そこにしか生まれないデザイン|菊池和佳子|2022-23 essay 06
ふくしとの出会い
大学三年秋。いよいよ本格化する就職活動、増えていく授業課題、素晴らしい作品を生み出す友人たち、足りない時間……。やるべきことはたくさんあるのに、一番やりたいことが何かは分からない。色々なことがしたいのに、気づけば時間が過ぎている。
そんな、にっちもさっちも行かないなかでふと見つけたのが、「ふくしデザインゼミ」だった。「ふくし」と「編集」と「デザイン」。私は、一見関係の希薄そうなこれらの要素に興味をもち、活動に参加した。
福祉についての、私の正直なイメージは、堅いもの、笑ってはいけないもの、真面目なものといったものだった。いま思えば、非常に表面的だし、世間が描くイメージをほぼそのまま捉えていたと言えるだろう。これは、私が福祉を専門に学んでいないことに原因がある。私の専門はデザインであり、福祉ではない。日常で自然と遠ざけてきたことで、福祉に対する自分なりの考えをもてなくなっていたのだ。
しかし、この「ふくしデザインゼミ」に参加していくうちに、福祉に抱いていたイメージは大きく塗り替えられていった。
対象的な二人から
印象に残っている取材がある。それは、12月23日のこと。この日は、午前と午後とで対照的な二人にお話を伺った。午前に訪問した駒沢生活実習所の鈴木夢乃さんは、とても明るく、ハキハキと話す方だった。鈴木さんは、会話が不自由な利用者に対してジェスチャーを用いるなど、利用者それぞれに対する最もふさわしいコミュニケーション方法を日々模索していた。
一方、午後に訪問した東堀切くすのき園の赤崎正和さんは、ゆっくり、丁寧に話す方だった。「利用者の方といると安心する」と語ったうえで、「利用者の方の “言葉になっていない想い”を大事にしている」と話してくれた。
利用者に対して真正面から向き合う鈴木さんと、寄り添うような姿勢の赤崎さん。私は、どちらも素敵だと感じた。そして、どちらも同じ「福祉」の世界で働く人であることに驚きもした。これは、実際に相対さなければ分からなかったことだ。実際に向かい合い、話を聞いたから、二人の違いをリアルに感じ取ることができた。
人と人の間に生まれるもの
「ふくしデザインゼミ」の活動を通して、私の福祉に対するイメージは、「真面目なもの」から、「魅力的なコミュニケーションの場所」に変化した。絵的に例えるなら、真っ白な無地のキャンバスが、色とりどりの絵の具で塗りつぶされていったような感覚だろうか。コミュニケーションは、人と人の間から生まれる。それぞれ色をもった人同士が関わり合うから、コミュニケーションはカラフルに彩られる。そのなかで、人はそれぞれにとって相応しい向き合い方向、いわば共通言語を探っていくのだろう。
この、「共通言語を探る」という行為は、デザインとよく似ている。デザインにおいて大切なことは、「伝わる」こと。どんな人に、何を、なぜ伝えたいのかを考え、それを伝わる形に表す。そうしてできるデザインは、まさに自分とターゲットとの共通言語であるはずだ。
と、なると、「ふくしデザインゼミ」自体も、私が普段行う何気ない会話も、大きく括ったデザインの一つかもしれない。デザインは考え方や仕組みのことで、美大に通っているかどうか関係なく、専門性など特にいらないのかもしれない。
私はこの活動に参加する前、自分のやりたいことが見えていなかった。デザインを難しく考えて、自分の世界を狭く捉えていた。でも今は少し違う。別に目標がはっきりと決まったわけじゃない。ただ、私は「人と関わりたい」。「人と関わる」ことで得られる発見や喜び、苦しみは、そこにしかないものだから。私は、対話を通して困難を解決へ導けるような、そんな「デザイン」がしたい。
|このエッセイを書いたのは|
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お知らせ ~ふくしデザインゼミ展を開催します!~
ふくしデザインゼミ展は、福祉と社会の関係をリデザインする実践的な社会教育プログラム「ふくしデザインゼミ」の成果を、さまざまな形で鑑賞・体験する企画展。ゼミ生が制作した『ふくしに関わる人図鑑』に関する展示を中心に、トーク、ツアー、さらには「仲間さがし」に至るまで。福祉を社会にひらく、さまざまな企画を予定しています。ぜひお越しください。