ハーバード見聞録(58)
「ハーバード見聞録」のいわれ
「ハーバード見聞録」は、自衛隊退官直後の2005年から07年までの間のハーバード大学アジアセンター上級客員研究員時代に書いたものである。
以下の稿は、ロバート・ロス教授の論文『平和の地政学、21世紀の東アジア』の「要旨と若干の所見」に引き続き、「抄訳」を7回に分けて紹介するものである。今週はその第4回目で「第4節 東アジア二極構造の平和と安定」の抄訳を掲載する。
第4回―「第4節 東アジア二極構造の平和と安定」(2月20日
米国と中国は、東アジアにおける二つの超大国である。両国は戦略的パートナーではない。むしろ、両国は安全保障と影響力を巡って伝統的な大戦力による闘争を行う戦略的な競争国となるだろう。
冷戦間の米ソ関係の激動の変遷と同様に、米中関係は力の衝突である。冷戦当時の米ソの場合も、現在の米中の場合も、戦争ともなれば、相手国の重大な国益に挑戦するために、既存または潜在的に保有する主要な陸上戦力及び海洋戦力を必然的に投入するものである。更に、いずれの場合も(冷戦時も今日も)、双方の争点は世界的に重要な戦略的・経済的に重要な東アジア地域である。これらの類似性から見た、米中の闘争は冷戦時代の米ソの闘争に似ているかも知れない。
しかし、あらゆる二極構造が必ずしも冷戦時代の米ソの超大パワーが辿ったのと同じような変遷を再現するとは限らない。幾つかの新たな要素が加わることによって、ある二極構造における関係二国の競争は他の二極構造におけるよりも一層安定している場合もある。
21世紀に於ける米中二極構造は、冷戦時代の米ソ二極構造よりも相対的により安定的・平和的に推移するであろう。その一つの理由としては、地勢が二極構造を安定的でバランスが取れたものにし、超大国家間の地域的な序列付けの管理が上手く行われるようになるからである。更に、東アジアの地勢は、超大国家の利害に影響を及ぼすと共に、安全保障上のジレンマによるインパクトを緩和することにより、米中二極構造が危機に陥ったり、軍拡競争及び地域紛争に向かおうとする傾向を減らす。
・ 二極構造、バランス及び地勢
米国の諸々の能力上の優位性に対処するために、中国は二極構造に関連して、国内的に均衡を図ろうとしているようだ。中国は、現実的な市場経済政策を追求するため、マルクスのイデオロギー上の障害を除去し、重大な政治上の問題を克服した。中国は、限られた範囲の中で、地上軍を強化し、海・空軍の技術的近代化に努力している。北京政府は、また、国内の経済成長に向けた資源配分を最大化するために、周辺諸国との関係を上手く律している。
中国は、ロシア及び国境を接する中央アジア諸国との間で国境問題について合意に達し、信頼醸成措置を確立した。中国は、韓国との間で経済及び安全保障上の協力関係を構築すると共に、北朝鮮外交の柔軟化を促している。中国は、日中経済関係を更に強化した。また、中国の指導者達は、米国との間の軋轢になる可能性になるものを減らすため、米中間の多くの問題で妥協した。
これらの諸政策は、世界中の経済資源への中国のアクセスを確保し、国際的な紛争の可能性を小さくする。中国は、このことにより、差し迫った脅威に対処するために、長期を見通したバランスの取れた国内政策から短期の国防支出にいたるまで、新しい方向性を付与することが出来るようになった。中国の現実的な経済発展や外交政策を追求する動機が、中国の諸政策に対する共産主義政権特有の感情よりも重要ではないとは言うものの、中国の指導者達が、「経済の近代化は中国の国防の近代化及び21世紀において米中間で緊張が高まる可能性に備えるための鍵である」と説明しているのは意味深長である。
米国は、東アジアにおいては、いかなる差し迫った脅威にも直面していない。しかし、米国は海洋国家として東アジアに抜群に強力な大陸国家が出現しないかどうか注意深く見ていなければならない。
中国の拡張に備える一環として、ワシントンは高いレベルの米軍の展開と同盟の強化を維持している。ワルシャワ条約機構崩壊後10年を経た今日、米国防支出は、米国に続く上位6カ国の国防予算の合計額よりも多い。米国の国防上の優先順位は、中国に対する懸念とこれに付随した海軍力のニーズを反映したものであり、予算削減の中でも、東アジアにおける米海軍の展開は減らしてはいない。軍備の調達及び研究・開発も継続し、この結果として、1988年には新たに空母Harry S.Trumanが進水し、21世紀に運用する軍用機と新型核ミサイルが開発され、ミサイル防衛と他の新たな技術についての研究が行われている。更には、最近の日米合意により日米同盟は政治的な足場が強化され、日本の軍民いずれの施設(港湾・空港)への有事のアクセスが確保された。
