ハーバード見聞録(31)
「ハーバード見聞録」のいわれ
本稿は、自衛隊退官直後の2005年から07年までの間のハーバード大学アジアセンター上級客員研究員時代に書いたものである。
ことば(8月15日の稿)
9月2日からハーバード大学公開講座(Extension School)の英語教育が始まった。今春、陸上自衛隊退官後しばらく時間に拘束されない生活が続いていた私には、9時からの授業に出席するだけでも何だか苦痛だ。人間はすぐに安易な生活に慣れてしまうようだ。
ハーバード大学の公開講座では、英語のほか日本語、アラビア語、中国語、フランス語、ドイツ語、ヒンドゥー語、イタリア語、韓国語、ラテン語、ポルトガル語、ロシア語、スペイン語、スワヒリ語、スウェーデン語、トルコ語などの語学教育があるほか、芸術、人類学、アフリカ系アメリカ人(黒人)の研究、生化学、生物学、科学、ギリシア古典、ビジネス通信、コンピューターサイエンス、創作文学、ドラマ芸術、経済、エンジニアリングサイエンス、環境学、経済学、気象学、外国文学、文化学、政治、歴史、芸術・建築史、科学史、人類社会学、情報システム管理、法学、言語学、マネジメントオペレーション、マーケティング、数学、医科学、博物館学、音楽、自然科学、組織・人材活用学、哲学、心理学、公衆保険、宗教、社会科学、社会学、話術、統計学、スタジオ芸術、映画、学習・研究技法などと、広範多岐にわたる講座がある。
恐らく、ハーバード大学の正規の教育課程の科目のうち医学、工学など実技の多い科目を除いては殆どの科目を網羅しているのではないだろうか。
筑波大学の鹿島教授(ボーゲル先生邸の階下にお住まい)から「Extension(「大学の拡張」の意味)コース(ハーバード大学では『コース』と言わず『School』と呼んでいる)」の由来などについて以下のような興味あるお話を伺った。
「Extension School」を開くことに関し、ハーバード大学の立場としては、公共教育機関という側面を打ち出し、努めて多くの国民(外国人を含む)に門戸を開き、自らの教育資源を提供すると共に、学校経営上も遊休資源を活用できるという利点があると思われる。
また、利用する側にとっては、ハーバード大学の学生とほぼ同じクオリティーの教育がハーバード大学そのものの施設の中で受けられるという魅力がある。また、原則として、アメリカの大学では、他の大学で履修した単位を、新たに入学を認められた大学でもそのまま既取得単位として認められており、ハーバード大学の学生でない人達にとっては、後日、ハーバード大学の学部生に合格した時または他の大学の学生として新たにスタートする時、ハーバード大学の公開講座で取得した単位が既得単位として認められるというメリットがあり、決して無駄にはならならない。因みに、ハーバード大学在学中の学生も、ハーバード大学の公開講座で取得した単位を、卒業に必要な単位の中に組み入れることが出来る。
公開講座を受講する外国人学生の中には、国許では「自分はハーバード大学で勉強している」と言っているケースもあるらしい。これはあながち日本である国会議員が批判された「学歴詐称」には当らない。なぜなら、公開講座の単位(指定科目)を積み上げて、「ハーバード大学の学士号」を取得することも可能だから。但し、あくまでも Extension卒業と言うことで、学部(college)卒業とは別扱いである。
学校当局に聞いてみると、今回の英語教育受講者だけでも629人に上るという回答だった。従って、英語教育以外の公開講座全体の受講者を含めれば、相当な数になるものと思われる。
英語教育を受講して気付いたことは、受講者の中にヒスパニックが多いことである。私は講義開始直後の授業で、上級クラスに繰上げとなった。当初のクラスには、中国、韓国はもとよりロシア、スイス、トルコ、ルーマニアなど多彩な国から来ていたが、現在のクラス(10名編成)は私のほか中国人、韓国人の女性がそれぞれ1名ずついる他は7名全てがヒスパニックの女性である。
