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うっかりしっかり体験記(後編)|永井煌|2023-24 essay 13
こんにちは。ふくしデザインゼミ・コーディネーターの佐藤です。3月3日の公開プレゼンテーションで一区切りを迎えた「ふくしデザインゼミ 2023-24」。essay 12からは、2ヶ月のプログラムを終えたゼミ生たちの言葉をご紹介しています。
濃密な2カ月をふりかえりはじめると、それなりの分量になるもの当然。「うっかり」1万字になった永井くんの「しっかり」レポート。いきます、ラスト3本目!
>>このエッセイは3部に分けて投稿しています!(前編)と(中編)から、ぜひ読んでみてください!
ひらくためのデザイン
「福祉に余白をつくりだす」ための具体的なアイディアを提案することになっている竹端ゼミ。本番の1週間前のオンライン中間発表会では、前半にここまでのゼミのプロセス、後半に「しっかり1.0→うっかり→しっかり2.0」を紹介した。
前半、こもちゃんの「しっかり」した発表は、わかりやすく、コンパクト。後半、「うっかり大臣」ことあっこちゃんの発表は、対照的。フィールドワークでのうっかり体験談を、勢いと、熱量で!これが好評。「うっかり」伝わることも、結構あるみたい。
そのうえで講師からは、「個人の話に終わらせずに外側の人に伝えるために、アイディアを具体的な形にデザインしよう」というフィードバックがあた。体験談が伝わりやすいと思っていたが、ここは、ふくし「デザイン」ゼミだ。ふくしをひらいていくためには、体験をアイディア・モノに変換することも大事なのか!
3月3日の公開プレゼンで「うっかり」できる余白をつくるため、残り一週間は「しっかり」デザインを考えよう。うっかりとしっかりのメリハリをつけられるのが、このゼミの好きなところ。いつもしっかりしすぎてしまう私を、解きほぐしてくれる。ぎりぎりまで終着点を決めずに対話を続け、アイディア、伝え方を、しっかりじっくり議論していった。
「うっかり」大発明!
そんな対話のなかで、あっこちゃんが思わぬ大発明をすることになる。その名も、「うっかりレンズ」!
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南高愛隣会は、利用者さんや職員さんの「~したい!」を「OK!」と受け止めて、それを実現できる地域社会をつくってきた。ロゴマークは「OK!」の精神が込められたものだ。
うっかりレンズとは、手でつくったOKサインを目にあてて、「OK!」というレンズ越しに世界を見る、というものである。
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自分の感じたことを「ありのままでOK!」と認めてみる。「うっかり」でてくる相手の素の状態を受け入れてみる。立場や所属にとらわれず話してみる。うっかりレンズをかけて、意識的にうっかりモードを発動させることで、無自覚なしっかり状態では見えなくなっているものが見えてくるかも?
最終プレゼンでは、この発明とそこに至るプロセスをベースを共有することにした。
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発表の前日、平常心を装いつつも、私は過去最高に焦っていた。
プレゼンは、①こもちゃんとあっこちゃんの発表、②会場全体でのうっかりレンズ実際かけての対話、③「うっかりとはなにか」についてのなっちゃんと私とで対話、の三段構えで行う予定。最後を台本のある発表形式ではなく即興的な対話形式にしたのは、うっかりを体感的に伝えたかったから。
ところが、不安のためか、私は伝えたいことを「かっちり」決めすぎていた。「ちゃんと」全員に伝えなきゃ!という焦燥感やプレッシャーに駆られていた。
「就活の面接みたいだよ。」
うわ、ホントだ。「しっかり」し過ぎてる。
最終プレゼンでも思わぬうっかり
当日は、「しっかりし過ぎてしまわないか」という不安に見舞われていた。台本を決めるとしっかりする。だけど、その場で自分の思ったことを口にしていいか。うっかり間違ったことを、、、
いやいや、でも、これまでゼミで感じたことをありのままに、しっかりすると言わないようなことをうっかり言ってもいいんだよな。そういう2カ月を自分たちは過ごしてきたよね。
そう言い聞かせ、本番を迎えた。
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なんとかなる、と無理やり自分に言い聞かせていた。
発表は順調に進んでいった。しかし、途中で、発表のための重要な動画が流れなくなってしまったのだ!うっかりレンズが発明された瞬間の様子を記録した動画、プロセスを知ってもらうために大切な動画が!
動画が流れず、私はどうすればいいかわからなくなって立ち尽くしていた。一緒に発表していたメンバーのように場をつなぐ発言ができなかった自分に無力感を感じた。5分後に動画が流れ、発表を再開することができた。しかし、12分の発表時間の制限のなかでは、準備してきた発表を最後まで終わらせることができなかった。私となっちゃんの対話のパートもできなかった。
あたふたする私になっちゃんは、「発表後のお昼休みに、会場内のブースで対話のパートの続きをやろう」と言ってくれた。準備した発表をあきらめていた私に。まだまだ「うっかり」を楽しめていないなあ。
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昼休みにはブースにおこなった私となっちゃんの対話パートは、発表時間を気にせずに話せたからか、練習に比べても一番「うっかり」できていたように感じる。
結果、今回の発表で十分「うっかり」の面白さと大切さを伝わっていた気がする。「しっかり」予定していた発表はできなかったけど、動画が流れないという「うっかり」ハプニングがあって、その時間に臨機応変に対応するなかで、「しっかり2.0」が体現されていた?
