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1年3ヶ月ぶりの勝利投手

みなさん、こんにちは。福谷です。

昨日、昨年6月以来となる1軍での先発登板に臨み、1年3ヶ月ぶりとなる白星をいただきました。

その前の日、木曜日のベイスターズ戦で劇的な逆転勝利をした流れそのままに良い雰囲気でゲームに入っていけたのは、みんなのおかげです。

写真に映っている翔平(加藤翔平)の手袋は、1軍の登板が決まってナゴヤ球場でバント練習をしてたときに彼からもらったものです。
僕の手袋が破れてるのに気づき、たまたま後ろを通りかかった翔平に向かって「翔平、バッテ余ってない?😅」ととっさに聞いたら「余ってるからあげるよ!」って言ってくれました。
同じローリングスの手袋ですし、フィット感もいいので「これでもし打てたらおもろいし、試合もこれでいくわー😁」って伝えて東京に向かったわけです。
ですので、たまたま打てたヒットのことを翔平にも伝えたくて、ああいう形で写真に映りました。


1年以上前、最後に勝てたのは昨年5月23日、広島での試合でとても印象に残っていますが、今回の試合も負けないくらい、いやそれ以上に忘れられない試合となりました。

試合の振り返り

正直、初回はどうなるかと思いました。
コマンドはめちゃめちゃ悪いわけじゃないのに、強い打球をどんどん飛ばされ「これが1軍と2軍の違いなのか」と頭をよぎりました。

ただ、ファームで投げていたときから意識していた「何が起きても淡々と次のバッターに向かう」という心構えを1軍でも体現できたことが、その後の結果につながったのかなと思います。

「淡々」と「単調」は紙一重で、僕が先発するときの長所であり、短所であるとよく小田さんから言ってもらいます。それに関しては投げるボールやフォームより心持ちのほうが影響する気がしています。
そして結局のところ、勝負する相手が存在する以上、それが「淡々」か「単調」かを決めるのは打たれたかどうかです。

そして、僕らピッチャーにとって1番大切な「打たれるか抑えるか」ということにおいて最近改めて気づいたことがあります。

頑張ったら抑えられるというわけじゃない

それは頑張れば頑張るほど抑えられるというわけではないってことです。

力いっぱい投げても、手を抜いて投げても、打たれる確率が比例するわけじゃありません。
ただ、練習やトレーニングを頑張ってる人(自分は頑張っていると思っている人)ほど、力いっぱい投げた方が打たれないという錯覚に陥りやすいのかな…って思ったりします。
「動きをコントロールしたい」という欲求が強い、イップス傾向の人も同じかもしれないですね。


明石家さんまさん
の言葉で『努力が報われるなんて絶対に思っちゃいけない』というものがありますが、その言葉は自分にも響きました。

反対に「努力は報われない」と言うつもりはありません。
これについては極端に考えない方がいいと思います。

自分のパフォーマンスを高めるために、結果を残すためにトレーニングを続ける。報われるかどうかはわからないけど、そのとき自分が信じたトレーニングを続け、自然体で臨む。時には手を抜くことする。

これくらいの温度感が今の僕にはちょうどいいです。

これが「最後」かもしれない

昨日のインタビューや取材の中で(いやこれまでのそれらの中でも何回か口にしていますが)「これで最後かもしれないと思ってプレーしてます」と言いました。

それに対して、スタンドから「まだ諦めるには早いぞー」みたいな声を頂きました。ありがとうございます。
ただ、僕の中では諦めの気持ちはありません。

僕が使ってる言葉とそのニュアンスが少しズレてるのかな、と思いました。
なので、この「最後かもしれない」って言葉を、今の自分がどう捉えて使っているのかを書かせてもらいます。
自分の中でもすこし整理したいので。


いま僕はドラゴンズのユニフォームを着てプレーしていますが、それがいつできなくなるかはわかりません。

  • ケガするかもしれない

  • 戦力外になるかもしれない

  • 試合での出場機会がゼロになるかもしれない

  • チームそのものがなくなるかもしれない

  • 感染症などでチーム活動ができなくなるかもしれない

考えたらキリがないくらい、プレーできなくなる要因が出てきます。
もちろん、プレーできなくなった先で、また違うきっかけで別チームなどでプレーする可能性もあります。
ですが、いま着ているユニフォーム、いまプレーしている環境はいつ終わってもおかしくないと思うようになりました。
これは長期離脱のケガをしたり、コロナで開幕が遅れたり、アメリカに行っていろんな選手の境遇を聞いたりしたことでたどり着いた僕の考えかたです。


つまり…いま自分に起こっている日常がいつ終わるかわからない不安定なもので、むしろ「あたりまえ」と思っていることは必ずしもあたりまえじゃない、ってことですね。
そっか…「あたりまえ」か。

僕が使っている「これで最後かもしれない」って言葉は、言い換えるなら「いまプレーできてることをあたりまえと思ってませんよ」ってことなのかもしれません。たぶん。
なんか哲学っぽくなってきそうですね。

振り返ったり日記を書いたりしながら、自分の感情や言葉と引き続き向き合っていきたいと思います。

そして自然体で、呼吸をするようにプレーできるようにトレーニングを続けます。

ありがとうございました。

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