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『一汁一菜でよいという提案』土井善晴【食の本紹介13】
借りて読んでみたら、予想以上に良かった本だったのでご紹介。
この本は、一汁一菜を見直すことを提案している。一汁一菜とは「ご飯、味噌汁、お漬物」を原点とする和食の型である。
この本の面白さは、一汁一菜から始まって、美意識や文化に深く触れていくところである。
一汁一菜とは、ただの「和食献立のすすめ」ではありません。一汁一菜という「システム」であり、「思想」であり、「美学」であり、日本人としての「生き方」だと思います。
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こういう精神論も、味噌汁から語られるとすんなり読めるし、日本に伝わる思想について知る機会はあまりなくて、読んでみると乾いた土に水が染み込むような満足感があった。
本の中を読んで、二つ、印象に残ったことがある。
一つは、ハレとケが、日本の大事な要素だということが改めてわかったこと。
「手をかけるものと手をかけないものの二つの価値観を並列させて使い分けてきた」のが、ハレとケだ。
ハレの日の食事は、神様のために作る食事。だから手間暇をかけて工夫して彩りも香りもよいものにする。一方のケの日は素材に手を加えず慎ましくいただく。
そういえば、この前読んだ、石牟礼道子さんの『食べごしらえおままごと』でも、ハレとケは印象的に書かれていた。
作家のお父さんは没落して貧しい暮らしだったが、まつりごとは欠かさなかった。ハレの日には食卓も飾り物も工夫してきちんとやることで、気位を保っていた。
まつりごとの日に家族、従業員、近所の人が総出で料理をこしらえているシーンがこの本に何度もでてくる。旬の食材を使って時間をかけて準備をする。作者の桃源郷のような思い出である。
もう一つ、この本の中で驚いたことがある。
「フランス料理を習いにいってもよいか」と聞いた妻に対して、夫が「習ったものを家で作らないならよい」と答えたというエピソードがあった。
これにはちょっと理解ができなかった。私だったら、家でつくらないなら習っても意味がないと思うから。
しかし、昔は、家庭で料理屋(プロ)の真似ごとをするのは品が悪い、と思っていたそうだ。慎ましい日常の食卓を維持することにも、誇りを持っていたのだ。
土井善晴さんは、今は「ハレとケの境目がなくなったことで混乱している」と書いている。
たしかにそうかもしれない。
食卓を慎ましく保つことで心をいましめ、ハレの日には華やかにすることで心を解放していた。食卓に型があることで、心の置きどころをつくっていた。
今は、ケがなくて、毎日がフリーダム。そして、SNSで日常をあたかも特別な日であるかのように演出することができるし、それがよしとされている。
シェフのレシピでご飯をつくってみたり、つくった料理の写真を投稿したり。それは人生を楽しんでいる証拠。
でも、時代をさかのぼれば、品がない、野蛮、と叱られてしまうのかもしれない。
今、私たちは豊かになって解放されたのか。はたまた、下品に迷っているだけなのだろうか。
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近所にできた「みんなでつくる本とアートの実験室」ラムリアにてシェア本棚をかりました。そのなかから1冊紹介しています。めざせ100冊。