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【エッセイ】 スーパーマーケットの袋詰め係 〜やっぱり今でもカルチャーショック

 日本全国どこのスーパーマーケットへ行っても、レジで会計を終えた後に袋詰めをするためだけの専用カウンターが設置されている。
 そのカウンターには小さなビニール袋や包装用の新聞紙、輪ゴムやセロテープなどが備えつけられていたり、指が乾燥していてビニール袋が開けない人のために、親切にも、指を濡らすための小さな「指濡らし器」まで置いてあったりする。何とも気が利く心配りだ。そのため、会計が済んで、ゆっくり自分のペースで袋詰めすることができる。
 しかし、こちらではそうはいかない。レジ係がスキャンしたと同時に、短いベルトコンベアの先で、即座に袋詰めしていかなくてはいけない。

 ある大手チェーンのスーパーマーケットでは、それぞれのレジカウンターにレジ係ともう一人、袋詰め係が待機させられている。レジ係が商品をぞんざいにひったくってスキャンした後、わざわざ「ボン」と音を立てて叩き投げた商品を、客に代わって乱雑に袋詰めする係の人だ。
 私は未だに、レジ係の乱暴さやガサツさには慣れずにいるが、この袋詰め係の下手くそさにも全く慣れずにいる。
 レジ係に関して言えば、どこのどのスーパーマーケットへ行っても、どこのどのレジラインへ並んでも、一様に乱暴でガサツ極まりない。「商品はこのように乱暴に扱いなさい」と一斉に教育されているかのように、どこのどのスーパーマーケットへ行っても、決まって、徹底した乱暴ガサツぶりだ。商品を丁寧に優しく扱うレジ係に出会ったことは未だかつて一度もない。
 その乱暴ガサツとペアになった袋詰め係というのも、これまた一様にして、乱暴ガサツな上、下手くそ極まりない。
「なぜ、それを先に入れちゃうの?」
「なぜ、それをその上に置くわけ?」
と、いちいち手を出すか、口を出すか、またはその場はうっと堪えて、出口付近で全部詰め直しをする羽目になる。
 例えば、ブドウやサクランボなど、ケースに入っていない物の上に平気で重たいキャベツを「ドスン」と入れる。メイプルシロップの大きな缶詰だって、2キロ以上ある小麦粉の袋だって、潰されては困るような食品の上に平気で投げ入れてくる。
 「ベルトコンベアに流れて来た順番に急いで詰め込みなさい」とでも教育されているのだろうか。唯一、誉める点があるとすれば、早さだけだ。私などは購入商品全てをざっと見渡し、「これとあれとあれを底に入れて、これはこっちのバックで、あれは夫のバックバックに入れて」などと考えているから、早さだけは到底彼らには敵わない。
 きっと、私のようにレジでもたつく客を如何に早く追い出すかという問題を解決する為に置かれた係なのだろう。でも、それなら日本のように、袋詰め専用カウンターを作った方が経費は安く済むはずだ。そうすれば、客だって袋詰め専用カウンターで自分のペースでもたもたできる。
 しかし、レジを早くさばくことだけではなさそうだ。
 もしかしたら、袋詰め係は大手スーパーマーケットのロゴの入ったビニール袋や不織布袋を客により多く購入させることも任務のひとつなのかもしれない。私なら袋ひとつに上手に収納してしまうところを、彼らは2袋も3袋も必要とする。流れて来たものを流れて来た順番に躊躇なく、ただ「ドサッ」と入れるだけで、パズルのようにバックの中の配置を考えることをしないから、入るものも入らない。
 バックの底の角に四角い箱の商品を上手に合わせれば二つ入るところを、四角い商品をわざわざ斜めに入れるから、バックの底には斜めになった四角い商品がひとつしか入らない。袋の許容量だって最低レベル以下だ。バックや袋の外見だってぼこぼこ、あっちこっちに尖っていて美しくない。入れ方次第ではもっとたくさん収納でき、もっと美しい形に仕上がるのに、彼らが手を出すと、如何にも「頭の悪い」買い物袋の出来上がりだ。
 これを回避するためには、とりわけレジにて、ベルトコンベアに流す順番を考えなくてはいけない。詰める順番でレジ係へ渡すよう徹底しなくてはいけないのだ。それでも、袋詰め係の入れ方は袋の収納最大量を大きく下回る上、頭の悪そうな形に仕上がるのに、ベルトコンベアに流す順番を間違えれば、頭の悪そうな見た目だけでは済まされない。重たいもので押し潰された傷つきやすい商品や柔らかい商品が犠牲になる可能性が大だ。
 技術の全くない袋詰め係たちは買い物客の購入商品を袋へ詰めることが仕事だから、ニコニコしながら「Hi, How are you?」の薄っぺらな上っ面挨拶をしながら、客が手に持つ空のバックを奪い取るようにしてひったくる。うっかりバックを奪い取られてしまえば後の祭りだ。
「自分で詰めます」
 私は上っ面挨拶もそこそこに、奪い取られそうになっているバックを握る手に力を込め、いつも決まって頑なで凛とした態度で立ち向かう。
 予め、夫にベルトコンベアに流す順番を教え、レジの反対側で待機し、覚悟を決めて袋詰めの早業に挑む。
「躊躇してはいけない」と、自分に厳しく言い聞かせながら、「こうやって詰めるのよ」と見せつけるようにして手際よく詰める。夫のミスでうっかり流れて来た潰れやすいものや傷つきやすいものはすっと脇へ置き、硬くて重たいものから詰め、底を安定させる。
 ところが、袋詰め係は袋詰め係のくせに、他人の袋詰め技術を盗もうとはしない。私が自分で高速袋詰めをしている間、「ラッキー」とばかりに彼方の方向を向いて同僚としゃべくっている。「ちゃんと見ておけよ」と腹の中で叫ぶ私をよそに、へらへらした態度で、くっちゃべったままだ。
 たまに、くっちゃべる同僚が見当たらず、暇を持て余す袋詰め係が、一番上に入れようとして脇へよけた商品を「入れ忘れ」だと思い込み、私が袋詰めしている袋の中へわざわざ割り込んで入れようとすることもある。私はすかさず、「これは押し潰されたくないから一番上に置くのよ」とわざわざ教えてやるのだが、「ふん」と言った態度で、袋詰めの基本中の基本のアドバイスを聞こうともしない。
 私が袋詰め係に採用されたら、一週間後にはスーパーバイザーになっているはずだ。そしたら、国中の袋詰め係を一斉に集めて、袋詰め合宿をして叩き込んでやる。私はそんなことを想像しながら、高速袋詰めを続ける。
 
