かしょうろ・3

重い扉を(私ひとりで)開け、叔母、サエコさん、そして私という順番で、洞窟の中に入っていく。コウモリが何羽か驚いて逃げていくのがみえた。サエコさんが懐中電灯を取り出し、点灯する。3人分のヘッドライトと懐中電灯のおかげでだいたい全容がはっきりしてきた。

洞窟は入り口こそ広かったものの、中は大人ひとりがやっと通れるくらいのスペースしかない。しかし、人工的に削られ通路を拡張されたり、モルタルの階段が設けられていたり、急な勾配のあるところには鎖がかけられていたりなど、人の出入りしていた形跡がある。照らされていない場所は本当にびっくりするくらい真っ暗で、何もわからない。ただ手に触れる岩の質が少しなめらかになったような気がした。

中は波の音が反響していて、思っていたよりうるさかった。空気が下から吹き上げてくる感じからして、もしかしたらこの下は空洞になっていて、波で浸食された部分があるのかもしれないと思った。

下に降りるにつれ階段や人工物は少なくなり、やがて全くなくなった。両手を使わなければ下に降りていけない、本当の洞窟探検のような感じになってきた。叔母は和服に袴、しかも下半身はびしょぬれという恰好であるのにもかかわらず、身軽に降りていった。

緊張していて、洞窟に入ってから何分経ったかわからないが、ようやくすこし開けた平らな場所に出た。外から波の入ってくる音と、空気の動きが感じられた。やはりどこかで外海とつながっているのだ。

周りはフナムシとコウモリだらけで不快だったが、サエコさんも叔母さんもそんなことは全く意に介していない様子だった。

よし、着いた。

波の音で、叔母さんの声かサエコさんの声かわからなかったが、誰かがそうつぶやいた。


・・・

サエコさんが懐中電灯で照らした先には、朽ちたお堂のようなものがあった。よく漁港の先端で見かけるような、海の神様を祀る小さなお堂に見えた。ただそれは朽ち果てて、ほとんど原型を留めていなかった。

木造のそれは、当時の私の身長と同じかすこし小さいくらい。洞窟の中に運び込んだとするなら、けっこうな大きさだ。

屋根は腐って崩壊し、砂浜に落ちている流木のように全体が褪せている。
ヘッドライトで照らしてよく見ると、ペンキを重ね塗りしたような形跡があり、誰かの手によって定期的に補修されていたような雰囲気があった。

ただ、構造自体が限界を迎えてしまったのだろう。そのお堂は無残に崩壊してしまっていた。

神聖さを帯びている状態が正常のものが崩れ落ちている姿というのは、どうしてこんなにも人間の心の底を恐怖させるのだろう。私はそれを見て心底恐ろしくなり、サエコさんにしがみついた。

「怖い?」

「はい。怖いですよ」

「でもあれはおまけみたいなものなんだ。今回の案件はあれじゃない」

そう言うとサエコさんは、リュックサックから私が射精した精液を大事そうに取り出し、タッパーから出し、叔母に手渡した。

「(叔母の名前)さん、始めます。いいですね?」

今まで無口だった叔母が「始めましょう」と言った。

「よし、袋小路くん、次はね、あのお堂を囲むようにおしっこをしてほしいのよ」

「今度はおしっこですか。一体どうなってんですか」

「気にしない気にしない。これも必要な工程だから」

「はああ」

私は半ばやけっぱちな気持ちで、指示された通りお堂のまわりを囲むように小をした。とてつもない罰当たりなことをしているような気がしたし、実際その通りなのだろうが、必要な工程だと言われたら仕方ない。それなりの額を叔母からは提示されている。今回の旅費だってホテルのごはん代だって全部叔母がもってくれた。やるしかない。

一部始終をサエコさんと叔母さんによってヘッドライトで照らされていたため、とてつもなく恥ずかしかった。

終わると、叔母さんが何かのことばを唱えながら、私が小をした範囲の中に入っていった。そして、精液の入った袋を手に持ち、地面に、よく神社の式などで見る、いわゆる「人型」を置いた。
その人型は神社などで息を吹きかけるものよりだいぶ大きく、A4用紙を縦にしたくらいの大きさがあった。

そして懐からライターを取り出し、私の精液の入った袋に火をつけた。
炙られて焼けた紙から私の精液がこぼれ落ちる。焼かれた精液は人型の、ちょうど股のあたりをめがけてぼたぼたと垂れていった。

行為の意味はわからなかったが、私はとてつもない罪悪感のような感情に襲われた。これはいけないことだ。今なら「穢れ」という言葉を使うが、当時はそんな言葉は知らなかった。

