【エッセイ】 「くさい」で起きる 〜コメディショーみたいな夫婦の日常〜
冬の間、半年以上もドカンと雪が降るくせに、びっくりするほど暑い夏のモントリオールでは、エアコンなしの夜は非常に寝苦しい。昔からあるアルコール温度計のあの赤い液体は、モントリオールに連れて来られてしまったために、一年を通してマイナス30度からプラス35度まで激しく上下に動き回らなくてはならない。きっとどこの大都市に置かれるよりも過重労働だ。
どちらかと言うと、寒さ厳しい真冬に備えて、防寒のための断熱に造られているモントリオールのアパートは、真夏の太陽の熱は内にこもったまま逃げられず、家の中を彷徨い続けている。
近年建てられた家やアパートには日本のようなエアコンが取り付けられているが、古いブロックアパートメントには、そんなハイカラなものはない。だから、窓に取り外し可能なエアコンをつけている家が多い。取り外し可能でなくてはいけない理由は、冬は二重窓をしっかりと閉め切らなくては、隙間風で窓ガラスが凍りついてしまうからだ。
あまりの暑さに、ある夏、取り外し可能なエアコンをつけようかと試みたが、一番エアコンが欲しい寝室と居間の窓は小さ過ぎて、取り外し可能なエアコンすらどうにもこうにも設置が難しかった。どうせ、仮住まいだ、数年の辛抱だ、と夫を説き伏せ、断念せざるを得なかった。
暑いか寒いかの選択なら、私は寒いのは苦手だが、暑いのには耐えられる。夫は逆で、寒いのには耐えられるが、暑さにはからっきしお手上げだ。モントリオールのブロックアパートメントのように、夫の体はもともと暑さ用には作られていない。私たちが犬だったら、きっと夫はハスキー犬か秋田犬で、雪の中だって平気で外に出されたまま飼われていた。ところが、そのハスキー犬が突然、常夏の島に連れて行かれると、経験をしたことのない暑さにくたばって動けやしない。私は普段からお洋服を着た気取った室内犬で、外の散歩だって、レインコートにブーツまで履かされて、ちょっと寒けりゃあ、震えて見せて、飼い主様に抱っこしてもらうような犬に違いない。
私と夫はいろいろな側面で相性がバッチリなのだが、ひとつだけどうしてもお互いに歩み寄りできないことは家の中の温度設定だった。
幸い、取り外し可能な小さな四角いエアコンすら取り付けられなかったため、私たちはエアコンのない暑い夏を過ごし続けていた。エアコンが付いてしまった日には、私は真夏でも冬の羽毛布団をかけて眠らなくはならなくなる。夫には気の毒だが、私にはエアコンがないくらいの方が、寒さで羽毛布団にうずくまるよりマシだった。
そんなエアコンのないアパートで暮らしていたある夏の夜のこと。
その夜は日本の熱帯夜のように猛暑で、眠っちゃいられないほどの寝苦しい夜だった。いつものように狭いベットルームの隅に扇風機を設置して寝床についた。小さな窓からはほとんど風は入って来ず、ぬるま湯のような風を吹き散らしているだけの扇風機が、唯一の頼みの綱だった。
寝室での扇風機の配置はハスキー犬の頑なな希望により、微妙な位置と角度が決められている。夫の足元の角っこから、夫の下半身を通って、夫の頭上へと向かう格好で強風を吹きつけるように設定される。眠っている間はなるべく直接的な風を浴びたくない私は、出来ることなら、扇風機に私たちの頭上少し上に向かって首振りをしてもらうか、私たちの頭の先の壁に向かって吹き当てバウンスするようにして欲しい。しかし、夫は直に、最大限に風を受けたい派だ。私はエアコンを買いたくて仕方のないハスキー犬の希望通りにするしかなかった。
まるで東南アジアの台風前のビーチで寝そべっているかのように、やかましい生温かい強風にさらされながら、ベットの上で、あっちへゴロゴロ、こっちへゴロゴロと寝返りをうっていた。暑くて暑くてなかなか眠れやしない。寝苦しいとは本当にこういうことを言うのだと、体全体で思いっきり感じ切っていると、ようやく眠気が暑さに勝ち、薄らと眠りについた。
