2009年、大学生の頃の夏休み、私はサークルの暇な面々と旅行に出かけた。 場所は和歌山で、なんというか、その時のめんめんは皆、はしゃいだ観光地より、まず酒が飲めて、ある程度酩酊しても怒られたりせず、海でも眺められそれでいいやというような人たちだった。ミヤニシくんが場所を選定してくれた。 メンバーは、私(ベース)、K(ギターボーカル)、ミヤニシくん(ギター)、リサ(ピアノ・ドラム)、ハイダさん(ドラム) という5人の構成だった。 ハイダさんついては今までnoteで書くこ
高校生の頃の学校の記憶はほとんどない。 ただ漫然と学校に通い、ほとんど誰とも口を聞かず、友人もいなかった。 家には帰らず、アルバイトをしていた居酒屋の常連であった年上の女性が部屋を用意してくれた。高校生活の3年間で、実家に帰ったのは3回だ。3回。これは数が少ないからしっかり覚えている。 この状況はもちろん「悲惨」そのものであると思うが、当時はそんなことを考える暇すらなかった。毎日をやり過していくこと、ひとりで生きていくために金を稼ぐこと、それでいっぱいいっぱいだった。
うつ病を悪くしてから、悪夢以外の夢を見ることが少なくなった。 悪夢「以外」の夢を見ることが少なくなったのだ。悪夢ばかり見ている。 これはベルソムラという名前のうつ病治療薬の副作用で、この薬は飲んで二度寝(軽い二度寝でもだ)をしてしまうとほぼ100パーセントの確率で悪夢を見るというおそろしい代物である。しかし私はこの薬が体に合っているようで、常飲せざるを得ない状況にある。 (この薬の後発にあたり、悪夢が改善されているといわれるデエビゴという薬も試してみたが、これは沈静効果が高
表題のとおりである。 このnoteでは主に子どもの頃から20代の頃の話を書いている。私は育ちが悪く、高校生くらいの頃から性に奔放な生活を送ってきた。その中で悪いことをたくさんしてきたわけだが、その中でもトップクラスにたちが悪いものとして「婚約ないしは結婚直後で幸せまっしぐらな奥さんを寝取る」というものがあった。 もう時効になると思うので、腹をすえて寝取ることについての話をしようと思う。この話は気分のいい話ではない。悪趣味といってもいい話である。加害者であるにもかかわらず思
オタサーの姫や体育会系の部活の女マネージャーや男だらけの会社にいる事務の女性。なんでもいい。いわゆる「姫」的な女性。それをつくるのはほとんどの場合男である。場合によって、成長の過程で子供の時点から親に甘やかされ、スポイルされてしまった女性もいるが、そういう人はもうどうしようもないのでここでは除外とする。 私は大学生から社会人を通して、ありとあらゆるところで「姫」ないしはそれに準ずる女性に遭遇してはトラブルを起こしてきた。彼女らは集団の和を乱し、場合によっては破壊する。代表的
重い扉を(私ひとりで)開け、叔母、サエコさん、そして私という順番で、洞窟の中に入っていく。コウモリが何羽か驚いて逃げていくのがみえた。サエコさんが懐中電灯を取り出し、点灯する。3人分のヘッドライトと懐中電灯のおかげでだいたい全容がはっきりしてきた。 洞窟は入り口こそ広かったものの、中は大人ひとりがやっと通れるくらいのスペースしかない。しかし、人工的に削られ通路を拡張されたり、モルタルの階段が設けられていたり、急な勾配のあるところには鎖がかけられていたりなど、人の出入りしてい
夜になり、叔母とサエコさん、3人で夕食を食べた。海鮮がメインのとてもおいしい夕食だった。 サエコさんは元気を取り戻したようで、やつれた様子はなくなっていた。 「サエコさん、大丈夫だった?」 「うん。どうも今回のひととは相性が悪いのよね」 「ひと」 「あ、そっか、別にひとじゃないわね。おばけでも幽霊でも妖怪でも、なんだっていいけど」 「ひと」という表現は私の心を不穏な気持ちにさせた。いったいあの洞窟の中に何がいるのだろう。ひと? 「さて、夜ご飯も食べたし、会議とい
家に居場所のなかった私は、中学生になるとすぐに実家近くの造園屋に頼み込んで、そこでアルバイトを始めた。昼間は学校に通い、学校が終わるとすぐに造園屋の事務所に向かった。 自転車で事務所に着くと、ちょうど仕事を終えた作業員の皆さんが帰ってくるので、皆さんの刃物(剪定はさみ、剪定のこ、チェーンソー、刈払機など)の手入れや、装具(手甲や手袋や足袋など)の洗濯などをするのが私の仕事だった。それが終わると、造園屋の社長の息子さんに勉強を教えてもらったり、一緒に本を読んだりして夜まで事務
