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海外で働くきっかけは、茨城県民の特性にあり

私は、今、ハノイに住んでいる。

子供の時から英語が出来たわけではなく、意識高い系の人でもない。しかしいつの間にか、海外にいて、溶け込んでいるのである。それは、茨城県に住んでいた経験からかもしれない。

私は英語とは無縁の、茨城県の田舎で育った。周りには、外国人がいるわけでもなく、周りには水田とジャスコしかなかった。ジャスコへ行くと、若者の服が買える最先端のデパートだと思っていた。「おーあそこには最高のシャツがあるなーー、これは東京の最新のファッションじゃねぇか」みたいに茨城県民は栃木や千葉には負けていないと思っているのである。

そして、茨城県といえば、ヤンキーが多いのである。中学時代といえば、トイレがいつもタバコ臭く、鍵も壊されていた。金髪の先輩も多く、バイクの改造車みたいに、自転車もハンドルがバイクみたいに曲がりくねっているのである。ほとんど、通学は腰パン、ジャージという人も多かった。話す言葉はスマートではなく、「オレは将来 ビックになるから、オレは目で負けねぇから」と語彙も少なく、抽象的なことを話す。そんな茨城県民の声が大きく、よく分からない自信がある人が結構好きだったりする。

茨城県民の特性を調べてみると、男性は「怒りっぽい」「飽きっぽい」「忘れっぽい」の3だいぽいがあるそうである。人の顔色を伺うのが苦手だそうです。

そんな私が知り合いに誘われて、カンボジアに行くことになった。「これから、カンボジアだよ、カンボジアがくるよ」という。詳細とかも、聞かずに、何となく受け入れてしまったバカな私。

そのプロジェクトは、カンボジアで学校を建設して、野菜を作ったり、病院を立てたりすることだった。カンボジアというと、地雷がたくさんあったり、危険なところなんじゃないかというイメージだったが、誘いが断れなかったので、とりあえず行くことにした。

すると、カンボジアに行ってみると茨城県みたいに、水田しかなく、改造バイクがたくさん走っているのである。なんだここは、「50年前の茨城県みたいやなー」カンボジア人とかと話しても、ボロボロの服をきているし、朝から酒を飲んでいても、一切気にしない人が多く、いつも笑っているのである。一番驚いたのは、ほとんどの人が歯がボロボロで、虫歯なのである。

大学を卒業してから、特にやりたいこともなかった私。

なんとなく、この話は面白そうだと思ったので、農村開発を手伝うことにした。学校給食を作るために、とりあえず、やってみるかということで、まず赤土を耕すことにしたが、この土は赤土で、雨季と乾季しかないこの地域では、肥料を保持することもできず、大きい野菜もできないのである。私がやったことといえば、有機質肥料を作ることが始まったのだ。

茨城県で身につけた、農業の開発技術を使って、改善することから始まったのだ。月曜日〜金曜日は農村開発をし、土曜日と日曜日は孤児院で日本語と英語を教えるという、この炎天下の環境では、結構大変な仕事だったのだ。まず、インフラが整っていないことが多く、電気もタイから送られそうで、停電はしょっちゅうだった。そんなきつい経験も2年が続き、契約更新するときに知り合いから、こんなんことを聞いた。

次はベトナム、ベトナムが来るよ」そして、今、ハノイに住んで仕事をしているのだ。日本に実習生をどんどん送り出し、教育の分野として仕事をしている。目標や夢がなく、ブラブラしている人には、意外にそれに乗っかるたりするものである。



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石川 流
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