 こんな日常のお陰で、日本に帰国する度にカウンターカルチャーショックを受けることのひとつが、スーパーマーケットのレジ係の懇切丁寧な仕事ぶりだ。
 買い物カゴから商品を取り出し、スキャンした後、会計済みの別の色の買い物カゴへひとつひとつ商品を移していくその所作の、なんという美しく優しいことか。商品を大切に丁寧に扱うレジ係の両手から、愛情すら感じさせられてくる。
 同時に、カゴの容量を最大限に生かすべく、瞬時に頭の中で3Dの立体図を描いているかのように、早業テトリスをするような収納技術を発揮する。商品の形状や大きさや重量をさっと把握し、重く硬いものはカゴの底辺へ、割れたり潰れたりしそうな繊細なものはカゴの外へよけて待機させ、その間もしなやかで優しい手つきの両手をノンストップで効率良く使い、スキャンと整理整頓を続けていく。
 客が横にしてカゴに入れていた商品を縦に置き換えたり、時には、カゴの中の配置をさっと替えて次にスキャンされる商品の置き場所を確保したりしている。客のカゴから取り出す順番だって、スキャン後のカゴへの配置を考えている模様だ。何て、頭がいいのだろう。
 そうやって、あっという間に、ちょっとやそっとガタガタ揺らしたって崩れない安定した積荷へと仕上げてしまうのだ。見た目だってすっきりと美しく、商品の見通しも良い。日本人買い物客のカゴですら、ビフォー&アフターの写真を撮ったら、レジ前とレジ後では大違いだ。日本のスーパーマーケットのレジ係は、こちらのレジ係と袋詰め係の仕事をひとりで一気にこなしてしまう。しかも、その出来栄えたるや、こちらの袋詰め係とは月とスッポンだ。
 日本に帰国する度、私は日本のスーパーマーケットのレジ係の美しい所作をいやらしく眺め、日頃、積み重ねていたカルチャーショックの傷を癒している。

 日本からこちらに戻れば、まずしなくてはいけないのがスーパーマーケットでの買い出しだ。そして、あっという間に、癒された傷もまた強引に裂かれてしまう。
 こちらでは、プロのレジ係だって、プロの袋詰め係だって、全く整理整頓ができないのだから、まして買い物客ができるわけがない。買い物客のショッピングカートの中も買い物カゴの中も、日本人には信じ難いくらいぐちゃぐちゃのめっちゃくちゃだ。きっと、こちらのぐちゃぐちゃショッピングカートたちは日本のレジ係に腰を抜かして驚くことだろう。
 それにしても、こちらのスーパーマーケットの袋詰め係たちは小さい頃、形状認識おもちゃなどで遊んだことはないものだろうか。私は真剣に考える。四角い形をしたものを四角の穴に入れ、三角形の形のものを三角形の穴へ入れ、六角形の形のものを六角形の穴に入れるというあのおもちゃだ。形状認識おもちゃは知らなかったとしても、積み木くらいはやったことがあるだろう。誰だって、幼少期に片付けをさせられたはずだ。おもちゃ箱へおもちゃを入れる。遊んだゲームをゲームの箱に戻す。こういったことが大人になってからどれほど役に立つものか、こちらのスーパーの袋詰め係を見るにつけ思う。日常のあらゆるところに必要な技術だ。片付けには必須の技術だ。
 この日常不可欠な技術、引越しの時にだって重要だ。引越し業者は必ず、段ボールの数はいくつかと聞くだろう。引越し料金は家具の種類だけでなく、段ボールの数でも変わってくる。引越し業者を頼まなくたって、段ボールの数がやたらと多ければ、それだけ運ぶのだって、荷解きするのだって、仕事量が増えるだけだ。如何に、箱の容量を最大限生かすかは、詰め方にかかっている。