東アジアの二極構造は同地域の秩序維持の為にも役立っている。多極構造の中での超大国家とは対照的に、二極構造の中における超大国家は、国際秩序の中においてより大きな利害を有するだけなく、その超大国家が有する世界の中で際立って不釣合いな程の様々な力量・能力は、小国家群の「ただ乗り」を許してやるだけの度量を有するのみならず、影響力を及ぼしうる夫々の領域の中で小国家群が超大国家の国益に挑戦しないように応分の負担・責任を負わなければならない。同盟諸国による安全保障に対する貢献も超大国に逆らう力も取るに足らないものである場合は、上記の負担・責任は一層容易である。
東アジアにおいては、これらの二極構造の力学が存在している。中国は、周辺国から抜きんでており、また、米国も日本を部分的に除外するとして、安全保障上のパートナーとなる国々からは抜きんでている。東アジアの地政学が、二極構造の力学を補強する。中国と米国が影響力を及ぼす領域は地理的に明確で、海洋で区分されていると言う理由で、米中いずれも自らのものと認識する領域内(中国は大陸地域、米国は海洋地域)に介入しても、双方とも自国の領域内の権益を脅かされているとは見ないだろう。このような訳で、米中の超大国は相互に相手から報復される懸念無く、自らの領域内の同盟諸国家に対し、秩序を与える上で比較的自由な裁量を持つことになる。かくして、中国は、インドシナにおいて米国の対抗措置を招くことなく、同地域の秩序と安全保障上の利益を確立する為に介入した。これとは対照的に、東欧に対するソ連の軍事介入は、ソ連の野望についてのNATOの懸念を高め、欧州全体の緊張を高めることになった。
・二極構造、地勢及び国家安全保障上の諸利益
二極構造の肯定的な結果が生まれつつあるように見える。しかし、新現実論(ネオリアリズム)によれば、二極構造は、①脅威を深刻に受け止めること、②不必要な程の高度の緊張及び③高く付く外交政策、といった負の影響もあるといわれる。多極構造とは対照的に、二極構造においては、(第三者がいないため)脅威が明瞭となり、噂や繰り返される「相手の意思の試み」に対する激しい不安を引き起こし、二超大国間のバランス・オブ・パワーから見て大して重要でもない「一方の極(超大国)」による相対的な利益の獲得に対して、「相手方の極」は直ちにこれに反応するという結果を招く。
冷戦時代における米ソの争いは、軍備競争、数多くの危機及び開発途上国の世界において繰り返された超大国家(米ソ)介入の例により、前述の考え方(二極構造の危うさ)が裏付けられたように見える。従って、21世紀における米中関係は、東アジアが二極構造であるという理由から、冷戦時代と同様に米中が高い緊張関係に苦しめられることを示唆している。
「極」は、超大パワー力学に基づく強力な決定者である。しかし、それは唯一の決定者ではないだけでなく、必ずしも第一位の決定者でさえもない。他の現実主義的な変数(要素)が、二極構造のインパクトを補完しあるいは中和する。地勢的に条件付けられた超大国家の利益及び同じような武器(兵器体系)取得のパターンは、二極構造、三極構造に於ける超大国家の関係に影響を及ぼす強力な変数(要素)になりうる。
米中関係は、夫々の明瞭な地理的範囲を有する陸上パワーと海洋パワーの関係である。両国の決定的な地域的国益及び軍事的能力が競合しない限り、両国の紛争は抑制することが出来る。
・米国の海洋権益及び地域的安定性
米国の東アジアにおける関心は二種類ある。第一の関心は、当該地域を支配しようとするいかなる勢力の活動に対しても軍事的に対抗できるように、地域的問題に対応するための十分な戦略的なプレゼンスを確保すること。この目標を達成するため、米国は前方展開を維持するのに必要な諸施策を米軍に提供する当該地域の影響力のある諸国家からの協力が必要である。
米国のように、東アジア地域から遠く離隔した海洋勢力にとっては、アジア大陸の沿岸地域にある「セカンド・ランク」の海洋国家の協力が必要である。なぜなら、米国と当該「セカンド・ランク」の同盟国との能力は補完的であり、東アジア地域の当該同盟国は米国から見れば「前方地域」にあって、比較的安全な海軍・港湾施設を提供することが出来るからである。