ヒスパニック独特の英語の発音は中々聞き取りにくい。スペイン語は文法、単語共に英語と類似点があり、我々アジア人よりは英語に馴染みやすいように見える。日本人の私には、ヒスパニックは、外見もアメリカ人とほとんど変わらないし、アルファベットの綴り方も手馴れたものだ。
私にとっては始めて知ることだったが、実はアメリカ国内でヒスパニックの言語に関わる問題が国民的な関心を集めている。アメリカ最大の国内問題の一つとして人種問題があるが、この問題に密接に関連する「言語問題」もまた重要な問題である。アメリカの人種問題といえば「黒人に対する差別」が核心だが、言語問題に関しては「ヒスパニック」の言語であるスペイン語の「公用化運動」が中心テーマである。
ヒスパニックは英語で「Hispanics」といい、メキシコやプエルトリコ、キューバなど中南米のスペイン言語圏諸国からアメリカに渡ってきた移民とその子孫(人種的には白人、黒人、インディオ、混血など)を言う。近年その人口は著しい増加傾向にあり、2003年現在、全米で4000万人のヒスパニックがいるといわれ、アメリカの総人口(約2億8000万人)の約13パーセント強を占め、2005年には黒人を抜いて最大のマイノリティ(少数民族)になったといわれる。
アメリカにおいては、ヒスパニックの人口増加が顕著で、例えば1980年から90年までの人口統計によれば、人口増加率は、白人が6パーセント、黒人が13パーセントであるのに対し、ヒスパニックは53パーセントに達していた。
何故ヒスパニックの人口増加が顕著なのだろうか。
第一の理由は出生率に由来する。例えばカリフォルニア州の出生率(1990年)について見れば、白人1.5人、黒人2.0人、アジア系1.9人であるのに対し、ヒスパニックは3.2人にものぼり、白人の2倍以上である(出典:「ヒスパニックにおけるバイリンガル教育問題」、林則完氏)。
第二の理由は、ヒスパニックの合法・非合法移民の数が圧倒的に多いことである。8月21日から9月2日までの間開催されたハーバード大学ケネディ行政大学院主催の特別セミナーにおいて聞いた話では、最近のアメリカへの合法・非合法移民の総数は約300万人で、そのうちの多数がヒスパニックであるとの説明であった。この300万人という数字は多過ぎるので、私の聴き間違いではないかと思い調べてみた。
1990年の改正移民法によれば、合法移民枠は67万5000人と定めている。また2003年にアメリカからメキシコのバハ・カリフォルニア税関に送還されたメキシコ人は約21万人にのぼっていることから見て、不法入国者の数はこれを相当上回る数と見られる。更に、1994年に発効した北米貿易協定(NAFTA)の補完協定により特定の専門職には非移民として就労可能となった。これに加え、留学生だけでも年間50万人受け入れていることから見ても、合法・非合法移民の総数が300万人という数字は妥当なものと思われる。
これらの移民は米国に継続的に低廉な労働力をもたらし、構造的に経済発展の下支えをしているものと考えられる。因みに、製造部門の平均時給はメキシコが2.4ドルに対し、アメリカが16ドルというデータがある。
このペースで合法・非合法移民が推移すれば、高い出生率と相俟って、アメリカの中で、ヒスパニックの人口は、中長期的には必ずやマイノリティからマジョリティになる可能性たかい。アメリカはいずれ、WASPの国からヒスパニックの国になるのは明白だと思う。
現在のアメリカの人口動態のトレンドから見れば、人種間の力関係は、P.F.ドラッカー流にいえば「見えざる革命=アメリカの『主人公』がWASPからヒスパニックにチェンジ」をもたらすのかもしれない。
アメリカに入ってきたヒスパニックの大半は当然のことながら、英語を十分には話せない。20世紀初頭、アメリカでは日常会話はドイツ語を禁止し、更に1950年代には学校におけるスペイン語の使用も禁止した。これまでの間、移民は「sink or swim(溺れ死ぬか自分で泳ぐか)」という、政府も州も何もしない放置政策であった。
