【父になって7年】子どものおかげで変われたこと
こんにちは。福谷です。
先日、長女が7歳の誕生日を迎えました。
小学生になり、行事、習いごと、宿題や遊びに忙しくなっていく娘を見ながら「頑張り屋だなぁ」と感心することも多いです。
娘が7歳になることは、つまり自分が父として7年間過ごしたってことですよね。
7年前、当時の僕はプロ5年目で、クローザー奪還を狙う一方で、野球の楽しさが最も薄れていた時期だったと思います。
そんななか、毎晩のように妻と「この子をどう育てたいか、どんな大人になって欲しいか」みたいな話をしていたことが懐かしいです。
(後に妻から聞いた話だと、当時の僕とは仕事の話をしないように意識してくれていたとのこと。だいぶ苦しそうな顔をしていたからだそうです。)
「子どもにどんな大人になって欲しいか」というトークテーマは、生まれたばかりの頃はもちろん、節目節目で僕らのなかでメイントークになることが多かったです。
引っ越すとき、幼稚園に入るとき、習い事をはじめるとき、おもちゃを買ってあげるとき、テレビで子供をテーマにした放送を観たとき、小学校に入るとき…挙げたらキリがありません。
野球でたくさんの失敗をしてきたように、子育てでもたくさんの失敗をしてきました。
たとえば、長女が1歳の秋、アンパンマンミュージアムに遊びに行き、帰ってきて寝る前のこと。
イヤイヤ期なのか、疲れなのか、妻の言うことをまったく聞かず駄々をこねる娘に対してとても激しい口調と声量で怒ったことがあります。
娘はびっくりし、そして相当怖かったのでしょう、大声をあげて泣き出し、吐いてしまう事態になりました。
妻がなんとかなだめてくれましたが、自分が「これくらいで注意しよう」と思っていた2倍、3倍のパワーで怒ってしまったこと。当時、仕事でも秋のキャンプ中でイライラすることが多かったのは覚えていますが、その分も家族にぶつけてしまったこと。とてもショックでした。今でもとても後悔しています。
そのあたりから、自分の仕事でのパフォーマンスを上げるための勉強から、子育てや家族、お金に関する勉強をするようになりました。
本を読んだり、ブログを読んだり、両親や義父母に聞いたり…
まだまだ失敗することや「やってしまったな…」と思うことはたくさんありますが、そのたびに成長させてもらってるという実感を得ています。
それと同時に、子どもとのコミュニケーションのなかで得た気付きや教訓もたくさんあります。
その一部を紹介します。
親として1番の役割は環境づくり
子どもは親のことをよく見ている
具体的に話す
「できない」「無理」というワードを減らす
「楽しさ」を最優先に
どれだけ失敗させるか
モノより経験
「親↔︎子ども」=「コーチ↔︎選手」
子どもは勝手に育つ
パッと思いつくものだけでこれだけ出てきました。
(これはあくまで僕の個人的な気付きに過ぎませんし、正解ではないと思っています)
この中で最初に思いついた2つを、チョイスして深掘りしてみます。
もし、他にも深掘りして欲しいテーマがあればコメントください。
親として1番の役割は環境づくり
僕らは長女が幼稚園に入るタイミングで引っ越しました。
その際、いろいろ気にしましたが、僕が1番気にしたのは学区(というかその町の雰囲気)でした。
そのエリアにはどんな店が多く、どんな景色をしていて、どんな人たちが住んでいて、どんな友達ができそうか、そんなことを考えていました。
なぜそんなことを気にしたのかというと、子どもは環境の力を利用して育っていくイメージが僕の中にあったからです。
僕の言う環境はenvironmentよりsurrounding寄りというか…その人の周りを取り囲む人やモノのイメージですね。
具体的には人だけでも学校の先生や友だち、習いごとの先生や友だち、友だちのお父さんお母さん、スーパーやコンビニの店員さん、配達員さん、などなど…
なので、子どもにとっての環境には、僕たち親も含まれてる感じがします。
子どもが朝起きて、夜寝るまでに見ること、聞くこと、触ること、味わうこと、それらすべてが経験値として積み重なっていくと思っています。
僕たちは、その環境づくりの一部を担ってます。
