ハーバード見聞録(68)

「ハーバード見聞録」のいわれ
「ハーバード見聞録」は、自衛隊退官直後の2005年から07年までの間のハーバード大学アジアセンター上級客員研究員時代に書いたものである。

「マハンの海軍戦略」についての論考を9回に分けて紹介する。


「マハンの海軍戦略」第7回: ルーズベルトとマハンの関係(4/30)

マハンの重要著書の出版年次とルーズベルトの海軍次官・大統領職在任期間との関係は次の通り。

1890年 マハン:「海上権力史論」出版
1902年 マハン:「仏国革命時代海上権力史論」出版
1907~08年 ルーズベルト:海軍次官
1901年 マハン:「マハン海軍戦略」出版
1902~09年 ルーズベルト第26代大統領就任

これを見るに、マハンの重要著書である「海上権力史論」、「仏国革命時代海上権力史論」及び「マハン海軍戦略」のいずれもルーズベルトの大統領就任以前に世に出ている。特に、最初の2著は海軍次官就任の数年前、大統領就任の10年程も前に出版されている。従って、ルーズベルトは大統領就任前に、既にその慧眼でこれらの著書が将来のアメリカ発展にとって「バイブル=アメリカ発展の指南書」に相当する価値があることを見抜き、博覧強記の天性によりその真髄までも理解して、国策への具体化を構想し、実行したのではないだろうか。

ルーズベルトとマハンの関係については、栗栖弘臣元統合幕僚会議議長は著書『安全保障概論』(ブックビジネスアソシエイツ社)で次のように述べている。

マハンの海軍戦略は、海軍長官ハーバート、次いで大統領ルーズベルトという熱烈な共鳴者を得て、現実の施策に反映されるようになり、爾後の米国の海外拡張政策と建艦計画の基礎となった

マハンとルーズベルトの関係については、谷光太郎著「米国東アジア政策の源流とその創設者 セオドア・ルーズベルトとアルフレッド・マハン」 (山口大学経済学会、1998年刊)が好適の資料である。

マハンの戦略理論がいくらアメリカにとって、価値あるものであっても、国策として採用されなければ、単なる「理論」として終わり、その著書「海上権力史論」も海軍大学校などの図書館の中で、古ぼけた本として眠ってしまうところだった。

マハンの海軍戦略を理解し、「新興国アメリカの国策・戦略として最適である」と見抜くだけの慧眼を有し、これを国策に採用・実行した男――それが第26代大統領のセオドア・ルーズベルトであった。ルーズベルトは、「海上権力史論」が発売されるや、これを読み、高く評価し、直ちにマハンに次のような手紙を送り、その功績をたたえた。

今まで私が読んだこの種の本の中では、最も明快で最も有益なものです。極めて良質の、賞賛すべき本であり、古典になるべき本です

慧眼のルーズベルトは、マハンが「海上権力史論」で主張した海軍戦略理論が、当時のアメリカの将来を拓く「戦略指南の書」であることを直感的に見抜いたのだった。

マハンがルーズベルトと最初に出会ったのは、マハンが海軍大学校長(1986~89年)の時、ルーズベルトを講師に呼んだのが縁だ。ルーズベルトは、既に1882年(当時24歳)には「1812戦争(注:イギリスとアメリカの戦争)」を出版し、歴史家としての名声を確立していた。1812戦争では、陸戦のみならず、五大湖やセント・ローレンス川、更には大西洋において海戦・水上戦が行われており、この研究を通じて、ルーズベルトは、海軍に興味を持つに至った。この出会いを契機に、二人は親交を深め、海軍戦史や米国海軍の現状などについて意見交換を重ねたものと思われる。ルーズベルトは「海上権力史論」出版以前から、マハンの見識を高く評価し、緊密に連絡を取り合い、マハンの人事や所論発表などに、政治的影響力を行使して、陰に陽に力強いスポンサーとなる。

マハンの「海上権力史論」が1890年に出版された後、ルーズベルトは海軍次官(1897~98年)、次いで第26代大統領(1901~09年)と枢要なポストに就き、後で述べるように、マハンの海軍戦略理論を米国の国家政策・戦略として採用し、その実現に邁進した。
 

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