おたこん

工学系の大学院を卒業。製造業の研究開発→環境計測へ。 "未来の予兆は直感的に感じ取らなければならない”という「賢明な破局論」的立場をとる。 「小さな波紋がいずれ大きな波紋となる」

おたこん

工学系の大学院を卒業。製造業の研究開発→環境計測へ。 "未来の予兆は直感的に感じ取らなければならない”という「賢明な破局論」的立場をとる。 「小さな波紋がいずれ大きな波紋となる」

最近の記事

運命論(1)

・運命に従うか、反抗するか    突然だが、次の発言から議論を始めたいと思う。   「自分の人生行路が、実は細かいところまで完璧に決まっているという信じられないような枠の中に、まず自分を置いてみて、そこからどう自由になるのかという課題と向き合って頂きたい」   武道家の甲野善紀氏(以下、甲野氏)の言葉である。甲野氏は「人生は完全に決まっていて、同時に自由である」という直観的確信を20代はじめに得、爾来その理路を理屈ではなく体験から証明しようと日々歩んでこられたらしい。  私は

    • 最悪の未来を考える(1)都会に対する憎悪

      ・子供がいない地域社会の到来  私は今、生まれ故郷である人口若干3万人弱の地方に住んでいる。とある理由から30才にして久方ぶりに帰郷することになったのだが、田舎の荒廃ぶりは凄まじい。まず、昼と夜でまるで別世界のように人の移動が異なる。昼間は仕事による経済活動のためか、車の往来はそこそこ多い。しかし、19時を過ぎる頃、あたり一面が暗闇に包まれる。少し前までならば、飲み屋街や商店には活気があったのだろうが、今はもはや風前の灯火といった感じで、孤立した個人店舗が、わずかばかりの大人

      • 「言葉」の罠-絶対不変の真理についての考察

        現代社会は様々な解釈を呼び起こす言葉で溢れている。 そして、その言葉が当初の思惑を超えて坂道を転び始めると、やがて見たことのない実体となり、そうした過程全体を理解しようとする態度を持たない人にとっては、ある「言葉」は非常に魅力的な側面を垣間見せる。 だからといって、いわゆるオピニオンリーダーが乱立しては消えてゆくような泡(あぶく)のような栄枯盛衰の中で絶対不変の真理を追い求めようとすることは、ときに危うい態度となる。 それは「永遠なる判断留保」という檻の中に自ら閉じこもるこ

        • ドグマ化(教条主義化)する現代社会

          すべてのルールは書かれたものである。 その書かれた時代状況に特有の使命を果たそうとする。 ゆえに時代状況が変われば、 ルールを上書きするか、書き換えるか、意味付けを変えるか、 いずれかをしなければルールはもはやルールとしての機能を果たさなくなるだけでなく、その組織が果たすべき目的や生む出す価値に対する主要な障害となるだろう。 しかしながら、伝統と呼ばれるものが存在することで状況は分かりにくいものとなる。 ・「伝統」とは何であろうか。 「伝統」とは「ルール」のことなのか

          世界観の強制=テレビというメディアの力

          こんばんは。 久々にメディア論をひとつ書いてみようと思います。 というのも、前々から感じていたテレビというメディアのこの国における存在論的な意味について、何となく正体が見えてきたような気がしたのでうまくいくかどうかわかりませんが説明していきたいと思います。 疑問:  日本という国でなぜこれほどまでにテレビは幅を利かせているのか。 答え:  「国際社会の中では、もはやテレビはオールド・メディアの代表格として捉えられているにもかからず、なぜ日本ではこれほど存在感があるのか」と

          世界観の強制=テレビというメディアの力

          「ショムニ」を考える(第三話~第十一話視聴後)

          やはりこのドラマは日本ドラマ史上非常に稀有な存在だと思う。 まず一番の特徴としてチームの重要性を認識していることだろう。互いの弱みを相互補完する形で、互いの強みを作用させるということを自然に行っていることがショムニの成立要件である。 また話型としての特筆すべき点はその落としどころの独特さだろう。 ざっと特徴を並べるとこんな形になる。 →正直さ。素直さ。本音。(明るさ)。無縁主義。 さらに言えばショムニの満帆商事内の立ち位置は一見「汚れ仕事」を押し付けられているだけに見え

          「ショムニ」を考える(第三話~第十一話視聴後)

          フランシス・フクヤマの思想-『「世界の終わり」の後で(インタビュー集)』を読んで-

          「歴史の終わり」という書物がある。 1989年に東西冷戦体制が崩壊し、共産主義・社会主義体制が敗れ、資本主義体制が勝利したといわれる。その直後、フランシス・フクヤマは論文「歴史の終わり?」(1989)を発表した。自由民主主義を、政治体制の最終到達点として提起したこの論文は、その後さまざまな憂き目にあってきた。現在では、権威主義諸国の覇権の増大と自由民主主義諸国の覇権の低下によって、その理論は反駁されているかに思われている。 そして巷では国民国家の崩壊が囁かれ始めている。近

          フランシス・フクヤマの思想-『「世界の終わり」の後で(インタビュー集)』を読んで-

          『ショムニ』を考える(第一話、第二話 視聴後)

          皆さんは「ショムニ」というドラマをご存じでしょうか。 漫画が原作になっていたとは知らずに、遠い昔に見た記憶を抱えたまま、ろくに振り返りもせずにここまで来てしまいました。 シーズン1は1998年放送スタート。 今から約25年前、四半世紀前か。 そもそも最近お気に入りの「オモコロちゃんねる」さんでたびたび紹介されていたので、改めて確認してみようと思い、検索してみると・・・ なんとあるではないですか。Youtubeに。 ということで早速第一話「女の墓場 庶務二課」、第二話「今夜

