うつ状態と休職と薬を飲んだ時の感じ方に関して


うつ状態に入り休職することになった.細かい経緯はこのtogetterにまとめてある.読んでみるとまあまあ面白いかもしれない. 私は何度も読み返している.

「急に身体が動かなくなって心療内科で診てもらったら思ったよりも酷かったらしく休職した話」
https://togetter.com/li/1676798

うつ状態に入った経緯に関して

うつ状態の原因となる発言を会社の上司から受けたのが2/16の火曜日,心療内科で診てもらったのが2/19の金曜日だ.その週の月曜日に学会へ出す原稿を先生に共有しようとしていたが,なかなか上手く書けなかった.作業に集中できず,手がなかなか動かず,時間が経つのが異様に早く感じられた.原稿は,なんとか木曜に書き終えた.書き終えた原稿を見ると,英文のクオリティが粗悪であると感じた.要所要所でDeepLの英語を参考にして書いていたため,私はDeepLの品質が悪くなったのだろうと思った.これ以上原稿の共有が遅れてはならないと思い,紙に印刷して何度も読んで英文を修正し,深夜になって先生に共有した.インターネットで検索しても,DeepLの品質が落ちたという話は無かった.おそらく,思い返せば,落ちていたのはソフトウェアの品質ではなく,私のパフォーマンスだったのだろう.原稿を共有した直後の研究室で,家に帰る準備をして,ふと机に腰かけると,数十分その場から動けなかったことを覚えている.先日,毎日書いていた日報を見直した.2/19の直前は誤字だらけだった.私はそれに気付くことができなかった.

心療内科に行こうと決めた決定打は,原稿を共有した瞬間,私自身が研究を面白いと思えなくなっていることに気付いたからだ.自分が書いた論文を見て,ハッキリと「つまらない」と思った.「こんな論文通りっこない,ゴミだ」と.一週間前までの情熱が消えていて,私にとっての執筆作業は,ただそこにある研究内容を,英文に書き起こす作業になっていた.2/18,つまり原稿を共有した木曜日は明け方の5時まで眠れず,起きると身体に異変が生じていた.動悸が酷く,呼吸が浅く,食欲は無く,手と足の発汗が酷かった.色覚にも異変があった.心療内科の予約の電話に1時間,家に出るだけで4時間かかった.時間の流れが異様に早く感じたのは印象的だった.ベッドに腰かけて下を向くだけで,20分も経っていた.この辺りで事の重大さに気付いた.

なぜ今更こんなことを書いているかというと,将来同じことが起こったとしても,それに気付ける自信がないからだ.英文が上手く書けなくても,DeepLの品質のせいにしてしまうのは,酷い認知の歪みであると言える.3/4から勤め先の傷病休職期間に入った.いつ復帰できるかは不明だけど,とりあえずのんびり休んで過ごしてみようと思う.幸いにも社員を守る仕組みが整った会社に勤めていたため(この時ほど大きな会社に勤めていてよかったと思ったことはない),傷病期間中の手当ていくらかも出るという説明を受けた.

薬を飲んだ時の感じ方に関して

心療内科からは何種類かの薬を処方された.お医者さんからは「リラックスするための薬,あまり癖にならないやつを出しておくよ」と言われた.眠ることも療養の上では大切ということで睡眠薬を処方されたが,これが悪夢ばかりみるので困っている.そろそろ悪夢のレパートリーも尽きてきたところだ.

「リラックスする薬」というものを飲んだ感じは,これはおそらく薬がとてもよく効いてるからなんだろうけど,今まで何年も頭の中にあった恐れや死生観や強迫観念や将来の不安が,明確に小さく,というか,考えられなくなっていた.不安というのはつまり,具体的には「いつまでこの仕事を続けるのだろう」とか,「いつか死ぬのになんでこんなことばかりしているんだろう」とか,文字にすればバカバカしいぐらいボンヤリとしてつかみどころがない悩み事のことだ.もしかするとこの手のマイナスな思考は,脳が緊張してるから生じていたもので,リラックスすると希薄になるのだろうか,と考えていた.

学会に論文を投稿した後だっただろうか,その日は昼と深夜に自転車を漕いでいたが,言葉にならないほど気持ちが良いと感じた.ほんのりと春の陽気の匂いがして,それでいて風が冷たくて,そんな風に感じたのは何年ぶりだろうか.わからないぐらい久しぶりの感覚だった.中学生の頃,部活終わりに自転車を漕いでいた春の日のことを思い出した.私の内面が薄い膜に覆われていたから気づかなかっただけで,外の世界はずっと美しかったのかもしれない.そう思うと少し泣いてしまった.なぜなら多くのことを見逃してきたのかもしれないと思ったから.大切なことも,そうでないことも.もう手遅れなのかもしれないけど.

うつ状態の感じ方に関して

実際のところ,うつ状態(診断書には自律神経失調症と書かれている)になってみて,「なるほどこういう感じか」というのが正直な感想だ.例えるならば,頭の中がずっと張っていたのが,薬を飲んで緩んでいる状態が続いている.今はそんな感じ.多分うつを「甘えだ」などと言っていた人だと,今の私の状態に耐えられないかもしれない.蔑んでいた対象自体に,自分自身が陥ってしまったわけだから.だけど私はそういったことを言ったことも思ったこともなかったので,案外平気なものである.実は言うと,「うつ状態になったこと」そのものに対して,もっと落ち込むものだと思っていた.実際そんなことは無かった.うつ状態に関しては,身体の臓器が悪くなるようなものだと思っていた.実際なってみると,まあ大体そんな感じだ.筋肉を長い間張らせていたら,ある瞬間からその筋肉が攣ってしまって,痛くてひっくり返って筋肉を伸ばしているような,そんな感じ.張っていたのは筋肉ではなく脳の方で,思い返すと数年ぐらい「思考する」ということで頭を酷使してた気がする.そうやって緊張していた頭の中が,今は薬で緩んでいる.

意外だったのは,内面よりも,私の外側が変わったかのように感じられることだ.やることなすことに焦らなくて,歩けば目的地に着くし,文字を書けば文章が仕上がる.当たり前のことが当たり前に進んでとても嬉しいと感じる.薬を飲んでいるから,従って変化したのは私の方だと考えるのが自然だろう.それなのに環境が変わったかのように感じられるのは不思議なことだ.やはり,外の世界はずっとこうだったのかもしれない.脳が張って鬱々とした状態の自分も,そこまで嫌いではなかったので,消失感にも近いものを感じて,少し寂しい気もする.初めは今の状態が「妙だ」と感じていたが,徐々におかしいのはあの頃の状態で,今が正常なのではないかという考え方に移行してきた.昔の自分が失われているような一抹の寂しさもあり,だけどそれは治癒への一歩であるとも言えるだろう.


下記のツイートに連なるリプライ群を参考にこの文章は書かれています.


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