欧州においては、米国は海洋勢力のパートナーとして伝統的に英国に頼り、第二次世界大戦後のアジアにおいては、日本に依存している。しかし、ワシントン政府は、分割された欧州を安全ならしめるため、これまで英国に頼ってきたことに満足していない。アメリカ合衆国誕生の頃の昔は、欧州大陸における超大国は二つに別れ対立している方が都合が良かった。そうすれば、米国は、一方の欧州大陸の勢力と協力することが出来た。後になって、超大国家による欧州半島の支配は、欧州の西部及び南部の沿岸部から米海軍のプレゼンスを排除する方向に向かうことが分かった。その結果、米海軍力が英国に過度に集中することが必要であった。覇権国(訳者注:ドイツとイタリアのことを指すと思われる)の南方の港は、米海軍の圧力から比較的安全であり、南部大西洋および地中海引いては北アフリカ及び中近東の海上のアクセスに関し、米軍に対し優位を達成できたかもしれない。
欧州の例とは対照的に、東アジアの地勢は、海洋戦力のバランスが成り立つ。日本は自らの領域の中では、英国以上に相対的に強力であるだけではなく、更に重要なことは、東アジアの覇権国(中国)が大陸部を支配しているからとはいえ、(大陸のみならず)海洋に向かっても妨げるもの無きアクセス(進出)を持とうという野望は許されない。北東アジアの日本から南西アジアのマレーシアまで、東アジアの大陸部(中国大陸)は切れ目のない島嶼国家の列鎖(チェーン)で縁取られている。これらの島嶼国家は、戦略的に好位置を占め、港湾施設を保有している。これらの島嶼国家へアクセスできることにより、米国は中国沿岸にある軍事目標に対し、有効な海軍作戦が実施できる。
第二次世界大戦前に日本がアジアに対し膨張したのに対し米国が対抗した理由は、東アジアの海洋における米国の戦略的な利益を守ろうとするものだった。ワシントンは、当時日本の朝鮮に対する進出には抵抗しなかった(訳者注:1905年の「桂・タフト協定」のことを指すものか)。東アジアにおけるロシアと英国の軍事力が低下した時も、米国は日本が中国はもとよりインドシナさえも支配するとは思っていなかった。日本が、これらの支配権を獲得すれば、必然的に大陸勢力としての属性(強み)を取得することになるので、米国としてはこれを阻止するために軍事的に対応する価値のあることだった。ワシントンが対日禁輸や日本との戦争準備に踏み切ったのは、日本がインドシナに止まらず英国とオランダが東アジアの海洋域に保有している植民地を狙っているとの判断に基づくものだった。
米国は、大陸勢力(中国)を海上から封じ込めるために、十分な海軍のプレゼンスを必要とする。この「海上からの封じ込め戦略」が、ベトナム戦争終了に伴い1975年に東南アジアの大陸部分から米国が撤退して以来、最初はソ連に対して、そして現在は中国に対する戦略である。東南アジアにおいて、米国は、経済的な影響力と挑戦を受けたことの無い強大な海軍戦力に依存しながら、これら全ての中国周辺の島嶼諸国との戦略的態勢を強化した。
既に述べた様な、海軍施設に対するアクセスについてインドネシア、シンガポール、マレーシア及びブルネイとの間で合意に達した。これらの合意と米国の日本の基地及び民間空港・港湾などの諸施設へのアクセスにより、米国は中国に対する「海上からの封じ込め戦略」を実施する。このような態勢を活用し、東アジアの大陸部周辺全てに亘り、中国の海洋進出に対し空中及び海上から圧力をかけることが可能である。
軍事技術の進歩にもかかわらず、海軍によるバランス戦略に依存するアメリカの能力は、将来25年間は有効であるだろう。中国は、南シナ海の米国艦船を追跡し、ターゲティング(目標として照準)することを可能にする宇宙からの偵察衛星技術の開発に着手するのは疑い無い所であろう。しかし、米国は、手を拱いている訳ではない。米国が現在開発中の技術は、電子戦の分野において中国に対する優位性を維持することを可能にするであろう。例えば、その技術は、中国の衛星による偵察から米国の艦艇を隠すことを可能にする。技術開発の分野においては、中国が、米国に後れを取っていることを立証する研究もある。RMA(軍事技術革命)が起こるとすれば、それは殆どがアメリカの革命である。