          『ショムニ』を考える(第一話、第二話 視聴後)

          『僕は明日、昨日の君とデートする』を観て感じたこと

          最近はタイムトラベルものが人気なんでしょうか。 なぜタイムトラベルものが人気なんでしょうか。 このことを考えてみました。 ◆時間の逆転について  時間というのは過去から未来へ向かって進み、後戻りできず、取り返しがつかない、というのが通常わたしたちが生きている現実空間での前提です。 しかし、頭の中では、過去が頭から離れないという意味で現在化しており、未来のことで頭がいっぱいになるという意味で現在化していることはご承知のとおりです。つまり思考の中ではすべてが現在化していると考

          『僕は明日、昨日の君とデートする』を観て感じたこと

          仕事辞めて気づいた、人が生きていく上で必要な三つの事。

          こんにちは。 私は先日、会社を退職したのですが、一週間ではやくも精神的に参ってしまいましたよ。 これまでふつうに大学に行き、浪人もせず、とくに就職にも困らずに、ストレートで会社に就職していて全然気付かなかったのですが、退職すると若者であっても本当に、独居老人みたいな暮らしになってしまうんですよ!! っっっと、いきなり分からない表現をしてしまいましたね。 つまりですね。「会話の相手がいない」ということなのです。これにはいろいろ理由は考えられると思うのですが、ざっと挙げると以

          仕事辞めて気づいた、人が生きていく上で必要な三つの事。

          テクノロジーに通じるための仕事

          今の会社で唯一といっていい利点は、技術に関する知見を学ぶことができることです。これからの社会、テクノロジーに通じることは避けては通ることのできない道ですし、それの活かし方次第で、財力も人間関係も大きく変わってくると思います。 ところで、情報コンサルタントという仕事を思いついたのですが、どう思いますか。クライアント(顧客)の関心・悩みに対して必要な情報を提供する仕事、それが情報コンサルタントです。一種の悩み相談みたいなものなのですが、普通の悩み相談と違うのは、その人の生活習慣

          テクノロジーに通じるための仕事

          21世紀に起きる社会の崩壊について

          皆さんすでにご存じかもしれませんが、ここのところ隣人との話題に困ることはありませんか? それもこれもすべては情報格差に大きな原因があるように私には思えます。 過去幾世紀にもわたって、貧困や戦争が人々の主たる関心事であり、それらが社会を崩壊させる契機となってきました。 しかし、今現在進行中の危機は違います。それはインターネットの広がりによりほぼあらゆる人が情報へのアクセス権を有したことにより、もたらされるものです。 これまでの危機とは別種の危機、正しい情報へのアクセス性の

          21世紀に起きる社会の崩壊について

          傷つきやすさと本音と心の平安について

          人はしばしば本音を話したいと言います。 でも、実際のところ本音を話すというのは勇気のいることです。 なぜなら自分の最も傷つきやすい部分を表に出して、コミュニケーションしているように思えるからです。しかし、そのような直接的なコミュニケーション抜きでは、人はなかなか充実感をもって「生きている」とは感じることができません。 現代社会では、誰もが直接的なコミュニケーションに飢えている。 これは真実だと思います。しかしここで恐ろしいのは、そのような心の開示の際に深く傷つけられた(裏切

          傷つきやすさと本音と心の平安について

          計画と偶然と運命の関係-現実の濃度と引力に関する考察-

          人はある行動をとる前に計画を立てるべきだ、というのが当世流行の礼儀であるかのように言われている。物事の原因と結果は一対一に対応すべきであり、われわれはできる限り可能な制御によって望ましい結果を得るべきである、と。 しかし、現実はそのように紙の上の算術がそのまま適用できるほど単純だろうか(それでも、ある範囲で、ある物事に関わる人間の総数が限定されている頃はまだその計画も有効だったかもしれない)。事態のフェーズは変わり、限定性の定義が地域的・時代的なものではなくなり、人々の関心

          計画と偶然と運命の関係-現実の濃度と引力に関する考察-

          断絶の時代と連続の時代

          僕たちはどちらにいるのか。 昨日までの時代か、まだ見ぬ時代か。 昨日までの価値観は崩れ、まだ新しい価値観を人々が信用しきれずに地団駄を踏んでいる夜ふけに、現状への強烈な違和感を感じつつ眠れない人たちがいる。 あなたも、あなたも、そのまたあなたも、そうなのかもしれない。 大人たちはいう。 ああすればいい、こうすればいいと。 子供たちはそれに従い、形ばかりの薄い幸福を得るが、満足できない。 それは結局自分の心に従っていないからだ。 自分の中にある感情に目を向けず、自分の外

          断絶の時代と連続の時代

          個人の幸福感情と経済的価値をリンクさせる

           おはようございます。朝早くからですが、起き抜けに「ひらめき」があったので書き始めたいと思います。  いきなりですが、人はなぜ嫌な仕事を続けてしまうのでしょうか。生きていく、食べていくためのお給金をもらうためでしょうか。家族を支えるためでしょうか。あるいは社会になくてはならない仕事だから、でしょうか。実はあらゆる表面上の理由づけの根底には、経済的背景があると思います。つまり、嫌な仕事は実際(現時点では)経済的価値があるのです。経済的価値があるというのは、ひらたく言えば生活を

          個人の幸福感情と経済的価値をリンクさせる