「低気圧が接近すると体調が悪くなる」こんなことが実際に身に起きるとは、つい数年前まではまったく思っていなかった。 うつ病の病前、病後でできなくなったことについて以前書いたが、この文章を書いている今、絶賛体調不良の私はこのことを書き忘れていた。 ちょうどこの文字を書いている今日は低気圧がやって来ていて、身体がとてもだるく、仕事を休んでしまった。 台風などの低気圧の接近によって体調が崩れること、これはうつ病の病前、病後で明らかに変わったことのひとつだ。 うつ病になる前「気
今年で36歳になるうつ病でフリーターのおじさんには、通常社会で「ふつう」に見られることはとても難しい。おまけに私はバイセクシュアルだ。ふつう度でいえばマイナス20度くらいだろう。バナナで釘が打てる。防寒着を着ずに外にいれば死に直結する温度だ。 顔はだらしなく老け込み、挙動は怪しくなり、人と話をすれば口にしなくてもいいことを口にし集団の和を乱す。場合によっては致命的なまでに。 私は順調に異常独身中年男性への道を歩んでいるようだ。 ただ、昔のことを省みて、はたして病前は「違
大学進学と同時に上京した。 実家から大学までは、電車で1時間半から2時間くらい。すこし遠いけれど、けっして通えない距離ではない。だが、家庭環境に問題があり、高校生活のほとんどをある女性が借りてくれた部屋で過ごしていた私は、実家に戻るつもりなどかけらもなかった。高校卒業と同時に引っ越した。 大学に入ると、今までの辛抱を爆発させるかのように生活を満喫した。かなり無理をして、明るい性格を演じた。髪を伸ばして、革ジャンを着た。大学からはちょっと遠い部屋を借りてしまったのだけど、頑
35歳のうつ病でフリーターのおじさんになっても人生は続いていく。 このnoteでは主に子供の頃や20代の頃に起きた出来事を回想して書いている。もちろん脚色をくわえたり、出てくる人物の特定を避けるため多少フィクションを織り交ぜたりはしているが、起きたことはおおむねその通りであり、ものごとの本質を大きくずらしてしまうようなことは書いていないつもりである。 周囲にいる多くの友人や知り合いが、若いうちに死んでいった。おそらく類は友を呼ぶということだったのだろう。昔から私のまわりに
子どもの頃、正月の親戚集まりの時期になると、叔母が私を外に連れ出してくれた。 実家に私の居場所はなく、親戚集まりでは手伝いばかりさせられて、つまらなかったから、ちょうどよかった。 以前ほかの文章でも書いたように、叔母は新興宗教に入っていた。もちろん親戚の中でも叔母は特殊な存在で、親戚はみな彼女に対し、はれ物を扱うように接した。 なので叔母が私を連れ出しても、親戚集まりの途中で席を外しても、あまり文句は言われなかった。私は次男坊で存在感が薄かったし、親戚からはあまりかわい
すっかりくたびれてしまって、文章を書く気にならない日がずっと続いている。 生活はなにも変わらない。私は相変わらず居心地の悪い実家でアルバイト生活をしていて、35歳の誕生日を過ぎてもずっと変わらない日々を過ごしている。 先日、アルバイトの帰りに桜木町による用事があったので、何年かぶりに桜木町を歩いた。 イルミネーションが光っていた。若いカップルや人々が写真を自撮りをしていた。 私はイルミネーションの光に対して、まったく自分の感情が動かないことを感じて、少し悲しくなった。
私は16歳ぐらいの頃からバイセクシュアルである。 34歳のおじさんになった今でも性嗜好はそのまま維持されており、男女ともに魅力的な人は魅力的に感じるし、性別に関係なく好意をもつことができる。 場合によっては欲求を持ち、この人と親密な時間を過ごせたらいいな、と思うこともある。私の好意の男女比はだいたい綺麗に半々、5:5くらいだと思う。 ただし、ここで私がいわゆる生来のセクシャルマイノリティのような人だとか、LGBTQのような人だといわれると、ちょっと違うと思う。私は、自分
大学生の頃、オカルトに縁のある人間がまわりに多かったことがあり、夏になるとよく怖い話など、オカルト話で盛り上がった。 私も叔母が新興宗教で怪しいことをしているのを手伝わされたり、なぜかオカルトに縁がある人生を送ってきたので、よく話をしたものだった。 そのときは、ミヤニシくん、T、リザ、私、という、当時所属していた音楽サークルのメンバー4人で、部室でなんとなく怖い話をしていた。 「あのさぁ、有名な話でくねくねってあるじゃん。あれってどんな感じなの?」 リザがミヤニシくん