海洋における軍事バランスを図ることが出来れば、米国は東アジアの海域において、シーレーンを支配すると共に、必用な場所に軍事力を投入することが出来る。かくして、有事、南西アジアや中近東の石油を含む戦略的資源及び同地域の市場に対する米国自身及び同盟国のアクセスを確保することにより、米国にとって二つ目の重要な国益も守ることが出来る。中国が、例え自国の沿岸海域において海軍力の増強を行ったとしても、同盟国の商船及び軍艦は中国沿岸周辺の島嶼国家に基地を置く米海・空軍により制海・空権を支配され、中国大陸に配備された中国軍機の航続距離(行動範囲)からは程遠い安全なシーレーンを使用することが出来、経済的にも戦術上も殆ど不都合は無い。
米国は、中国の大陸部分に対する影響力及ぼそうとして中国と競争しなければならない戦略的な必然性を有しない東アジアの海洋勢力である。即ち、現状を変えないこと(大陸・中国に介入しないこと)が、米国の「バランス・オブ・パワー」に関する諸利益を守り、中国に対する「海上からの封じ込め戦略」を通じ、当該地域のシーレーンの利益も確保する。
このことが、超大国家アメリカの安定に役立つ。更に言えば、アメリカは軍事上優勢であるにも拘わらず、アメリカが中国大陸にまで手を伸ばせば、アメリカは相当な障害に遭遇するであろう。地政学者と他の国際関係論の学者達の間で、長い間、海洋戦力を陸上戦力として簡単に運用・使用できるかどうかという問題についての論争があった。この問題に関し、焦点となる地域の地勢こそが軍事上の能力(軍事力)が「額面通り」の力を発揮できるかどうかを決定する。
米国は、中東に対し海上戦力を投射したのとは対照的に、ベトナム戦争と朝鮮戦争の経験を通じ、東アジアの地勢では海上戦力を空中戦力及び陸上戦力として投射することが如何に困難であるかを理解した。米軍では「アジアにおいてはこれ以上の地上戦はゴメンだ」という思いが今も支配的だ。東アジアの大陸部分に兵力を投入する困難性が、現状維持を変えて(大陸部にまで手を出して)利益を追求しようとする米国の挑戦を抑制している。
・中国の大陸部における国益と東アジアの安定性
米国が、東アジアの極めて重要な海洋部の利益を確保しているのと同様に、中国は極めて重要な大陸部の利益を確保している。中国は、大陸勢力として独特な成功を収め、中国に陸接する周辺諸国との全ての国境を安全にした。しかし、21世紀に於ける東アジアの平和は、大陸部の利益を確保した中国が、米国の国益と二極構造に挑戦し、海洋戦力を投射できる能力の開発・建設に乗り出すか否かに懸かっている。
中国の大陸勢力としての地位は、地勢のみならず、陸上勢力特有の文化を反映している。2000年間以上に亘って、中国の領土拡張は「耕作地を求める農民達に導かれ、儒教文化及び中国王朝国家の行政と軍事力が農民達に追随して新たな土地に進出する」――というものだった。これと同じ時代において、中国は海洋を越えて領土拡張を行うことはなかった。20世紀まで、中国の海軍建設はせいぜい散発的で、短期間に終わった。中国の海洋に関する伝統は通商の調査に重点が置かれた。
更に言えば、中国の安全を脅かす事態は、内陸部から発生した。19世紀に中国とロシアの皇帝が中央アジアで会見し、新疆ウイグル自治区省を新設するまで、中国は中央アジアのステップにいた遊牧民の軍勢を征服することが出来なかった。天然の明瞭な境界がないため、中国の領土は敵軍の侵入に脆弱で、遊牧民は、大陸奥地に逃げ込み、中国王朝軍の追討を回避した。最悪の事態としては、遊牧民の陸軍が「外国の王朝」を建国した。遊牧民の脅威が絶えなかったので、明の時代(1368~1644)にはモンゴルとの関係を踏まえ、戦略的な文化が創り出され、これに基づいて明王朝政権は、全ての外交上の思考を慎み、勝利を制限しつつ、敵である遊牧民全体の全絶を追及した。
中国が、海洋勢力から脅威を受けた唯一の経験は、19世紀に起こった。しかしこの例外について述べる目的は、「陸上勢力が中国の安全を脅かす主たる脅威である」ことを強調するためのものである。英国海軍が中国に対し屈辱的な敗北を与えたが、英国は条約による開港場取得を除き中国の領土を占領しようとはしなかった。
むしろ、最大の脅威は、最初にロシア、次いで日本からだった。日露両国は、中国を攻略するために地上軍を投入した。日本は、17世紀の満州人の戦略に倣って、中国北東部を内陸部に攻め込むための基地として使用した。中国の歴史には、海洋勢力が中国を支配したり脅したりするために最大の脅威を与えた例は無い。
