もてる夜勤の彼
大学進学と同時に上京した。
実家から大学までは、電車で1時間半から2時間くらい。すこし遠いけれど、けっして通えない距離ではない。だが、家庭環境に問題があり、高校生活のほとんどをある女性が借りてくれた部屋で過ごしていた私は、実家に戻るつもりなどかけらもなかった。高校卒業と同時に引っ越した。
大学に入ると、今までの辛抱を爆発させるかのように生活を満喫した。かなり無理をして、明るい性格を演じた。髪を伸ばして、革ジャンを着た。大学からはちょっと遠い部屋を借りてしまったのだけど、頑張って部屋をきれいに整えた。自炊は完全に板についていたから、女の子を部屋に誘って料理をふるまったりした。
音楽サークルに入り、無心でベースを弾いた。交友関係は一気に広まって、女の子をひっかけたり、勉強をしたり、酒を飲んだり、煙草を吸ったり、ほんとうに好き勝手に遊んでくらした。引っ越しや生活資金などは、高校生の頃ほとんど毎日アルバイトをしていて、ある程度の貯金があったことと、上で書いた女性が学費の援助をしてくれたおかげで、それなりに余裕があった。mixiやゲイの人たちのコミュニティサイトで、ゲイのおじさんをひっかけてお小遣い稼ぎなどもしていた。
私は浮かれていたし、それと同時に焦っていた。「袋小路くん、高校時代とか、どんな感じだったの?」そういうことを聞かれるたび、心の中で焦りが増えていった。
私は、今までの生活のすべてを黒歴史にしたかった。ある程度裕福だがすさんだ家庭、中学の造園屋でのアルバイト、高校時代の飲食店のアルバイト。家にいるとき以外はずっと働いていた。私はいわゆる「少年時代」の、周囲と共通するエピソードを、まったくといっていいほど持ち合わせていなかった。
小学校のときも、中学校のときも、もちろん高校のときも、友人と呼べるほど仲の良い人間は同年代にほとんどいなかった。部活もしなかった。それを仕方のないことだと受け入れて生きてきた。
しかし、大学生になると、諦観が焦りに変わった。誰も私のことを知らない環境で、私は生まれ変われるかもしれない。そんな希望が焦りとなって私をせっついた。みんな大学までの学生時代の話をするし、親の話もする。入っていた部活の話題になる。それが当たり前なのだ。
もちろん、類は友を呼ぶなのか、ひどい境遇の友人もいる。例えば同じ音楽サークルの同期のT。彼のおやじは暴力団員で、母は水商売だった。毎日殴られて育った。家から逃げるために、奨学金を借りて上京し、大学に入った。
同期のリサ。代々音楽に関係する人たちを輩出してきた家系の、その中でも優れた才能の持ち主。非常に裕福な家庭だったが、虐待に近い両親からの厳しいレッスンの日々、両親の仕事が忙しくなると、雇われピアノ講師からの暴力、性的暴力。文字通り世界のすべてを憎んで、ピアノから逃げるために私と同じ大学に入った。
よく話題に出てくる彼らだが、本音を言うと、大学に入りたての頃は彼らのことを見下していた。酔っぱらって、Tが泣きながら自分の生い立ちを話すとき、リサが背中の火傷の痕を無意識になでるしぐさをするとき、私はどこかで、彼らを「お前らとは違うんだ」と思っていた。
【お前らほど、俺はひどくはないよ】と。
今思えば「ひどさ」を相対化することほど、みにくいことはない。だが、当時の私には、そんなことは少しも思えなかった。そこまでの心の余裕はなかった。いつも自分のことばかり考えていた。
心の中は「洗練されたい」「『自然に』かっこよく振舞いたい」「子どもの頃のことや、高校時代のことなど忘れて、思いきり遊びたい」「もっと違う自分になりたい」そんなことばかりを考えていた。当時の私の頭の中は劣等感でいっぱいだった。
大学1年のゴールデンウィーク頃に、池袋のインターネットカフェでアルバイトを始めた。その後、長く働き続けることになる喫茶店で働くすこし前のことだ。23時から5時までの夜勤。昼間は常に忙しくしていたので、夜勤なら給料もいいし、眠ければ授業の間に寝ればいいという発想で夜勤を選んだ。
同じシフトに、ハセガワさんという人がいた。早稲田大学の2年生。ぼんやりとしていて、暇なときはいつも携帯をいじっていた。色の褪せたジーパンに、ぼろぼろのスニーカーを履いていた。頭はいつもプリン色だった。