ところが、だ。
私は「臭い!」で目が覚めた。せっかく寝入ったばかりだというのに、だ。
右隣に眠っている夫の右足の小指の端っこから、夫の下半身を通って、夫と私の頭上へと向かって来る生温かくやかましい最大強風が、この時、卵かお肉の腐ったような匂いと硫黄の匂いを混ぜ合わせ、吸い込んだ途端、反射的に吐き気をもよおすほどの強烈な臭さとなって、私の鼻の穴へ突っ込んで来たのだ。
「臭い!」
私は声を上げた。「臭い!」と感じ、目が覚めた途端に奇声を上げたのか、眠ったまま寝言のように「臭い!」と言ったのか、一瞬のことでよく分からない。しかし、「臭い!」と声を上げなくてはならないほどの臭さだった。と、同時に「オエ〜っ」と吐き気までもよおしてくる不快極まりない過激な臭さだった。嗅いだことのある臭さだが、今までで最強レベルだ。
臭さをデータで表す機械があれば、きっと最高値を表示していただろう。もしかしたら、機械もお手上げで、測定不可能になったかもしれない。部屋の中は臭さが最大限生かされる適温だったに違いない。最大限に引き出された臭く生温い風は疾風の如く私の鼻の穴を目がけて来た。鼻の中が915ヘクトパスカルの台風に直撃されたかのようだった。よりにもよって、私の鼻の穴の中へ上陸だ。偶然にも、無意識に臭さを最大限味わおうとしたのか、私の鼻の穴はちょうど深呼吸の「吸う」方のタイミングだった。「工場から直輸入。出来立てほやほやを最速で!」パン屋さんのキャッチフレーズが頭の中を飛び交った。焼き立てパンの香りは美味しそうでいい匂いだが、私は出来たてほやほやの生温かい夫の屁を大量に吸い込む羽目になった。
しかし、私があまりのことに飛び起きたのに、屁をこいた張本人は眠りこけている。暑さの最中でもお腹を冷やさないために掛けていた掛け布団代わりのシーツも跳ね飛ばし、よく見れば、尻の穴をちょうど扇風機に向けている。ビリヤードでこちらの角から対角線上の向こうの角にスコーンと鮮やかに球を入れたように、尻から発射された出来立てほやほやの屁は私の鼻の穴に真一直線だ。「スコーン」と鮮やか一発だ。せめて、シーツをかけていてくれていれば、臭さもシーツの中で籠り、充満しているだけだったのに。
夫の屁は豆類とキャベツが混じった時に非常に不快な臭さを放つ。牛肉を大量に食べた後も臭い屁をこくが、臭い屁はどうやら肉だけが原因ではなかった。この頃、私たちは肉を食べない食生活をしていた。その上、夫は一日に四回も五回もうんこをするので、通常、夫の屁はほとんど匂いがない。ところが、たまに、組み合わせの問題なのか、何かが特別、夫の腸内細菌と合わないのか、とんでもない屁をすることがある。また、普段する四回、五回のうんこが一回だったり二回だったりする場合にも起こり得る。この夜はすべての条件が重なって起こった奇跡だった。
熱帯夜の気温と湿度
生温かい大強風
扇風機の角度
むき出しの尻
尻の穴の向き
夫の腸内細菌のご機嫌
夫のうんこ工場の製造の遅延
この夜、屁こきマシーンのお腹の中はフル活動で始動していた。「ブー」と、ドデカい音がした途端、扇風機の最大強風が「臭い」を一瞬で私の鼻の穴へ届けてくれる。おならの発射から文字踊り、一瞬だ。私はお腹にかけていたシーツで鼻を覆う暇すらない。立て続けに起こる「ブー」の爆音に、私はひと晩の間で、息を止めて対処する術を身につけるまでになった。
寝不足だ。
何たって、やっと眠ったと思えば屁。また再び眠りについたかと思えば屁だ。「ブー」の爆音は一晩中続き、私はストレスの中で仮眠を取っていたに過ぎない。一体、どうしたらあんなくさい屁が作れるのだろうか。夫の腸に尋ねてみたいものだ。
翌朝、健やかに清々しい顔をした夫に一晩溜めたストレスをぶつけたのは言うまでもない。