中国は、2000年の間大陸内で膨張して来た事と、中国に対する脅威が地上勢力によるものだったことが原体験として作用して、中国は地上軍の建設に重点を置くという偏りが生じた。このことは、アメリカが安全な地上の領域(アメリカ本土)と広大に広がる海洋(太平洋・大西洋)の国境が、アメリカの国際政治に「島国としての視野」を育んだのと同じである。しかし、文化は不変ではない。現在の中国では国境は安全となり、経済も近代化しており、その国益も変わるかもしれないが、変わるとしても歴史と文化により国益の変更(海洋パワーの建設に重点を変更)は、遅らされたり不十分になったりするだろう。中国の様々な成功にも関わらず、超大国の影響から国境を安全にするという極めて重要な唯一の国益に資するため、中国の国境を重視する戦略は継続する。
中国は、陸上からの脅威に対して用心深い。中国は、13カ国と国境を接しており、これはロシアの次に多い。中国の最も重要な安全保障上の懸念はロシアとの間の長大な国境である。中国の評論家達が述べるように、ロシアは広大な国土防衛のために、膨大な軍事力を持つ必要がある。このことは中央アジアの場合に顕著に当てはまっており、この地域はロシアの核心部(ハートランド)には近いが、中国の工業と人口の中心地域からは遠く、しかも生存するのが困難な砂漠の気候と砂漠そのものにより隔絶されている。
中国の中央アジア正面の国境は戦略的にも脆弱であり、まさにロシアの極東が戦略的に脆弱であるのと同じである。1930年代及び1940年代において、モスクワは新疆ウイグル自治区州に於ける政治的な影響力の優越性を高めることによって、中国国民党政府の弱点を利用した。1960年代初めには、モスクワは中国を脅かすために、新疆ウイグル自治区の民族問題を利用した。
19世紀に於けるロシアと英国の間のスパイ合戦の再現のように、中央アジア諸国に対する中国とロシアのサービス競争が起こる可能性は無視できない。更にいえば、多くのロシア人はロシアの安全保障にとって中国が長期に亘り脅威であると信じている。米国の領土が太平洋により守られているのに対し、ロシアの領土は中国の地上軍に対して脆弱である。中国がロシアに隣接しているという宿命により、中国はユーラシア大陸の核心部分(ハートランド)までもコントロールすることはできない。このことは、中国が国境の保全に自信が持てないということを意味し、従って、中国は海軍戦力には陸軍戦力よりも戦略的な優先順位を与えることは出来ないという理論につながる。
中国の国境問題の懸念は、ロシアの軍事力に限られたものではない。中国に隣接する中央アジア諸国の政府は弱体であるが、中国の領土上の主権を脅かすためにロシアのような大きな力を持つ国(大国)に上手く利用され得る。また、中国は、西域の各省の内部的な不安定についても長期的視点から考える必要がある。なぜなら、その西域の各省に住む少数民族は、宗教的・人権的に中国と敵対する可能性があり、不安定な隣接諸国の大多数の住民達と結び付いているからである。
中国南西部はインドと国境を接しているが、インドは超大国になりたいとの願望が強い。また、中国南部はベトナムと国境を接しているが、ベトナムは中国の戦略の影響下から離脱することを可能にしてくれる強力な同盟国を引き続き求めている。北東アジアにおいては、20世紀の大半、日本や米国が行ったように、中国の工業の中心部(ハートランド)を脅かすために、アメリカのような強大な力が、韓国(というプラットフォーム)を活用できる。
上述のように、中国は国境の多正面において、戦争や戦略的な包囲の可能性があることから、過去の中国王朝が経験したよりも遥かに大きな脅威の可能性に直面している。中国が、海軍力建設のために相当の資源を配分するためには、地上の国境については「長期に亘り戦略的変化が無く安定している」という仮定に立たなければならない。
仮に、中国がそのように仮定し、海軍建設に力を注いでも、米海軍と対等になることは出来ない。アルフレッド・マハンだけのテーゼではあるが、「歴史を見るに、例え一箇所でも大陸と国境を有する国(A)は、仮に人口も資源も少ない島国(B)が競争相手国であれば、海軍の建設競争では(AはBに)勝てないという決定的事実を歴史は示しえいる」――と主張している。