このような政策の中で、1960年代初頭、ヒスパニックの英語能力の不足による社会問題(学校中退や苛めなど)が顕在化するようになった。特に1962年のキューバ危機前後、キューバからの難民でヒスパニックが急増したフロリダ州では対応を迫られ、学校が独自に英語とスペイン語のバイリンガル教育を開始した。
このような流れの中で、1968年ジョンソン政権において初等中等教育法の改訂として「バイリンガル教育法」が成立した。この法律の成立によりスペイン語(原則的には他の言語も含む)を学校の教授言語とする道は一応開けた。しかし、同法には幾つかの問題があり、その定着は中々困難であった。
第一の問題として、同法はバイリンガルの対象言語が不明確で、ヒスパニックでないマイノリティの市民からは「何故スペイン語だけが学校教育で行われるのか」という不満が広がった。1974年には中国系移民の児童の家族から「英語だけでは、平等な教育の機会が与えられていない。中国語も使用されるべきだ」という訴えがあり、連邦最高裁がそれを認めた。この判決は、スペイン語だけが特別扱いされるのは憲法に沿わないという見解が、最高裁で認められたことになる。
第二の問題として、同法が目指す究極のバイリンガル教育の目標として「最終的にはスペイン語から英語に移行する過程として位置付ける」考え方と「アメリカの中でヒスパニックとして独自性を認める」考え方を、それぞれの立場の人々が自分達に都合よいように解釈できる余地があることだ。
1980年代に入り、ヒスパニック系議員やヒスパニックの圧力団体などの活動が目立ち始めるようになった。非ヒスパニックの人々の目には、このような動きは、カナダのケベック州の例のように、ヒスパニックがアメリカ社会の中で社会的・政治的・経済的に特別な野心を実現する為の戦略として、バイリンガル教育法を利用しようとしているのではないかとの疑念を強める結果になった。
1980年代以降、ヒスパニックのバイリンガル教育運動高揚の「反作用」として「英語公用化運動」が台頭して来た。1981年、日系のハヤカワ議員(カリフォルニア州選出)によって「英語をアメリカの公用語にするための憲法修正案」が提出された。同法案は日の目を見なかったが、その支持者は全国に広がりを見せている。また州レベルにおいては、1990年までに17の州で「英語が公用語」に指定された。
アメリカは多くの人種・民族により構成されているが、「それぞれの言語のアイデンティティ」を認めればアメリカ国内における「人種・民族・文化の独立」を認めることになり、アメリカの一体性が損なうことになる。「英語公用化運動」の広がりは、アメリカ国民(非ヒスパニック)がこのことを憂慮した結果であろう。
日本という単一民族国家にあっては、言語が一国の根幹を揺るがす問題になることは夢想だにできないが、アメリカのような多民族国家においては、言語は人種や宗教などと同じように極めてヴァイタル・センシティヴな問題になりうる。
この点、黒人は奴隷時代に英語の使用を強要され、世代を重ねるごとに固有の言語(アフリカ各地の多様な言語)が消失したものと思われる。万一、黒人がヒスパニックと同様に固有の共通言語を今も堅持していたなら、黒人問題は更に混迷を深めていたかもしれない。言語というアイデンティティを持たない黒人は、音楽などで独自性を主張しようとしているように見える。英語使用の際も、意図的に白人のものとは違う独特のスラング、発音などを創り上げ、最後の抵抗を試みている節がある。
アメリカにおける英語教育のニーズを試算してみたい。前述の合法・非合法移民の数300万人を前提とすれば、これにヒスパニック(約4000万人)がアメリカで産んだ子供の数(英語学習適齢人口200~300万人と見積もられる)及び留学生約50万人を加えれば、数百万人の英語教育のニーズがあるものと考えられる。
妻が通っているケンブリッジ市内の私立の英語学校(有料)1校だけでも1000人以上の受講者がいると見られる。このほかにボストン市などにも多くの有料の私立の英語学校がある。また、ハーバード大学に留学中の影浦2空佐によれば、ウォータータウン市、ウォルサ市などボストン市周辺の各地方自治体は、無料の英語教育講座を開設しているという。これら無料の英語教育講座には多数の申請が寄せられ、多くの「順番待ち」が出来ているという。