火災報知器に匂いをつけたというニュースを聞いたことがあった。匂いと言っても、アロマオイルのような良い香りの匂いではなく、足の匂いだ、うんこだ、ドリアンだのの臭い方の匂いだ。あまりに眠りこけた人が火災から逃げられなかったことで発明されたという。火災報知器に付けられた匂いがどれほどの臭さかは分からないが、どうやら人間は音だけでなく不快な臭いでも目を覚ますらしいということが研究で明らかになったからだ。このニュースを聞いた時は、にわか信じ難かった。
臭い火災報知器の開発にあたっては、是非とも思春期の私で実験をしてもらいたかった。当時の私は一旦眠りこけたらほぼ起きることはなかった。「私は一体何をしに生まれて来たのか」と、自分で自分に自己嫌悪に陥るほど、大切な時にも眠りこけていた。阪神淡路大震災が起こった時、起きたら大きな家具が顔のすぐ上を覆っていた、という若者の話を聞いたことがあったが、思春期の私ならきっと負けないくらい、眠りこけていたに違いない。
臭い火災報知器はそんな人たちのために作られたとのこと。尋常でない音でも起きられない「眠りこけ人種」まで救ってくれるというのだ。何と言う優しい話なのだろうか。
有難い発明が非常に心に響いたものの、私のような「眠りこけ人種」でもこの臭い報知器で目を覚ますものか、仮に現在の私は目覚めても、思春期の眠りこけ最盛期の私は目覚めることが出来ただろうか。いささか疑問は心に刺さったまま何年かが過ぎていたところへ、この夜、私は科学的に証明することが出来た。ただし、私は実力で眠りこけてはいなかった。寝苦しい夜にやっと薄ら眠った程度だった。くさいで起きるは本当だったが、思春期の私がそれを実証できるかは引き続き謎のままだ。
それにしても、日本の扇風機と違い、こちらで購入したアメリカ製の扇風機はやかましい。日本に出回っている扇風機には、「送風」だ、「微風」だ、「うちわ風」だ、「優しい風」だとか何とかいう設定がある。名前からしても静かな優しい思いやりのある風がそぉっと吹いて来る様子が想像できるが、実際に、本当に静かで優しい風が吹くから驚きだ。「優しい風」という表現が非常にしっくりくるほど、肌に当たった風が何ともやわらかく感じられる。一体、扇風機の羽にどんな仕掛けをしてあるのだろうか。
我が家のアメリカ製の扇風機はどれもこれもがやかましい。小型の扇風機だって、小型のくせにやかましい音で「仕事をしています」と訴えてくる。扇風機の首の角度だって、日本製は微妙な角度できちんと止まっていてくれるが、我が家の扇風機はどれもこれも「もうちょっと上」だ、「もうちょっと下」だのの微妙な角度調節をしてはくれない。扇風機がちょうどいい場所に当たるよう、私たち自身が動いて対処しなくてはならない。やかましい上に言うことすら聞かない。
毎晩、寝室で使う扇風機には三段階の強弱があるが、「弱」にしたところでやかましさは変わらない。日本の扇風機は「弱」と言ったら、静かな音の優しい風を送ってくれるのに、我が家の扇風機ときたら、「弱」と言ったって、強風だ。音だって「これが弱の音か」とクレームをつけたくなるほどのやかましさだ。だから、やんわりと少しだけ風が欲しい夜などは、寒過ぎるわ、やかましいわで次第に腹さえ立ってくる。
夫が一番弱いボタンを押していても、私は必ず強風かと間違えるほど、いつになってもこの一番弱いボタンの風には慣れることが出来ない。
「一番弱いボタンにして」
「これ、一番弱いボタンだよ」
「え、これで一番弱いの?」
扇風機をつける度に、この一連の会話を繰り返す。
ただでさえ寝苦しい夜は、扇風機のやかましいのも手伝って、益々、眠りにつくまでに時間がかかる。
あぁ、日本の扇風機が恋しい。アメリカ人はどこにいてもやかましくてすぐに分かるが、アメリカ製の扇風機もやかましさはきっと世界一だ。日本人はどこにいても大抵、おとなしくて静かだ。同様に、日本製まで優しくて静かだ。これがお国柄というものなのか。人にも物にも実によく表れている。