(中国の)財政及び技術上の要求書の中に、空母及び空母の支援艦並びに空母防護用の先進技術と同様に艦載機の建設が含まれている場合は、「陸上パワーによる海洋パワーを目指す挑戦」と理解すべきで、これは21世紀においてさえも尋常なことではない。
地上軍に対する所要の財政を維持する努力を行いながら、2025年までに中国はソ連が冷戦時代の後半に建造したものと同様の「贅沢艦隊(luxury fleet)」を建造できるのがせいぜいであろう。そのような「二流の艦隊」でも、中国本土から米海軍を遠ざけ、中国上空に米軍機の自由な侵入を妨害する程度の沿岸防衛は出来るかもしれない。「贅沢艦隊(luxury fleet)」は、中国沿岸からは更に遠く離れた所まで、米海軍の様々な活動を妨害できるかも知れない。しかし、米国の対応能力をもってすれば、この程度の能力(贅沢艦隊)では、米国の優位に挑戦できるだけの海軍力の基盤を中国海軍に与えることは出来ない。仮に、中国海軍が米海軍の様々な活動を困難にすることが出来るとしても、中国海軍は(先に手を出したら)米海軍の報復攻撃により撃滅されることを恐れて、先制攻撃はしないであろう。従って、米国は東アジアの海洋を自由に使用し続けることが出来るであろう。
中国は、海軍の能力を増強するうえで、19世紀から20世紀にかけて、ロシア・ソ連及びドイツの海軍戦力が直面したものと同じ障害に直面するであろう。即ち、19世紀半ばに、オスマン帝国対してロシアが海軍力の使用により影響を及ぼそうとした努力を、英国は海上優勢によりこれを不可能にし、クリミア戦争の間にセバストポールにおいてロシアの艦隊を撃破するためにロンドン政府は主導権を握った。同様に、ロシアは1950年代と1960年代には、米国の空母艦載機によるソ連領に対する攻撃能力を減殺することを狙って、「『陸上主導』の艦隊」(”land-oriented” fleet)を創設したのがせいぜいであった。
1970年代になると、この艦隊は、米海軍の行動を抑制する以上のことは出来なかった。更に、1980年代になると、このソ連の水上艦隊の主要な役割は、ソ連国土の防衛と沿岸水域の支配であった。モスクワ政府は、ソ連太平洋艦隊を増強したにもかかわらず、極東ソ連の海軍施設に対する米国の「水平エスカレーション戦略」(訳者注:レーガン政権時代の対ソ連戦略で、ソ連の侵略攻勢に対して、それが行われた正面だけでこれに対処せず、世界のまったく別な所でこれに対抗する軍事行動を起こすという戦略)には十分に対抗することが出来なかった。
総じていえば、米国は、戦略的な主導権を握るために「海上の中央位置(central maritime position)」(訳者注:アルフレッド・マハンが提唱した海軍戦略の三要素の一つ。敵の二つの戦略地点を接続する陸・海路を遮断できる国力や抑制力のこと。マハンは、具体例として、日露戦争においては、ロシアの旅順艦隊が日本(本土)と旅順・奉天に展開した日本陸軍に対し「中央位置」にあった―と説明している)を未だ活用することが出来る。
ドイツも海軍戦力を建設するうえで同様のフラストレーションを持った。アルフレッド・フォン・ティルピッツの「冒険艦隊(risk fleet)構想」は、英国海軍の優位を脅かすだけの十分な戦力を構築できず失敗に終わった。従って、第一次世界大戦の間、英国はドイツ艦隊と交戦・撃破することなしに、制海権を確保することが出来た。ドイツとしては、敢えて英国に敵対しなかった。なぜなら、ドイツは英国がその気になればドイツ艦隊を撃破出来ることを理解していたからである。更にいえば、ドイツは本来陸軍の資源を海軍に分けて投入したので、フランス陸軍を撃破するための能力が不足した。
海洋における権益を強いて追求する必要性が乏しい中で、北京政府が有する大陸における(国境保全などの)権益及び(圧倒的に強力な)米国海軍の軍事力を考えれば、中国は海軍建設を優先することを思い留まるであろう。経済発展が続き、更に大量のエネルギーの需要が見込まれるとしても、そのことが中国の海外権益とシーレーン防衛のための海軍建設には直結しないであろう。なぜなら、中国の海軍力建設は、米国の相殺(対抗)政策の発動を可能にし、中国のエネルギー輸入は米国の寛容さの前には依然脆弱なままである。