ちなみに、影浦夫人は、受講開始時に「Visiting(一時滞在)か Permanent(永住者)か?」を問われ「Visiting」と答えたところいやな顔をされたという。影浦2佐によれば「Visiting」よりもニーズの切実な「Permanent」を優先すべきだった――という思いが担当者にあったのではないかとのこと。
「アメリカの国益」と言えば、「誰がその主体」なのかという疑問が起こる。「最大多数の最大幸福」という民主主義の理論から言えばその主体はWASP(White Anglo-Saxon Protestant)だろうか。そのWASPの立場からは、ヒスパニックを黒人同様に英語と言う言語に同化するのが望ましいことだろう。ヒスパニックのスペイン語使用を容認すれば、第二、第三のバイリンガル問題が生起するのは疑いないところだろう。
ハーバード大学周辺やボストン市内を行き交う人々の発する言葉は英語ばかりではない。サラダボール状(米国の多民族は混血するよりもそれぞれのアイデンティティを保持しながら混在していると言う説)のアメリカにあっては、バイリンガル問題は永遠の課題であろう。
新約聖書に「始めに言葉ありき。言葉は神である」というヨハネの福音書の一節(冒頭)がある。単一民族国家の日本にいるときには気付かなかったが、言葉は人間にとっても民族にとっても極めて重要なものである。
国際的視点に立てば、言語の流行は国力に比例していると思う。今、日本国内における外国語教育の現状を見れば頷けるであろう。英語が群を抜いているはずだ。冷戦時代のロシア語は、「歌声喫茶」と共に共産主義イデオロギー宣伝の道具となった。近年中国の台頭で中国語学習熱が高まっているのは米国だけではないはずだ。
戦争と英語も密接な関係があるようだ。イラクへの介入及び対テロ戦争の結果、アメリカでは、アラビア語の需要が高まっている。バージニア州のクアンティコにあるアメリカ海兵隊指揮幕僚大学に留学中の大場2佐によれば、同大学の学生は週3回のアラビア語学習が義務付けられているという。
ルース・ベネディクトの「菊と刀」やアーサー・ウェリーの「源氏物語英訳」などの作品は、当時台頭する日本に対処する為に欧米が開始した日本・日本語などの研究の副産物とも考えられる。
各国が国語教育を重視する中で、日本においては若者の活字離れが懸念されるところである。
【追記】アメリカは「多様性」と「差別」が混在する矛盾の中で揺れている。今回の稿は15年前にハーバード滞在中に、アメリカの「ことば」について書いたものである。多民族国家のアメリカでは民族の数だけ言葉がある。
アメリカは建国以来、主導権を握ってきたワスプ――ホワイト・アングロ・サクソン・プロテスタント (White Anglo-Saxon Protestants)――が使用する英語が事実上の「国語」だった。
それを覆そうとするのは人口増加が著しいヒスパニック(スペイン語、スペイン文化、スペイン人、またはスペイン全般に関連する人、文化、国を指す)である。
多民族国家アメリカで英語以外の言語の使用を州や合衆国で認めれば、それを契機に他の民族も自己の言語の使用を認めさせようとする運動が広がるのは当然だろう。
アメリカで言語の多様性を容認するようになれば、それは旧約聖書の「バベルの塔の物語」――人類はノアの大洪水の後、シナル(バビロニア)の地にレンガをもって町と塔を建て、その頂上を天にまで届かせようとした。神はこれをみて、それまで一つであった人類の言語を乱し(多くの言語に分離し)、人間が互いに意志疎通できないようにした――と同じで、アメリカは分裂国家になるだろう。
宗教や言語の違う民族それぞれが、自己主張をしてアメリカが「核分裂」を起こす日がそう遠くない未来に来るのかもしれない。
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