ハーバード見聞録(34)

「ハーバード見聞録」のいわれ
 本稿は、自衛隊退官直後の2005年から07年までの間のハーバード大学アジアセンター上級客員研究員時代に書いたものである。


世界各国のインテリジェンスへの執念(9月5日の稿)

今日(2005年11月8日)、私は、「インテリジェンス」に関する大変興味深いセミナーに参加した。ハーバード大学が実施している「冷戦研究プロジェクト・セミナー」の一環として「From spies till Solidarity. The archives of Polish intelligence services from a Belgian respective」というタイトルで、ベルギーから1週間の予定で訪米中のIdesbald Goddeerisと言う名前の若い(32歳)博士が、セミナーを行った。同じ時間帯に「日・米・韓の歴史問題」についてのセミナーが隣の建物であり、参加者がそちらに集中したため、本セミナーへの参加者は僅かに3名と言う有様だった。

博士によれば、ポーランドの共産政権が倒れ、ワレサ政権誕生以降、共産党政権の情報機関が収集した膨大な量の情報・資料が限定的ながら公開されているという。その量は、文書にして紙の厚さの合計が160キロメートルにも上るという(筆者のヒアリング能力から聞き間違いの可能性もある)。

これらの情報は、共産主義政権誕生以降のもので、初期のものは統一性・一貫性に欠け何でもかんでも手に入れたものを収納していた様子だった由。しかし年月を経るにつれ、質の高い一貫性のあるものになってきたという。

博士は、幾つかの情報資料のコピーをスライドで提示した。第一は、ポーランド駐在の外国武官の情報活動の証拠写真だった。アメリカ武官と思われる私服の男性が駐車した車のドアを半開きにしたまま体を乗り出して、何か重要施設の写真を撮っている写真である。私も韓国で駐在武官の経験があり、その際もこんなにまで秘密裏に監視されていたのかと思うと「ゾッ」とした。

第二は、ポーランド共産党政府の外務大臣が西欧を訪問した際の写真だった。この写真は、ポーランド共産党政府が政府閣僚でさえも信用することなく「西側と内通する等、おかしなことをしていないか」と常に監視の目を光らせていたという証拠だ。

第三は、外国駐在のポーランド武官から報告された機密電報(軍事情報)だった。私にはポーランド語は分からないが、これを読めば、当時の共産党政権のポーランドが軍事的にどのようなことに興味を持っていたのかが明らかになるほか、情報源などについてもヒントが得られることになろう。

同博士によると、当時の共産ポーランド政府においては、電話の盗聴はもとより、トイレの中にまで盗聴器を仕掛け、お手洗いで気楽に話している内容を盗聴していた証拠文書があるという。このようなことは、現在も各国で行われていると思ってたいたほうが良いのではないだろうか。

博士によれば、冷戦崩壊に伴い、ポーランドはもとよりソ連、東ドイツ、チェコ、ウクライナ、バルト三国など多数の東欧諸国が崩壊したが、これらの新生民主政権は一定の制限・基準を設けて旧共産主義政権下において集められた情報を開示していると言う。

以下はセミナーを聞いた私の所見である。

ソ連・東欧諸国の崩壊に伴う「情報開示」は、西側、なかんずくアメリカのCIAなどにとっては、ソ連のKGBを中心とする①情報組織の解明②情報活動内容の把握③長期にわたり西側に浸透したスパイ名の特定等に役立ち、大いに興味のあるところで、謂わば「宝の山」であろう。

一方、共産政権崩壊後誕生した東欧の新生民主政権も、旧体制の情報活動などについて公開することについては、複雑な思いを持つはずである。新政権の要人は、旧体制下では「反体制派」として情報・治安機関に付回され、弾圧された忌まわしい思い出があり、この際リベンジとして一気に旧政権の情報活動を白日の下に晒したいと言う衝動に駆られたに違いない。しかし良く考えて見ると、新政権も政府・国家体制を維持する為には旧政権の情報・組織・要員を継承せざるを得ないところもあったにちがいない。したがって、東欧各国が実際に行っているように情報の公開に当っては、内容・接見者などを「選択的」に行わざるをえないだろう。

アメリカのCIAなどは、冷戦崩壊時のドサクサに紛れ、「ハゲタカ」の如くソ連・東欧諸国の情報組織・活動などを暴き、相当の成果を上げたものと見られる。実際、当セミナーの司会を務めたハーバード大学の情報の権威、クレーマー教授も筆者の質問に対し、米国のCIAなどがソ連・東欧から膨大な情報資料を持ち出していることを認め、その一部が既にインターネット上(www.cia.gov)で公開されている旨答えた。

こうしてアメリカは冷戦後、情報の世界においても磐石の地位を築いたかに見えた。しかしそう上手くはいかなかった。ご承知のように、テロに対する情報戦においては、冷戦構造崩壊の「配当」は無かったようだ。

