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「ズレ」とたわむれ、「ただ、いる」に踏みとどまる|大澤健|2023-24 essay 04

今週は、八王子と伊豆大島、2ヶ所で1泊2日のフィールドワーク。2年目となる「ふくしデザインゼミ」は、1月から動き出し、「福祉をひらくアイディア」をテーマに、3月3日の公開プレゼンテーションに向けて怒涛の2ヶ月を駆け抜けている。

全国からつどった28名のスルメのようなゼミ生たちは4つのゼミにわかれ、2月は全国4地域の現場に赴き、ローカルやふくしのリアルに触れる。このエッセイシリーズは「ゼミ生一人ひとりの視点からふくしデザインゼミを記録する」ものらしいが、書かずにはいられないので、コーディネーター視点の記録を今日は残したいと思う。


「ただ、いる」を実践してみて【小松ゼミ】

4つのゼミで一番はじめのフィールドワークにのぞんだのは、小松ゼミ。ふくしデザインゼミを主催する社会福祉法人武蔵野会が本部を置く東京・八王子に、7名のゼミ生が各地からつどった。講師・小松理虔さんから投げかけられているテーマは、〈「ただ、いる」を浮遊しながら考える〉。初日2月5日、ゼミ生たちは、障害のある人たちの自己実現・社会参加を支える八王子福祉作業所に「滞在」し、「ただ、いる」を実践した。

「ただ、いる」とは一体どういうことか?!それはぼくもよくわかっていない。ただ、数時間の滞在を終えてゼミ生たちが言葉にする体験、そこから生まれる対話には、とても大切な何かが含まれていたように思う。八王子は、予期せぬ大雪で、まちあるきも諦め、話すほかなかった。それもよかった。

まちあるきを取りやめ、古民家で語り合う

あるゼミ生は、障害のある人の真っすぐな表現にたじろぎ、自らの人との関わり・コミュニケーションがうわべのものだったのではないかと自省していた。何をするわけでもない時間を経て、「社会のなかで役割をもつこと」と「居られること/居場所があること」を見つめ直したりもした。

この一日にどんな意味があるのか、福祉や社会にとってどんな価値があるのかは、まだ言葉にできないし、「意味を見出そう」と構えた瞬間に何かがこぼれ落ちそうな怖さもある。ただ、そこにいた人たちは、少なからず何かを思い出したり、再発見したりしていたし、新しい何かが芽生えていたような感じもする。きっとこれは「ふくしをひらく」ことと結びついている、そんな手応えがあった。

「ズレ」た人たちと一緒に取り組むということ【影山ゼミ】

冬晴れの伊豆大島へ向かったのは、影山ゼミ。大島も武蔵野会が拠点を置く地域で、テーマには、昨年立ち上がった「Work in Local×Social」という別の「ふくしをひらく」プロジェクトのコンセプト〈半福半X〉が掲げられている。つまり影山ゼミでは、ローカル志向と、地方・福祉の人手不足の結節点として練り上げられた「ふくしをひらくアイディア」が「ふくしをひらくアイディア」を考えるゼミの軸になっている。これはゼミ生たちには厄介だったようで、その背景にもう一度もぐって再解釈するのか、それに乗っかって積み上げるのか、テーマの取り扱いへの迷いもあり、影山ゼミは「ぎこちなさ」を抱えながらフィールドワークまでの期間を過ごしてきたように思う。

宿泊した波浮の宿の前で

そんな影山ゼミに揺らぎが生まれたのは、フィールドワークを終え、竹芝の港に戻ってからだった。2日間といっても一日往復2便の船の制約があり、大島での滞在時間は実質1日と少し。せっかく対面で集っている機会にもうちょっと話しておこうということでの延長戦、フィールドワークでの疲れ、時間がないという焦りもあってか、ストッパーが外れた。

「ぎこちなさ」の一因には、「ズレ」があったように思う。価値観も背景、興味関心もさまざまな7名は、ズレがどこにどれくらいあるのか、それが何にどう影響しているのか、仮にズレがあったとしてそれをどう扱うのか、そんな違いに紐づくモヤモヤを前に足踏みし、遠慮していたり、表面的な声を交わすにとどまったり。そんな状態で進む話し合いの煮え切らなさに耐えかねて、「爆弾を投下します」と宣言して問題提起したゼミ生の爆発を皮切りに、それぞれのモヤモヤや苛立ちが流れ出て、ぶつかりあった。

誰とどんな関係で取り組むか、それは生まれるものの質を大きく左右する。フィールドワークを経て影山ゼミがこれからどう展開するかはわからないが、きっと「あなたと私はズレている」から話をはじめることのできるチームはよくなっていくと思う。

愛酒家の講師・影山裕樹さんのもとにいける口がつどってしまったようで、会議のあとは、酒を酌み交わした。酒と歌で残った感情を洗い流すような宴は朝5時までつづいた。

27時の浜松町にて

「ズレ」と「ただ、いる」にそわそわしながら

最終発表の公開プレゼンテーションは3週間後に迫ってきている。けれど3月3日、何が生まれていて、表現されるのかは、まだゼミに関わる誰ひとり想像が及んでいない。

ととのった洗練されたアウトプットにはならず、いびつでゴツゴツしたものになるかもしれない。けれど、表層を行き来するだけでなく、「深く潜る」2ヶ月の先にあるものは、大切な問いや思考のパッチワークではあるはずだ。

全体をコーディネートする立場として、多くの人が関わっていることへの責任も感じているし、貴重な時間をさいて会場に足を運んでくださる方に楽しんでもらいたいからこその不安もある。けれど、グッと落ち着かなさをこらえ、見えるものに飛びつかず、一緒に取り組むゼミ生・講師・法人・運営のみなさんとの「ズレ」とたわむれ、「ただ、いる」に踏みとどまってみようと思う。

ふくしデザインゼミの天井は「わたし」を超えたもので、自分がその蓋にはなるのはやりきれない。

|このエッセイを書いたのは|

大澤 健(おおざわ けん)
ふくしデザインゼミ コーディネーター

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