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ロックンローラーになりたい。サニーデイ・サービスの「DOKIDOKI」の魔法にかかった話
風呂掃除をしました。お風呂の壁をスポンジで擦る。天井の排気ダクトについた汚れを落とす。歯ブラシで排水溝のぬめりとり。そんな作業中、足りないものは何一つない!と実に心が満たされて、幸せな気分になりました。
掃除が好きなわけでありません。魔法にかかったのです。スピーカーから響くサニーデイ・サービスのアルバム「DOKIDOKI」の魔法です。
このアルバム、本当に愛がいっぱいです。垂れ下がった心がぐっーと持ち上がりました。素晴らしさをだれかに伝えたいので、この文章を書いています。
まず、一般的に愛という言葉は色々なニュアンスで使われています。
人に何かをしてあげる時に愛という言葉を使う人もいます。彼女への愛というように、特定の人への熱い気持ちにも愛という言葉を使われます。
でも、このアルバムを聴きながら、一番好きな愛は、起こっていることに対する肯定の態度としての愛だと思いました。肯定の眼差しが注がれていることが最高の励ましであり、最も好きな愛という言葉のニュアンスだな、と。
ボーカルの曽我部さんの歌詞は生活している人と同じ目線で、迷いや戸惑いをもつこと、時に騒いだり有頂天になったりすることを肯定していて、背中を押されます。この肯定の眼差しはなにより一歩前に踏み出すことをサポートしてくれる気がします。歌詞が乗る、エイトビートのリズムは、古典的ともいうほどシンプルで、体を動かします。
何より感動したのが、最後の歌のタイトルが『家を出ることの難しさ』なのです。
コロナで家の外に出られない期間が続きました。家で楽しめるコンテンツも溢れて、外に出るのが身体的にも心の面でも億劫です。街に出ないと人にも出会えない。わかっているけど家から出にくい。安全で快適すぎるからその外に出るのは勇気とパワーがいります。
こういう状況を「家を出ることの難しさ」という言葉で切り取る視点に、なにより「肯定」の愛を感じました。
家に出ようよ、と諭すでもなく、コロナの状況をシニカルに批判するのでもなく、目の前のことを「それでいいじゃん」とする眼差しです。決して投げやりでもなく、一旦ここに身を置いてから希望を見つけようとする態度が、なにより好きだと思いました。
もともと、このアルバムを聴いたきっかけは「POPLIFE」 というpodcastに曽我部さんが出演していたことです。新作アルバムについて4人で雑談している番組です。
この番組を聴いて、アルバムを聴かずにはいられない、という気持ちになりました。
話の聞き方がまず素敵でした。うんうん、っていう相槌を入れながら聞いてくれる。
そして創作への姿勢が自然体なんですよね。テーマはつくらず先に音を鳴らしていき、偶然性やその場のバイブスを考えすぎずに楽しむそうです。
そういう気負いのない態度でいることは実は難しいことです。意図の少ない、自然体な姿勢で生み出される音は信用できると思いました。
さらに「人間なんて立場や主義主張は関係なくみんな同じだと思って歌いかける、そうじゃないと意味がない」という語りを聞いて、しびれてしまいました。
これがロックンロールなんでしょうか。
だとしたら。私、ロックンローラーになりたい。
そして、マジで女・曽我部恵一を目指したい。
あまりに気分が盛り上がったのでコンサートのチケットを取りました。
他のアルバムはほとんど聴いていない俄かファンですが、きっと曽我部さんはこう言うと思うんです。
「出したアルバムを全部聴いてほしいなんて思ってなくてさ。音楽って偶然出会って気持ちいいねーと思う、そんなもんでしょ。」
かっこいいぜ!
Spotifyを聴ける方はぜひ。
「DOKIDOKI」
POPLIFE 表現者/生活者=曽我部恵一と超・雑談