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「しっかり2.0」な竹端ゼミになれていたのかも。
竹端ゼミがつくった「環境」のこと
竹端ゼミで活動するなかで、福祉の捉え方、自分自身についての捉え方が変化してきた。それは竹端ゼミに3つの環境があったからだと感じている。
①「わがままを言える」環境、②「人が人として出会える」環境、③「誰も置いてけぼりにしない」環境、だ。
① わがままを言える環境
これがあったから、アイデアがどんどん出てきていた。「面倒だからやめておこう」とは言わずに、わがままも一旦取り入れて、実践してみることが、思わぬものが生まれていた。
例えば、うっかり大臣のあっこちゃんが、福祉の経験や知識を思いつくたびに話してくれたおかげで、アイデアがポンポンと生まれていたと思う。そして、それをほかのゼミ生がうまくまとめていくことで、形になっていったのだ。
② 人が人として出会える環境
自分や相手の本質や本音を飲み込むことができていたのは人が人として出会える環境があったからだと思う。そんな雰囲気のなかで、自分をひらいていける感覚があった。
初めは、ふだん通りのいわゆる「コミュ障」を発揮して、何を話せばいいかわからずにいたし、視覚障害を抱えているので、正直、他のゼミ生と比較して引け目を感じている部分も多かった。でも、話したり、モヤモヤを共有したり、テーマについて深く一緒に考えたり、人として出会うことを大事にするなかで、自分の考えを正直に話していいし、自分の苦手な部分を出してもいいのかなと感じられるようになった。
そして、そういう「人が人として出会うプロセス」は、焦らずに行うことが大切だと感じた。何かに追われている状態では「余白」が生まれず、対話の中に「うっかり」をつくりだすことはできない。「どれくらいうっかりできるか」と「どれくらい相手を知ることができるか」には相関関係があるのかなと私は考えている。福祉の中で余白を生み出すには、うっかりできる時間を増やすことが必要だと私は考えた。
このゼミを通して南高愛隣会さんも変化したように私は感じている。法人では利用者さんのやりたいを応援してきたし、実際に訪れてもそのことを実感した。一方で、忙しい職員さんどうしの「余白」は、利用者さんのそれと比べると少ないのかな?とも思った。
そんな職員さんたちとも、今回のオンラインやフィールドワークでのお話会を通して、「うっかり」出会ったり、素の自分を出したりすることを、実践できた感覚があった。
③ 誰も置いてけぼりにしない環境
これがあったからこそ、ゼミ生全員が同じものを共有できていたと思う。プロセスの状況をゼミ生同士で定期的に確認しあっていたし、誰かが欠席しても次の会議に参加したときには追いつけるような環境をつくっていた。安心感があった。
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「のこりの40点」「あと90%」を探しに
私はこれから、「居場所づくり」の観点から福祉に関わりたい考えている。私の考える居場所とは、竹端ゼミがつくったような、誰もがありのままの自分でいられるような環境だ。
そんな環境をつくるために、まずは、最低限の業務内容を「しっかり」全うする「60点の福祉」にプラスアルファして、のこりの40点で関わる人の「〇〇したい!」に応えていけるようになりたいと思う。ときに「うっかり」もはさみながら。
それから、フィールドワークのなかで、「幸せ」についてモヤモヤと考えることが多かった。施設にいる利用者さんは、「100%」幸せそうにみえたけど、それは、私が知っている選択肢の10分の1の幅の選択肢のなかでの「100%」かもしれない。それでいいんだろうか。
だからこそ、のこりの40点、10倍の選択肢をつくるためのアイディア、余白を、このゼミの中で見つけようとしていたんだと思うし、そのヒントになるのが、「うっかり」だったのだと思う。
心残りもある。法人ですぐに取り入れられるようなより具体的なアイディアを出すことができなかったことだ。思いつけなかった。どこかまだ枠にとらわれていたところがあったのだろうか。
具体的なアイディアが生み出せるように、これからも福祉に関する様々な取り組みに参加したい。大学で専攻している都市計画や社会学などさまざまな授業を受けながら、福祉も、それ以外の分野でも知識を深めたい。
そしていつでも、「うっかりする」「臨機応変」を忘れないようにしたい。人の話をじっくり聞くこと。会話の中では焦りすぎないこと。このゼミで学んだ大切なことを、これからも大切にしていきたい。
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|このエッセイを書いたのは|
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筑波大学理工学群社会工学類2年
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