 私たち夫婦は結婚後しばらく引越し貧乏だった。毎年のように引越しをしていたからだった。ある時は、予め短い期間であることが分かっていた為、私はまたすぐに荷造りしやすいような工夫を凝らしていた。「この棚の物は全部この段ボールへ詰める」「この引き出しの物は全部ここに入れる」とメモ書きをつけた段ボールに、包んであった包装紙やプチプチも入れて取って置いた。
 いざ、短い滞在期間が終わり、再び引越しの際、夫に「ここの棚にある物を全部この段ボールへ詰めておいて」と頼んだ。
 ものの数分で、「終わった」と報告に来た夫の仕事ぶりに、私は顎が外れそうなくらい大きな口を開けながら凝視した。まるで、この大きな棚を持ち上げ、ひっくり返して段ボールへ流し入れたかの様子で、箱の中はぐっちゃぐちゃだ。このバカ力の大男ならやりかねない。しかも、「これだけ入らなかった」と、棚の半分ほどの物が床にぐちゃぐちゃに置かれていた。
「この棚にあった物は全部この段ボールに入っていたの。だから入らないわけがないでしょ。ちゃんと整理整頓しながら入れないから入らないのよ」
と言いながら、再び箱をひっくり返し、「いい、こうやって、先にこういうものを入れて、こうやって」と整理整頓の実演レッスンを施した。
 なるほど、早いわけだ。スーパーの袋詰め係と全く一緒だ。早いが中はぐっちょぐちょ。夫のこのパッキングのお陰で、以前の引越しではいくつかの物がダメージを受け、泣く泣く手放して来た。どういうわけだか、こういう時には高価で気に入っている物ほど犠牲になるものだ。

 そもそも、物の扱い方に対して、「大切に」「丁寧に」「心を込めて」「優しく」「きちんと」「しなやかに」などの形容詞も、「整理整頓」や「片付け」、「所作」「立ち居振る舞い」「身のこなし」などの名詞も、「そぉっと置く」や「音を立てずに」「ガチャガチャさせない」などの表現も、それぞれ英語に直訳しようと思うと、どうにもあまりしっくりこないことが多い。第一、英語には日本語ほどの語彙もない。言葉がないから思想がないのか、思想がないから言葉がないのか。とにかく、「物を大切にする」「物を丁寧に扱う」という概念すら、きっと日本人のようには持ち合わせていないのだろうと思う。幼少期から教え込まれて来た「物を大切にする」という思想がここには見当たらない。欧米の国々で、日常生活において「物を丁寧に扱う」人に出会うことは稀だ。
 しかし、生活を共にしている夫はそれでは困る。スーパーマーケットへ行く度に、そして、度々の引越しの際に、私から厳しいレッスンを受け続けた甲斐あって、夫はようやく詰め方の基本が身につき、「物を丁寧に扱う」という感覚に目覚めてきたようだ。せめて、家庭内が平和なのだから、外の世界は気にしないことにしよう。
 そうは心に誓っても、やはり我慢ならない時は我慢ならない。こちらのスーパーマーケットもこちらの引越し業者も、プロのくせに、昔の夫のレベルをえらく下回るのだ。過去に、ヨーロッパでプロの引越し業者に荷造りを頼んだことがあったのだが、まぁ、蓋を開けてびっくり玉手箱だった。引っ越し後、包まれずに剥き出しで入れられていた新品でない靴と乾物の食料品がセットになって詰められていた段ボールを開けた途端、私は仰天して悲鳴を上げた。
「どうしてこういう組み合わせをするのだ!」
食品がパッケージされた乾物だったことがせめてもの救いだった。
 スーパーマーケットだって同じだ。たとえば、トイレの洗剤だって、平気でブドウと一緒に袋詰めされてしまう。ミニベルトコンベアに流れて来た順番がすべてなのだ。

 日本人だけが異常なのかもしれない。もしかしたら、日本人だけが非常識で、世界ではこれが常識なのかもしれない。次第にそう思うようにもなってきた。
 でも、まぁ、それでも良い。私は「物を丁寧に扱う」という考えが好きだ。この感覚は大切な宝物だから、私は世界の非常識のままでいい。


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