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軽やかに1日1日をすごす
最近、終わりを意識することが増えた。
今41歳で、折り返し地点ぐらいだろうか。
気力や体力がある時期は半分よりももっと短いかもしれない。
両親も着実に背中が丸くなってきて、耳が聞こえないとか言い始めた。
体は有限だ。いつか冷たくなって、動かなくなってしまう。
寂しい。と同時に、不謹慎に聞こえてしまうかもしれないけど、限りがあるのはロマンティックだと思う。
いつか終わることを意識するほど、もっと美しいものを見ようと思う。
もっと世界を愛でたいと思う。
辛いこと、違和感のあること、心配なことももちろんあるけれど、いずれこの世界への滞在時間も終わってしまうと思うと、つまらない顔をしているのはもったいない。
できるだけワクワクして、希望を作り出して、味わって過ごしたい。
「もっと五感を使えばよかった」
亡き笑福亭笑瓶さんは、一度、ゴルフ場で急に倒れたことがあり、意識が遠のきながら、そう後悔したそうだ。
そうかもなーと思って印象に残ったので、ずっとこの言葉を覚えている。
体がある喜びって、五感から感じられることが多い気がする。
できたての親子丼の湯気、さくさくしたとんかつの衣、運動したあとの水。
誰かが顔をなでてくれた手の温もりや、早朝の空気の凛とした冷たさ・・・。
もし死んでしまったら、これらの味わいがなくなると思うと、寂しい気持ちになってくる。
だから、生きているうちは、五感を生き生きさせて堪能できる自分でいたいし、それができる環境に身をおきたい。
生きている理由はわからない。
ただ、今生きているのは事実。
それは、奇跡の中にいること。
何者かにならなくちゃ。
将来設計どうしよう。
違和感ばかりの社会を変えなくちゃ。
誰かの役に立たなくちゃ。
そんな焦りで力んでいた頃もあった。最近までそうだった。
でも急速に変わっていていて、びっくりするほどだ。
自分にも周りにも期待しなくなった。おかげで、受け取りやすくなったし、動きやすくなった。
そして、自分を導く直感をたくさん受け取っているのに、あれこれ考えて否定して、違うもので満足させようとしたり、行動を避けたりしすぎていた。
今は、生きている奇跡を傷つけないように、上品に軽やかに1日1日を過ごしたいし、直感にしたがって導かれるままに、いろいろ体験をふやしていきたい。
さぁ今日もはじめよう。