ちなみに筆者も冷戦構造崩壊後の東欧の情報機関に接触したことがある。陸上幕僚監部・調査部・調査第2課長(国外情報主管)時代の1991年10月にロシアとウクライナに出張した際、ウクライナの情報当局を訪問したことがある。

1991年、ウクライナはソビエト連邦の崩壊に伴いソビエト最高会議の元から独立して新たな国家ウクライナとなった。私が訪問したころは国家草創期であり、情報機関の創設も緒に就いたばかりの頃だった。

先方は、私の訪問の真意を測りかねたものと見え、いろいろ質問してきた。

そして、どうやら先方は私がアメリカのCIAなどと同様に、ソ連支配時代のKGBの活動などについての関連情報を貰いに(聞きに)来たものと思ったらしい。

先方は身構えるような物腰で「これ(ソ連時代の情報に関すること)については、貴国『陸軍』との間に『情報協定』を締結しなければ、何も出せない」と答えた。私は、「そんなに、大袈裟な話じゃない」と答えたが、先方には通じ無かった。私は、軽い気持ちで、旧ソ連に関する僅かの情報でも「出張の手土産」に呉れないかと期待していただけに、相手の大真面目な話に面食らった思いだった。

ウクライナ情報当局者は「情報は国家の一大事」であることを百も承知のツワモノだったのである。多分、ソ連時代にはKGBなどインテリジェンス関連の仕事をしていたのだろう。私は、陸上自衛隊の情報担当の課長とは言え、未だ認識が甘かったと今になって反省する次第である。

ベルギー人の博士も指摘したように、欧州各国は陸続きで、長い戦いや諜報戦の歴史を持っている為、我が国から見れば、小国としか映らない国々も、国家情報には殊の外、最大限の努力をしているのである。

余談だが、私が韓国で駐在武官の頃、フランスの武官と韓国陸軍の編成表の一部について情報交換をしたことがあるが、「フランスは、ヨーロッパから遠く離れた韓国の陸軍についてどうしてこんなにも詳細に知っているのか」と、驚くほどの情報を持っていた。その理由として考えられるのは、フランスが在韓国連軍のメンバーであることだ。フランスは、イギリス、トルコ、ベルギー、カナダなどと共に在韓国連軍に兵力を差し出した16ヶ国の一つである。とはいえ、フランスが韓国軍の内情に精通している理由をそのことだけで説明するのは困難だ。

フランスは、16世紀から20世紀にかけて海外植民地を建設した。フランスの国土の面積は約550,000 km²であるが、その植民地の総面積は本国の46倍以上の、24,000,000km²に及んだ(1534年から1980年にかけて)。こんなお国柄だから、フランスは長期にわたり世界隈なくインテリジェンス網を張り巡らし、今も活発な情報活動をしているのだろう。戦後、軍と情報機関を解体された日本とは大違いだ。

話を戻すが、我が国では、冷戦構造崩壊の好機に乗じ、欧米のようにソ連・東欧の情報組織・活動などの解明をしたであろうか。私の知る限りでは「否」である。情報の重要性をDNAの中に刻み込まれていない、日本民族の「性」としては仕方のないことかもしれない。

最後に、私がクレーマー教授にこう質問をした。

「これらソ連・東欧の旧共産主義諸国の情報活動を調査して、今日興隆している中国の情報活動について明らかになったことがありますか」

同教授曰く、

「例えばブルガリアの情報当局の記録でも、同国に留学していた中国人学生はほぼ全員が情報活動をしていたことが明らかにされています。アメリカに来ている中国人留学生もその大部分は当然そういうミッションを持っていると思います」

今ハーバード界隈の中国人留学生の状況、なかんずく自分の周りにいる中国人を見て、身につまされる思いがした。
 
追記
昨年ハーバード大学に留学していたある日本人が本稿を読まれ、ご自分の体験的中国人学生観察の所見をお寄せ頂いたところ、極めて示唆に富むと思われるので、以下紹介したい。
 
「中国からの留学生は、セミナー・リサーチにおいても中国系アメリカ人との連携・活動は日系アメリカ人と日本人留学生の希薄な関係に比べ圧倒的に強いと思います。また、学内における、文化交流の機会を有効に活用し、親中イメージ作りに最大限貢献しており、ナイ教授の「ソフトパワーの理論」を実際的に活用している観があります。例えば、インターナショナル・カルチャー・イベントにおいはプロ顔負けの一流の舞踏・器楽演奏(グループ・個人)を披露し、各国の学生を非常に驚かせました。私達日本人は勉強するだけで精一杯なのに、何時、集団的・統一的に練習しているのだろうと思いました。これらの中国人留学生の活動は、自発的又は、誰かの指示で一元的・組織的に動いているのか確証(定かで)はありませんが、クラブ・ネットワークなどを活用し、情報の共有や目標の共通認識を図っているのではないかというような感想を持ちました」

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