このような考察の結果として、中国には二つに採るべき政策がある。第一は、巨大な石炭埋蔵量を保有することに鑑み、中国は引き続き石油よりもむしろ石炭の活用を選択することであろう。第二は、石油に関しては、中国は自らの地上軍(人民解放軍)が優位を占める地域において外国石油資源の開発を目指すであろう。中国の大陸の権益には、中央アジアの石油に対するアクセスを確保する努力が反映されている。即ち、カザフスタンの主要な石油会社及び同社のカザフスタンから中国の新疆ウイグル自治区省へのパイプライン建設計画に対する1997年の北京政府の投資は、安全な石油資源の開発についての中国の思い入れを反映している。
シベリアと中国東北部の州を繋ぐ天然ガス用パイプライン建設に対する中国の関心もこの戦略に基づくものである。現在(訳者注:本論文が出たのは1999年春)、石油の国際価格が安価であることから、中国が関わるこれらのプロジェクトが経済的に見て魅力の無いものに映るが、実は、これらのプロジェクトの価値は、対抗者側(米国側)に支配されている石油に中国が依存しているという現状に鑑み、将来、長期的に見て戦略上の防衛手段として役立つものである。
最後の論点であるが、中国は「世界の中での指定席」を追求する飽くなき勢力として、同国の威信のポリティクス(政治力学)に従い、不合理で危険な過度の膨張(勢力拡張)に向かうのだろうか。その答えの大半は、中国の諸権益に影響を及ぼす諸問題についてワシントンが北京とリーダーシップを分かち合うか否かに懸かっている。この点に関し、最近の米国の政策は、米中関係という観点から好ましいものである。更には、中国は東アジア地域においては、既に影響を及ぼすべき目標地域を計画通り確保し終わっていることを指摘することは、価値のあることだ。
中国が1949年から1989年にかけて実施した闘争は、この目標が反映されており、その結果は成功であった。冷戦の終焉直後、東アジアの国々は、中国が超大国としての利害関係を有していることの正当性を認め、地域の平和を実現するためには中国の協力が必要であることを認めている。中国と米国は、共に朝鮮半島を管理している。中国は、安全保障を指向したASEAN地域フォーラム及びAPECを含む様々な東アジア地域の機構において指導的役割を担っている。中国はまた、1990年代末の、アジアの経済危機の際に、(米国から受けた)配慮に満足した。中国はスーパーパワー(超大国)ではない。
また、地域の諸問題や国際機構に対する中国の指導力は更に限定されている。しかし、東アジアにおけるバランス・オブ・パワーという面での指導力は、同地域に於ける指導者としての地位を満たすかもしれない。
・東アジアにおける二極構造、地勢及び安全保障上のジレンマ
「海洋パワー(米国)と大陸パワー(中国)の権益が同一ではなく対照的であること」、「東アジア地域の戦略的特性が現状維持であること」及び「同地域の地勢の特性」という三つの要素の全てが、21世紀において東アジア地域の緊張は比較的低いレベルに留まるように作用するものと予測される。
しかし、それにも拘らず、中国と米国の重大な国益が現在の秩序の中で満たされたとしても、二極構造下における安全保障上のジレンマは、何度も危機を招き、高く付く軍備競争を引き起こす可能性を内包する。しかし、現在の戦略環境下では、優先されている武器開発・調達計画は「防衛的」なものであり、二極構造下の安全保障上のジレンマに及ぼす影響は、(「攻撃的」なものに比べれば)左程深刻ではない。
地勢に由来して決定付けられた国益は、それぞれ異なった兵器体系の採用を促す。このことは、安全保障上のジレンマに甚大な影響を及ぼす。なぜなら、(米中それぞれの)兵器の特殊化は防衛上の偏りをもたらすと共に、全保障上のジレンマ及び危機の発生並びに軍備競争に対する二極構造の影響を緩和し、核兵器の安全保障上の役割を減らす。
陸上パワー(中国)と海洋パワー(米国)が対抗する際は、それぞれの側の兵器の特殊化は相手側の戦域においては不利となる。即ち、中国は海洋戦域においてはアメリカよりも劣勢となり、逆にアメリカは、東アジアの大陸上部における地上軍の活動に関しては、中国に対して劣勢のままである。
このようなパターンがあることから、米中双方共に防勢の方が攻勢よりも有利である。大陸上においては、中国の大量の通常戦力による報復能力により、米地上軍の攻撃を抑止することが出来る。反対に、米軍による中国海軍の装備・施設に対する報復・破壊能力は中国が第一撃(先制攻撃)を行うことを抑止することが出来る。
