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憧れのFootpathを歩いたら最高でした【イギリス一人旅】

7月2日(火)

散歩好きの国、イギリスには「Footpath」という散歩道が国中にあるという。

川や丘、農場、自宅の敷地内など、国有地だけでなく私有地も通れることが特徴で、その背景には歩く権利が法的に保障されていることがある。

Footpathは小さな看板で誘導されていて、牧草地には牛や羊が逃げていかないように木の柵があり、歩行者はその柵をまたぎながら歩いていくという。私もそれをまたいでみたいと憧れていた。

Footpathの道はグーグルマップには表示されないので不安だったが、ラッキーなことに、ハイキングの格好をして前を歩いているグループをみつけたので、あとをつけていった。

これが大正解。

牛しかいない牧草地を通り抜けた。牛と私をへだてるものは何もない。

何度も木の柵をまたいだ。なんとも素朴で手づくり感あふれるものだった。

草が踏み固められた道があるが、デッキなどの人工物はない。

右手側には小川が流れていて、その周りを背の高い草がおいしげっている。足もとをみると、ところどころに花が咲いていた。

みわめつけは晴れ渡った、水色の空。

最高だ!

遠くに先をいくグループが小さく見える以外は周囲に誰もいないけれど、私はなんの不安もなくルンルンと幸せで満ち足りていた。


日本だと、ここに地図を設置したり、道を整備したり大袈裟にしてしまうだろう。それは日本人的な丁寧さであり、親切心であり、リスク管理なのだろう。

それに比べて、この国のFootpathはなんとそっけないことか。とても合理的で、余計なものがない。ここを歩く者たちの見識を信頼しているからだろう。それが心地良く感じる。


途中、畑のまんなかのゆるやかな丘に、ぽつんと立っている小さな教会を見学する。中世にここが村だったときにできた教会だそうだ。

石造りの壁はコーラルピンクにぬられ、それが経年劣化で淡い色合いになって馴染んでいる。窓の脇に生花が飾られている以外は、ほとんど飾り気がない。木の椅子に20人座れば満員のこじんまりした空間。

ここで休んでいたら、中世から自分のため隣人のため家族のために祈りを捧げてきた人間の営みがとても純粋なものに思えて、つぅと泣けてきた。

中世のこの村に住んでいた女性は、なにを祈っただろう。

今年の小麦が豊作でありますように。戦いに出かけた夫が帰ってきますように。熱をだして苦しんでいる子供が元気になるように、、、

そういう祈りに守られながら、人類が何世代も続いてきたのだなぁと、しばらく感傷に浸って、再び外にでると、先を歩いていたグループの姿はもう見えなくなってしまっていた。

でも、私はさらにまた歩いていく。いくつかの集落を抜け、川を渡る。

途中、おもわぬところでカフェをみつけたので立ち寄った。

Swan inn という宿の1階がカフェになっている。有名な宿のようで、バカンスで来ているカップルや家族がいて、中は華やかな雰囲気だ。

そして、店内では若いハンサムな男の子たちがきびきびと働いていた。

スタッフの男の子が、私が日本人だと知ると、「東京にはぜひ行ってみたいよ」とか「カースルクームは綺麗な街だからぜひ行ってみなよ」とか声をかけてくれる。

ありがたいのだが、今私は何歳だと思われているのだろうかと妙な自意識が発動し、急に恥ずかしくなって、紅茶をぐっと飲み干して、何も挨拶しないで逃げるように店を出てきてしまった。

今日はずっと人をしゃべっていないし、おまけに生理痛で体がそわそわしているので「人間」の発する刺激が苦手なのだ。言葉や気配に妙に敏感に反応してしまい、結果として挙動不審になってしまう。

さっきの親切なスタッフに、心のなかでいろいろと言い訳をしながら、今日のような日にロンドンにいなくてよかった、人に会わなくてすんだし、と感謝する。

そろそろ、正味4時間のお散歩をおえ、荷物を預けていたBurford(バーフォード)の宿に戻り、宿があるCheltenham(チェルトナム)へ向かう。

バス旅も気楽なものだ。グーグルマップで表示される時刻表が実に正確だし、バスも時間どおりに来るのだから。

おかげで、イギリスという異国にいるのに、日本にいるときと緊張感があまり変わらない。

というより、日本という母国にいながら、なんで毎日あんなに緊張して過ごしているのだろうか。

旅先では今日の移動、寝床や食事に物理的にヤキモキするが、日本にいるとその全てが安定している分、人間関係や人の言葉尻、仕事の細かい進捗が気になって、それはそれでサバイバルである。

ヨーロッパではいろいろな人種がいるのが普通だから、他人との細かい違いは気にならないが、日本だと周りを見渡せば日本人なわけなので、細かい部分が気になる、ということもあるだろう。

何が言いたいか、というと、かならずしも母国にいるから心理的に安全かというとそうでもないということだ。そして、私はイギリスにいてなかなか快適である、ということ。


さて、今日の寝床についた。家の中庭に作った小屋の中で、壁は薄くて狭い。うまく眠れるだろうか。


中庭で買ってあったコロッケとオリーブをつまみながら、日が沈み暗くなっていく様子をながめた。近くでカラスがないている。

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