初対面の印象は「ぼんやりしたやつだな」というだけだった。
私は「誰とでも仲良くなれる自分」にあこがれていたので、ハセガワさんがあまり私と話さないにもかかわらず、無理やり話題をふって、仲良くなろうとした。ハセガワさんは曖昧に応答するだけだった。
ハセガワさんは異常にもてた。交代する遅番の女の子、早朝に交代するパートのフリーターさん、ありとあらゆる女性から。男性からも信頼を得るのがすごくうまかった。店長はきつい性格の人で、バイトに厳しくあたったが、長谷川さんがシフトに入っているときは上機嫌だった。
うらやましかった。私は、学歴が違うのだから仕方ないのだ。単純なコミュニケーション能力だけなら私のほうがすぐれている、などと、自分を励ましていたが、そんなことはなく、その差は圧倒的だった。
私はハセガワさんを観察するようになった。なんで彼はあんなにもてるんだろう。女からはもてて、男からは信頼される。私のほうが仕事量は圧倒的にこなしているのに、社員にも受けがいい。ただ、ハセガワさんのことを嫌う人もいる。仕事をちゃんとしていないという人もいる。でも、ハセガワさんのことを嫌うひとは、なんだか、私に似ている。
しばらく観察してわかった。ハセガワさんには裏表がないのだ。
疲れたら疲れた、と言う。めんどくさいと「めんどくさいなぁ」と言う。嬉しいと、嬉しい、と言う。言葉に出さなくても、態度に出す。だからわかりやすい。だから信頼される。だから誰にでも好かれる。評価されるし、嫌われもする。
長谷川さんのパーソナリティには矛盾が少ない、ないわけではないけど、とても少ない。だからそういう人たちがまわりに集まる。なるほど引き寄せの法則とはこういうことか、と、当時思ったのを覚えている。
私はすっかりハセガワさんのことをうらやましく思うようになってしまった。私はあんなふうにふるまえるだろうか?無理だ。どうしても格好をつけてしまう。良い人を装ってしまう。八方美人を装って、疲れて、嫌われる。
そもそも生まれてきてから今まで、人前で「ふつう」でいれたことなんてあったか?他人といるといつも緊張していた。人と会うといつも疲れていた。人と会うときは無意識に自分を偽った。それが他人に伝わる。だから信用されない。だから相手も疲れる。
ハセガワさんとは夜勤明けが一緒で、帰り道も途中まで一緒だったから、よく話をした。私はハセガワさんに負けないようにと、明るくふるまっていた。だが、なにかがズレていた。スベっていた。焦っていた。
ハセガワさんは私と話すときはいつもつまらなそうにしていた。
「袋小路くんさ」
「あっはい」
「そんな無理して話さなくていいよ。俺といてもつまんないっしょ」
「いや、そんなことないですよ」
「君みたいな子の感じ、なんかわかる。元カノがそんな感じだった。いつも力入っててさ、結局俺が疲れちゃって別れたんだけどね。たぶんだけど、実家とかめっちゃ厳しい家だったでしょ」
いきなりド直球。本質ストレートをぶちこまれた。
「まあ、そうですかね」
心臓がどこどこと音を立てているのが、わかった。
「まあ君のことよくわかんないけどさ。けっこうシフトかぶって、いっぱい話もしてるけど、ぜんっぜん通じ合ってる感じしないんだよね」
「あっそうですか」
「帰りもさ、無理して俺に付き合わなくていいよ。本心つまんねえっしょ」
「はぁ」
「もっと普通にしたらいいんだよ、ふつうに。また明日ね」
それから、彼と帰りを共にすることはなくなった。
なんだか、失礼なことを言われた気がした。でも、なにも反論できなかった。あとから考えても「まあ彼の言ってることが正しいな」という気持ちにしかならなかった。
私はその少しあとにバイトを辞めた。
今なら、彼の言っていることがよくわかる。
彼の言う「ふつう」は、その当時の私にはけっして手に入らないものだった。
そのことが今ならわかる。
私はこのネットカフェをやめたあと、タウンワークで喫茶店のアルバイトの募集を見つけ。そこに入った。そしてそこで7年間もの間、勤め続けることになる。