熱いメッセージでした。「挑め!果敢に」という言葉は娘にも十分理解できたと思います。このメッセージを心に留めて生きていって欲しいと願いました。

2時間目は、福山先生の故郷での思い出をとても美しいスライドと共に話して下さいました。鎮台ゴツという蜘蛛を赤ちゃん蜘蛛の時から育て、可愛がり、成長させる楽しさ。またその蜘蛛を 棒の上で戦わせる様子、雉や目白、五島椿に関してのさまざまなエピソードは、どれも引き付けられる物ばかりでした。そのお話の節々にも、小鳥の巣や蜘蛛の巣にいたるまで人間には絶対まねすることの出来ない物凄い力があることを説明してくださいました。子供達にも、きめられた発想やイデオロギーに縛られないで、もっともっと自由な発想をもってくださいと訴えられました。私自身も物事にとらわれすぎず、子供を温かく見守っていかなくてはならないと反省しきりでした。

日本でもこの様な御話を教室の直ぐ間近で伺うという機会は全くありませんでした。2時間ではまだまだ聞き足りないくらい、ぐいぐい引き付けられましたので、他の御話ももっと伺ってみたいと感じました。そして、いつか五島の美しい景色や、キリシタンの歴史を訪ねる機会を是非持てたら良いなあと思いました。

今この地で この様な縁で御話を伺うということも、偶然ではなく、必然的なことであったような気がします。本当に本当に有難うございました。

③     吉田先生
福山先生のエッセイ集の「椰子の実随想」や「アメリカ見聞録」の中の「ボストンシンフォニーオーケストラ」と題する一文を拝読し、深く感銘し、宮沢賢治の「イーハトーヴの夢」「雨ニモ負ケズ」の発展授業として、「生きるとは?」のメッセージを子供達に伝える事ができないだろうかと考えておりました。6年生の時期は心身の発達も著しく、様々な悩みを抱えていると思われますが、現地校と週末の日本語学校を両立させ、いつも明るく元気に登校してくる6年2組の子供達です。

「先生のエッセイを是非授業中に紹介させて頂きたいのですが。」とご相談したところ、2時間の講義を引き受けて下さることになり、内心本当に驚きました。以前東大で何百人もの生徒を前にご講義をされた福山先生ですが、16人の子供達の為にも“真剣勝負”で、1ヶ月もの準備期間、「たくましく生きる力」「自然を愛する心」のメッセージが効果的に伝わるように何度も授業の流れや内容を検討して頂きました。授業計画・立案・時間配分・やご講義前後の子供達全員へのご配慮は、教師として指導者として、あるべき姿を学びました。佐世保で新任として着任時に、市教委や赴任先の年配の先生方から、「あなたはとても幸運ですよ。濱田先生(故人)の授業・行事・会議運営・人間性を、一挙手一投足を観察し学びなさい。」と言われた事をはっと思い出しました。当日、福山先生が教室にお忘れになった用紙にはクラス全員の子供達の名前がびっしり書いてあり、一人一人を大切することはこの様な心構えだと肝に銘じました。

私自身、異国の地において何度もくじけそうになり、精神修養の未熟さを多々感じますが、その度に、バレー部で鍛えた生徒達が白球を追う姿や週末に頑張る日本語学校の子供達、弓張岳から望む西海の美しい島々や夕日が、自然と思い起こされ勇気付けられます。福山先生のご指導の下、準備を進める中で、改めて、先祖や多くの人々とのこれまでの出会い・小さな生物をはじめそれを取り巻く自然によって支えられている事を認識いたしました。

大きな夢と希望を持って日々前進し、将来日米両国の架け橋となる子供達へ、多大な御尽力・御指導を賜り心より御礼を申し上げます。更に当日は積雪の週末にもかかわらずご来校賜り本当に有難うございました。今回特別授業は、福山様、渕野様、保護者の皆様方の温かいご理解や御協力、長谷川校長はじめ事務局の指導助言や協力によって開催する事ができました。今後、様々な困難が立ちはだかっても、自然に感謝し、生命のある限りあらゆる可能性に挑戦していくという、2時間に集約された福山先生のメッセージは、3月には卒業式を迎える6年2組の子供達の心の中に、様々な形として刻まれた事と思っております。

【後記】
 あの日から18年も過ぎた。当時小学校6年生だった16人の子供たちはもう30歳になる。その後どうなったのだろうか。アメリカに住んでいるのか、日本に帰国したのか。それぞれが雄々しく充実した人生を過ごしてもらいたい。
また、吉田先生は、ハーバード大学で博士課程履修の夢をかなえられたのだろうか。彼女のことだ、きっと夢をかなえアメリカで逞しく活躍しておられることだろう。


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