家の中でできることは、子どもにどんな姿を見せるのか、子どもにどんな言葉をかけるのか、家にどんなものを置くのか、どんなものを一緒に食べるのか、って感じでしょうか。
個人的には言葉のかけ方にはとても注意してます。
過去の失敗のように、子どもにとってのよくわからない強い言葉で支配することはゼロにしたいです。(もちろん、強く注意することは必要だと思っています。ただ、「何を怒られたかわからないけど、とにかく怖かった」って思わせてしまうことは減らしたいです。)
この環境を大切にするという考えは子供への接し方だけじゃなく、僕も仕事をしていてかなり意識しています。
例を1つ挙げるなら「いつもどんな人と一緒にいるのか」ってことですかね。
いつも周りにいる人たちの影響を受けるので、自分の周りに誰がいるかってことは自分が成長できるかどうかを決める要素として大きなものだと感じています。
若手のとき、年代の近いピッチャーとばかり仲良くしていたら「馴れ合うな」と注意されたことがありました。
そのときは「傷を舐め合うことをせず1人で闘え」と言われているような気がしていましたが、今になって振り返ると、結果の出ていないピッチャー同士で仲良くしていて、成長できる率は低そうだろうなって思えます。
今の環境に甘んじて成長の機会から逃げていた僕らのことを「馴れ合い」と表現されたのかな。
それくらい誰といっしょにいるのかどうかは、人生を左右すると思っています。
オフラインはもちろん、オンライン上での付き合いも含めてです。
ただ、お金を払えば飛び込める環境もありますが、実績や能力がないと飛び込めない環境があるのも事実です。
終わりを迎える前に、どんな環境に飛び込んでいけるのか、そこで何を学べるのか、そして次にどんな環境に飛び込めるのか…人生はその繰り返しなのかなって思ってます。
子どもは親のことをよく見ている
さきほど「子どもが見ていることも環境に含まれるから、どんな姿を子どもに見せるかも意識している」みたいなことを書きました。
そう思うようになったのは、子どもが親のことを本当によく見ていると気付いたからです。
まだ言葉を話せない赤ちゃんは、僕らの顔をよーく見て笑ってみたり、マネして手を振ってみたり、すごい集中力で観察しています。
そして大きくなってから、他の子のことを注意したり褒めたりする様子を、言葉遣いや仕草もマネして、まるで自分のもののように使いこなすことも多いです。
僕が言葉遣いに気をつけようと最初に思ったのは、そういう娘の姿を見たときでした。
また、どんな言葉をかけるかも大切だけど、自分が子どもに対してだけでなく、仕事、遊び、食事、お金などすべてに対してどんな姿勢で向き合っているかというのも子どもは見てるんじゃないかと思っています。
たとえば「仕事は大変で苦しいもの」とか「お金は使わず貯めるもの」とか、言葉として口にしなくても自分の考え方が姿勢に出てしまうんじゃないかってことです。
親として、子どもにどんな大人になって欲しいか、どんな考え方をもって欲しいか、どんなことをして欲しいか、それらをなんとなく考えることってよくあると思うんです。
それに対する現時点での僕の考えは、「子どもになって欲しい大人に親である自分がなればいいじゃん」です。
優しい人になって欲しいなら親がまず人に優しくなればいいし、最後まで諦めない人になって欲しいなら親がまず諦めず踏ん張れっていうイメージ。
たとえそうなれなかったとしても、そうなろうとした姿勢は必ず子どもが見ているし、それだけでも十分だと思っています。
例えば、僕は「楽しい」って言葉が大好きなので、子どもにも「スポーツは楽しい」「勉強は楽しい」「仕事は楽しい」「英語は楽しい」「挑戦することは楽しい」みたいに思ってもらえたら嬉しいです。
昨年アメリカに行くことに決めたときも、そういう姿勢でチャレンジして、自身の成長だけでなく子どもにもなにか影響あったらいいなーって思ってました。
野球と仕事がごっちゃになって、自分のことが嫌になったこともありましたが、今はその時より純粋に「野球がうまくなりたい」と思えている自信があります。
そう思わせてくれるきっかけを与えてくれたのは間違いなく娘たちです。ありがとう。
そして、僕の考えを受け入れて、いっしょに成長しようとしてくれている妻にも感謝が尽きません。本当にありがとう。