米中両国共に、相手の挑発的外交や軍隊の動向を攻撃の前兆として捉え、直ちに全軍の即応性を高める方向にエスカレートすることを恐れる必要が無い。米中両国の緊張が高まるには、時間がかかり、米中の指導者達が危機を管理し、不必要なエスカレーションを回避するための時間の余裕がある。
これら米中の応酬の型(パターン)は、兵器競争の様相にも影響を及ぼす。米中両軍は、それぞれの戦域における防衛上の有利性を持っているので、相手国の軍備(装備)調達に見合った自国軍の軍備強化により対応できる。中国の地上軍の能力が増強されるたびに、それに相応する分だけ、東アジアの海洋地域に於ける米国の安全保障が損なわれることにはならない。同様に、例えば、南シナ海に於ける米海軍のプレゼンスの増強は、その分だけ大陸部における中国の安全保障を低下させるということにはならない。その結果、二極構造による軍備競争をエスカレートさせる圧力は最小限となる。
結局、米中それぞれの戦域内での通常戦力のバランスが保たれていることにより、双方とも安全だと感じており、どちらも自らの戦力に対する攻撃を抑止するため、あるいは長期的抑止のコミットメントの信頼性を高めるために、大量報復戦略の採用を強要される事は無い。このようにして、危機に際し核兵器による第一撃の恐怖が少なくなり、報復能力を確保しようとする相手国の努力を解釈・判断するうえでの困難性に起因する安全保障上のジレンマを反映した核兵器開発競争の可能性は低くなる。
米ソ二極構造下の闘争は、米中と同様に陸上パワーと海上パワーの闘争であったが、ヨーロッパと東アジアの地勢が異なっているので、米中関係と同様な安定性は見られなかった。東アジアにおいては、地勢が二極構造の圧力を軽減する方向に働くが、ヨーロッパの地勢は、二極構造の圧力が安全保障上のジレンマを更に悪化させる方向に作用する。地勢のなせる業により、ヨーロッパに於ける極めて重要な利益を確保するためには、米国は、ソ連に対する海洋からの封じ込めに頼ることが出来なかった。ソ連を封じ込めるためには、ソ連にとって安全な大陸内の根拠地と、戦略的な海洋へのアクセスの何れをも封殺するために、米国(軍)のヨーロッパ本土へのプレゼンス(常駐配備)が求められた。このようにして、冷戦時代におけるヨーロッパ大陸における対峠は、大陸パワー(ソ連)の陸軍と海洋パワー(米国)の陸軍同士により実施された。
このような対峙の構図の中で、通常戦力ではソ連の方が優位であると広く考えられていたので、NATOとしては「モスクワは、攻勢的な攻撃の方に利がある」と信じていた。東アジアの地勢が、21世紀の二極構造の圧力を相殺して安全保障上のジレンマを緩和するが、ヨーロッパの地勢は安全保障上のジレンマを悪化させる。その(作用の)結果として、1940年代の冷戦及びベルリン危機が急速にエスカレートした。
ソ連の攻勢的な優位性は、核兵器競争にも影響を及ぼした。米国政府は海洋勢力という立場から、ソヴィエト政府の攻勢的な戦略上の利益を拒否し、西ヨーロッパに対するソ連の攻撃を抑止するに足る十分な通常戦力(地上軍)をヨーロッパに維持するために、米国の資源・資産を動員することは出来ないと考えた。そこで登場したのが、アイゼンハワー政権の「ニュールック戦略」であり、これによって米国はソ連の通常戦力における優位を相殺し、西ヨーロッパに対する侵攻を抑止するためにソ連の通常戦力による攻撃に対し、核による大量報復の脅しを用いることとした。かくして、米国は、顕著にその核戦力を増強し、核兵器の安全保障上のジレンマを解消しようとした。しかし、そのことによって、米ソ両国は、相手の第二撃能力が自らの報復能力を撃破するために用いることが出来るかもしれないと恐れるようになった。米ソ二極構造とヨーロッパの地勢がもたらす上記の展開は、結果として核兵器競争に繋がった。
これとは対照的に東アジアにおいては、地勢及びこれに由来する軍事上の能力並びに夫々の極(米・中)の領域内(中国は大陸内、米国は海洋上)における防衛上の優位性が、米中夫々が抑止能力として核兵器に依存することを抑制しており、その結果、核軍拡競争の圧力を緩和している。
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