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「この人映画になりそう」と思った3人の話

映画は好きだが、撮ったことはない。

しかし、いつか、撮るかもしれない。人生、何が起こるかわからないし。

「この人、映画になりそうだなあ」と思った人たちがいる。

いままで出会ったなかで3人いて、1人はガソリンスタンドの店員。

2人目はイギリスで会った駅員。

3人目は音響の営業マン。

一見バラバラな彼らには共通項がある。

社会的に成功した人たちではなくて、片隅で生きにくそうにしている人たち。

社会に適合しているようで、尻尾を隠せていないたぬきのように、なにかが漏れ出ている人たち。

それは映画のテーマそのものだ。この映画は観る人を選ぶものになるだろう。きっと大ヒットはしない。いや全くしないかも(笑)


最初に「映画になりそう」と思わせたのは、ガソリンスタンドで働いている、おばちゃんである。

誰もが知っている大資本ではなく個人経営のスタンドで、目立った看板もなく、給油口は真ん中に1つしかなかった。

ちゃんとガソリン入れてくれるのかなと心配になるくらい、たよりない印象で、地元でも忘れられて閑古鳥がないていた。

急いでガソリンを入れたかったので、そのスタンドに入った。待ち構える店員はいない。

しばらく間をおいて、奥の小さな事務所から中年の女性がでてきた。近づいてきたその人は、驚くほど化粧が濃かった。フル装備のお顔をしていた。

その顔で、耳元でささやく時のようなねっとりした口調で「いらっしゃいませ」と言った。

そして、ガソリンスタンドの定番のオーバーオールではなく、白いブラウスに黒いスカートを履いて事務員のような地味な格好をして、豊かな体を包んでいた。

「レギュラー満タンで」
「レギュラー満タンですね〜」

ねっとりした口調でいう。ガソリンスタンドにはボーイッシュでぶっきらぼうな女性が多いから、この口調に違和感がある。

そして気になって仕方がない。猛烈な色気があるのだが、ヘルシーなそれではなく魔界への入り口のようなねっとりとした色気。もはや妖気。妖怪のような存在感。

こんなインパクトの強い方が、まさか閑古鳥のなくガソリンスタンドにいたとは!

あまりに不釣り合いで、解釈がおいつかない。現実認識がバグをおこして、コンピューターが壊れたときようにザーと黒い画面が流れ、物語の世界へと引き摺り込まれた。

めったに客がこないスタンドの事務所でこの人はなにをしているのだろう。時間をもてましているだろう。いや、夜は水商売でもされているのだろうか、むしろその方が納得がいく。いや、それとも経営者の妻かと妄想が止まらない。

ほどなくしてその店は閉店し、今はもうない。あの女性は今何をされているだろう。


二人目。

イギリスにいったとき出会った駅員さんが「映画になりそうな人」の二人目である。ロンドン郊外の駅の窓口で切符を買ったとき、ガラス窓の下の手がとおるくらいの穴から切符を渡してくれた。

ニョキとでてきた手は指先まで模様が入っていた。はっとして見上げると、首元までタトゥーが入った男の人がそこにたっていた。

髪の毛は1ミリくらいにかりこみ、目がくぼみ、骨ばって暗い印象だったが、駅員の制服をきたその人から、やんちゃな気配はなく、むしろ静かな印象で、改札の通り方がわからなくて聞いたときも丁寧に対応してくれた。

ヨーロッパではタトウーを入れた人たちは珍しくないが、彼はすべての皮膚をおおうように入れていたし、そんな人が鉄道の駅員の服を着ていると妙にそそられてしまう。

ロンドンから1時間ほど北西に行ったその駅には、華やかさはなくどこか殺伐とした乾いた雰囲気で、そこに全身タトゥーだらけの駅員さんが静かに立っている。その組み合わせが妙に「映画のようだ」と思う。

この人は昔は荒くれていたのだろうか。悪さをしたあと更生したのか。いや、でも数ヶ月たったら、もう彼はもうここにいないかもしれない。

彼もまた映画になりそうな人である。私にとって、映画になりそうな人というのは色々な物語を連想させる人なのだ。


3人目の人は、この間会ったサラリーマンだ。体にあったスーツに身をつつみ、髪の毛をムースでかためて後ろに流し、磨かれた靴を履いている。

彼は音響機材を売っている営業マン。言葉遣いや立ち振る舞いもスマートで感じがよい。

ただ、彼が白い車で現れたとき、ボンネットの左端に数箇所のぶつけた跡があったので、おやっと思った。それが最初の違和感。

そして、そのあと、彼が手帳を開いているところを私は横目でみてしまった。

文字がびっくり埋め尽くされていて、白い紙がみえないくらいに真っ黒だった。筆跡がページを埋めつくていて、もはや文字は判別できない。真っ黒なページに、彼はさらに文字を書いていた。

はっとした。

なにか病気なのか、落書きなのか、ストレス発散か。わからないけれど先ほどの車の傷ともあいまって、礼儀正しくそつがない営業マンにみえる人の収まりきらない部分を目撃したような気がして、見てはいけないものをみたような決まりの悪さをとともに、同時に「この人映画になりそう」と思った。


この映画のテーマは、社会のなかで生きていくしんどさと滑稽さを描くことである。

同時に、隙間のようにみつけた居場所のいとおしさについて伝えるものである。

短編オムニバス形式で彼らの謎をおいかけていくが、たいした事件はおきない。
なぜなら、彼らには居場所があるからである。

巧みに自己表現できる人より、社会に適合してしようとしているのに、どうも不器用な状態になってしまい生きていくのが少々大変そうで、それでも破滅的にならずに小さな居場所にみつけてそこでひっそり生きていこうとする人たち。

そんな人たちの映画である。どことなく、三宅唱監督の『夜明けのすべて』に似ているような気がする。


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