ハーバード見聞録(63)
「ハーバード見聞録」のいわれ
「ハーバード見聞録」は、自衛隊退官直後の2005年から07年までの間のハーバード大学アジアセンター上級客員研究員時代に書いたものである。
「マハンの海軍戦略」についての論考――筆者の『マハン論』――を9回に分けて紹介する。
「マハンの海軍戦略」第2回:アメリカの地政学(3月26日)
アメリカの地政学
マハンの海軍戦略は、米国の地政学に根差すものだと思う。すなわち、米国の地政学を理解すれば、マハンの海軍戦略は分かりやすい。
図に示すように、宇宙船から俯瞰した米国土の姿を最も簡潔に表現すれば、「南北に延びる北・南米大陸と東西に広がる太平・大西洋がクロス(交差)する『十字架』の中心に位置する国」と言えるのではないだろうか。
十字架はキリストが磔刑に処された時の刑具で、キリスト教で最も重要な象徴である。縦方向(南北)に伸びる「北・南米大陸」が「十字架の『縦の棒』」に相当する。また、「横の棒」は、米国を中心としてアジアとヨーロッパに伸びる太平・大西洋の海原(シーレーン)である。即ち、米国は南・北米国大陸の中枢を占め、太平洋と大西洋を越えてユーラシア(旧)大陸にアクセスできる位置に存在する。
マハンが「海上権力史論」を構想・執筆する上で前提とした米国の地政学の大要は、下記の通りだったと思われる。
米国は、地政学上二つの特色を有する。第一の特色は、前述の「十字架の『横の棒』」に由来するもので、「広大無辺(数千キロ)の太平洋と大西洋を隔てて、アジアとヨーロッパに対面すること」である。このことにより、第一に、米国は、ユーラシア大陸(西欧とアジア)とその周縁部に出現する強大な大陸国家(現在の中国や冷戦時代のソ連)や海洋国家(日本や英国)の脅威に対して十二分なバッファーゾーン(戦略的縦深性)を保有し安全である。
第二に、米国はアジア・ヨーロッパと通商するためには太平洋と大西洋を越えなければならない。大西洋と太平洋は世界で最も広大な海洋で、例えばサンフランシスコから東京までの距離は8270km、また、ニューヨークとロンドンの距離は約5500kmもある。従って、米国が旧大陸諸国家と通商を行い、覇権を争うためには広大無辺の海洋を克服する(海洋を支配する)必要がある。
米国の地政学上の第二の特色は、「十字架の『縦の棒』」に由来するものである。即ち、米国は、「縦の棒」に相当する「北・南米大陸」により隔絶され、大西洋と太平洋との往来が極めて困難である。両大洋を往来するためには、北はベーリング海峡を、南はホーン岬を迂回しなければならない。
しかも、ベーリング海峡は、7月から10月以外の間は結氷する。両大洋を往来するためには、マハンの時代の蒸気船の速度では、膨大な時間を要した。
1898年に米国とスペインの間で起きた米西戦争当時、米国は太平洋艦隊所属の戦艦オレゴンを南米のホーン岬経由でカリブ海正面へ派遣した。オレゴンは、総航路約2万キロメートルを67日間かけ、フロリダの米海軍基地パームビーチに到着した。
米国の地政学的な特色に由来する軍事・経済・通商上の課題について考えてみよう。米国の地政学上の第一の特色――「広大無辺の太平洋と大西洋を隔てて、アジアとヨーロッパに対面すること」――により、軍事・経済・通商上克服しなければならない課題は以下のとおりである。
第一に、米国が旧大陸の諸国家と通商を行うためには、大量の商船が必要である。商船を運航するためには、造船業の振興、港湾の整備、船員の養成などが必要となる。また、当然、通商を行う相手国内の港湾にアクセス権を持たなければならない。
第二に、商船を防護し、通商の相手国に睨みを利かせるためには、強大な海軍の建設が不可欠となる。米国の海軍は、当時、アジアとの通商を維持・防護するためと、英国やスペインなどのヨーロッパ列強による大西洋を超えた侵攻に対する防衛のために必要であった。
第三に、米国はアジアとヨーロッパに至る長大なシーレーン(通商航路)を確保する必要があった。大西洋においては、米国が独立する頃には、既に、英国やスペインなどがシーレーンを確立していたが、米国の西海岸から中国との通商を行うためには、新たにアジア向けのシーレーン――「太平洋ハイウェイ」と呼ばれた――の構築を急ぐ必要があった。
このシーレーン上にはいわば高速道路沿いにドライブイン・「道の駅」を設けるように、中継基地を設ける必要があった。中継基地は商船のみならず、米海軍のためのものでもあり、石炭・弾薬などの兵站補給や船舶修理などの機能が必要だった。このためには、ハワイやグアム更にはフィリピンなどに基地を設置する必要が生じた。
米国の地政学上の第二の特色――「北・南米大陸により隔絶され、大西洋と太平洋との往来が極めて困難で、両大洋を往来するためには、北はベーリング海峡を、南はホーン岬を越えなければならない」という制約――があるが、この制約を軍事・経済・通商上克服するためには、以下の課題を解決しなければならなかった。
米海軍は太平洋と大西洋の二正面に分割して配備しなければならなかった。米国は、マハンの時代には、ヨーロッパの英国、スペイン、フランス、ドイツなどの脅威が大西洋を越えてカリブ海まで迫っていた。また、太平洋正面には、新たに明治維新後「富国強兵」に励む日本帝国が台頭しつつあった。このため米国は、太平洋と大西洋の両正面に海軍を配備しなければならず、結果としてその戦力は、二分されることになった。
ワシントン海軍軍縮条約(1922年)で、米国及び英国と日本の保有艦の総排水量比率を「5対3」で合意した背景には、米・英両海軍が太平洋と大西洋の二正面をカバーしなければならないのに対し、日本海軍は太平洋のみを守備領域にすればよかったからだろう。
米国は有事に、太平洋か大西洋のいずれかに戦力を集中するためには、南・北米大陸を横断する運河(シーレーン)を建設する必要が生じた。その場所は、陸地が最も狭くなるパナマ地峡が最適だった。
マハンの海軍戦略が導き出された背景には、上述の新興国家アメリカの地政学があったのだ。
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