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読書めも『インカ帝国-歴史と構造』 渡部 森哉 (著)

私の読書メモをまとめてみました。実際に書かれている内容とは異なる部分があります。本に何が書かれているかを知るためには、やっぱり、自分でちゃんと読むことをお勧めします。

著者

 渡部森哉さんは、アンデスの考古学と文化人類学を専門としています。「古代アンデスにおける複雑社会の研究」によって、2015年日本学術振興会賞を受賞しました。

インカ帝国の記録方法

 インカ帝国は無文字社会です。キープという紐を使って10進法で数を記録しました。

 記録されているのは、ほとんどは物資や人のリストで、項目ごとに数が羅列されています。また、キープには歴史的な出来事も記録されており、16世紀~17世紀にスペイン人が、キープカマヨクがキープから読み取った内容をスペイン語に翻訳したキープ・テクストが残っています。しかし、キープの読み方は残っておらず、どのキープがどのテクストと結びついているのかわかりません。

 キープの素材は、アルパカやラマの毛から作られた糸を使用しています。様々な色の紐を組み合わせ、中心となる紐から複数の紐が垂れ下がる構造になっており、結び目の位置と形、数などで情報を表しています。400以上のキープが残っており、約7割は10進数を表していますが、残り3割はそのルールから外れています。そこに王の歴史に関する情報が記録されているのかもしれません。

くらし

 インカ帝国は、自らを「インカ帝国」と名乗っていたわけではありません。「インカ」とは、「太陽神の子」を意味し、王または王族のことを指すと言われていますが、この書籍によると戦争に参加できる成人男子を意味するとなっています。インカは、戦争によって勢力範囲を拡大した支配者であり、後にその民族集団をインカ族と呼び、支配した国家をインカ帝国と呼びました。

 インカ帝国では、主にジャガイモ、トウモロコシ、キヌアなどの農作物を食べていました。しかし、トウモロコシは高地での栽培に適さないため、ジャガイモが主食だったと思われます。ジャガイモは、チチカカ湖のほとりが原産地とされています。

 他の穀物と違い、ジャガイモは水分が多く、保存に向きません。土器や布で作られたものは、祭祀の際には壊され、燃やされるものであり、あくまで消耗品でした。また、高地では気圧が低く、燃焼によって高温を作り出すことが難しいため、鉄や鋼などの技術はなく、融点の低い金や銀が装飾用として使用されただけです。

 従って、貨幣も生まれませんでした。すべての人が自らの食べるものを作る自給自足が原則です。専門的な職人は、王に任命されたごくわずかの人でした。

 インカ帝国以外の多くの権力者は、自らの力を財産の価値と量で示していました。しかし、インカ帝国にはそのような財産がありません。その代わり、インカ帝国では「どれだけ人がいるか」が重要でした。権力者の富は、どれだけその人を助ける人間がいるかで評価されました。

 ヒープで主に管理されていたのは「人の数」です。王は、労働力を税として使用することができました。しかし、王は労働力を一方的に搾取するのではなく、労働力の対価として、モノや貨幣ではなく、饗宴を開き、酒をふるまい、酔っぱらうという楽しみを与えました。

戦争

 インカ帝国の財産は「人」です。インカ帝国の戦争は、人を損なわないよう配慮されています。

 武器は石を手で投げるか、先端に石のついた三叉のひも状の道具を振り回して投げます。弓矢のような殺傷力の高い武器は使われず、殺傷能力の低い武器が好まれました。

 戦闘中でも、農繁期になったら解散します。保存できる食料が少ないので、毎年の農作業を休むことができません。

 アンデスでは、指揮官が捕らえられた時点で戦争は終わります。スペイン軍との戦いでは、王が神輿から引きずり降ろされると負けを認めています。勝敗はその程度のことで決まっていたようです。

 インカ帝国は常に戦争し、勢力を拡大していました。しかし、移動手段は徒歩なので、全ての地域を治めるのは難しくなります。いったん征服した地域で反乱がおきることも少なくありません。

 王は、常に人々に労働を課し、余暇を与えないようにしました。道路や橋の補修を行わせたり、高度な遺跡を建築したのは、人々を遊ばせておかないためであり、反乱を起こさせないためでした。なので、その作業に効率を求めることはありませんでした。時間をかければかけるほどよいと考えていたのかもしれません。

 また、労働力を最大限に引き出すため、人口の4割を移動させ、帝国内に分散させました。

 戦争によって勢力を拡大することと、人々の労働力をコントロールすることが王の役割でした。すべての人を、インカ王のために働いている状態に保つことが重要でした。

数の概念

 インカ文明は、記述的な手段がほとんどなく、独特な数の概念が育ちました。

 数字は、数を数えるためのものであり、序数という概念は発達しませんでした。順番という概念がほとんどなかったのです。

 キープカマヨクが伝えたインカ帝国の13人の王の歴史も、実際には順番という概念が明確でなく、王位の継承はおこなわれず、どの王が何代目なのか明確ではありません。記録されていない王もいたようですし、13という数が最初から決まっているのかもしれません。

 王は、前王の財産を引き継ぐことはできず、人もモノも全てをゼロから始めなければなりませんでした。アンデスの儀礼は、古いものを破壊して新たなものを作り上げるという流れに従って行われます。土器類は度ごとに壊され、織物は燃やされます。保存よりも更新が重要視されていました。

 アンデスの人々は儀礼の際、徹底的に酒を飲みました。酒を飲みすぎることによって忘却し、リセットし、新たに更新するという意味合いがあると思われます。

 序数の概念がないアンデスの人々は、1年は積み重ねるものではなく、繰り返すものと認識していました。

ジャガイモがインカ帝国を作った

 ジョージ・オーウエルは『あなたと原子爆弾』の中で、「文明の歴史は概ね武器の歴史である」と語っています。複雑な武器は強者、専制君主をより強くすると。インカ帝国は単純な武器しか存在しませんでしたが、王によっておさめられた帝国を築いています。しかし、歴史という概念が育ちませんでした。そして、複雑な歴史を記述するための文字が生まれませんでした。

 イネ、コムギ、トウモロコシの世界三大穀物が人類の文明を作ったという説があります。アンデス文明にはトウモロコシはありましたが高地では栽培できず、主食はジャガイモでした。それが、アンデス文明を異質なものにした原因なのでしょうか。

 とはいえ、他の文明や帝国と異なり、インカ帝国に暗黒の時代があったという記録はありません。人の自然な生き方に近かったのかもしれないと感じました。


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