ただ、強烈な禁忌の感情「ばちあたり」感があった。なぜここまで「汚い」行為を連続して行わないといけないのか、私の身体から排泄された体液でないといけないのか、よくわからなかった。たしか叔母さんは童貞がどうとかと言っていた。それが鍵なのかもしれない。だがその瞬間は、そんなことを考える余裕はかけらもなかった。

なにかを強制・矯正しようとして、叔母とサエコさんはこの方法を使っている。長い時間をかけて錆びついた歯車どうしを、5‐56を使って無理やりぎちぎちと動かすように。そんな気配が強く感じられた。


・・・

しばらくすると、お堂の奥から、人の声が聞こえてきた。

「さりょりょじせょー」
「さりゅじょじせょー」
「さりょるじせょー」

何を言っているのかわからない。だが、この声はなにかを私たちに訴えている。そのことはわかった。もしかしたら、とくべつな古い言葉で、私に理解できない言葉かもしれない。現実にまだ生きている人の言葉ですら、なまりで理解できなかったのだから。

「出てきてくれたわね」サエコさんがつぶやくように言う。

「あかりを消してもらえる?」叔母に言われ、急いでヘッドライトを消す。
叔母も、サエコさんもヘッドライトを消す。

手の先が見えないくらいの暗闇。

「さりょりょじせょー」
「さりゅじょじせょー」
「さりょるじせょー」

ずっと同じことばが聞こえる。

それに加え、わずかに、鎖のような、ちゃらん、ちゃらんというような音も聞こえる。

隣にいたサエコさんがなにかのことばを唱え始める。お経や、祝詞のようだけど、聞いたことのないまったく別の言葉だ。言っていることが日本語だということだけがかろうじてわかる。

お堂の後ろからは、相変わらず「さりりょじせょー」というような、どこの言葉かもわからない声が聞こえる。

叔母も祝詞を唱えはじめる。これは前のホタルの時とは違うことばだった。ホタルのときは穏やかな言葉だった。この時はもっと強烈な、柔らかさのない、強い言葉だった。

波の音、サエコさんのことば、叔母さんのことば、誰かが、何かを訴える声、全部が混然一体となって、頭がぐるぐるとしてくる。


・・・

気づいたら私はひとりで、洞窟の中にいる。

お堂の裏から、例の声が聞こえる「さりゅりゅじせょー」

お堂の裏を見る。

女性だ。まだ若い。たぶん高校生くらい。しかし、身体はボロボロだ。
足首にはトラバサミに挟まれたようなギザギザの深い傷があり、傷は放置されたまま治りきっていないようだった。私はなぜかその傷を見て「足の腱を切ったんだな」ということを理解した。反対側の足首には鎖のようなものが巻かれていて、ちゃりちゃりと音を立てている。髪の毛はところどころ抜け落ちて、禿ができて、カビが生えているのがわかる。もはや服と呼べるものは着ていない。ムシロのようなものを身体に巻き付けているだけだ。

だが私は興奮している。私はこの女を好きにできる。犯してもいい、殴ってもいい、殺してもいい。

私はその女を犯す。女をめちゃくちゃに犯している間、女がつぶやく

「さりゅりょじせょー」「さりよじょー」「さりゅりょーじょー」

私はうるさいと感じ、女を思い切り殴りつける。女が黙る。私は本能のままに女の首にかじりついて、腰を振って女の中に射精する。何度も、何度も。彼女の膣の中は傷ついて、血が流れている。私の陰毛に血がついて、私は身体が汚れたことにいらつく。そして更に乱暴に彼女を犯す。

瞬間、身体に衝撃が走る。
私は頭を思い切り殴られ、倒れる。

そこには、叔母さんがいた。若い叔母さんだ。そのときの私よりすこし年上の、私が犯した女と同い年くらいの叔母さん。昔見せてくれた母のきょうだいたちの古いアルバムで見たことのある、学生の頃の叔母さん。さっきまで藍色の服を着ていたのに、その時は白無垢の襦袢のようなものを着ている。叔母さんの握りしめた拳には血がしたたった跡がある。それは私の顔と、叔母さんの拳から出た血だ。

叔母は、彼女を抱きしめる。私がめちゃくちゃに犯した、ぼろぼろの彼女。

「もう大丈夫よ。あなたはもう大丈夫」
「さりゅりょじせょー。さりゅよじょー」
「ここを出ていきましょう、ね。出ていきましょう。怖かったね。ずっと怖かったよね」
「さりゅりょじせよー。さりゅよじせよー」

女が叔母にすがりつく。


・・・



意識が覚める。長く眠っていたような感覚がある。
私はサエコさんに背負われていた。見渡すと、洞窟のある岬の上だった。潮が引いて、渡ったときよりだいぶ水深が浅くなったようにみえる。

「もう、終わったんですか」

「あ、ようやく目覚めたな」

じゃぶ、じゃぶ、と、一定のリズムでサエコさんが歩く。サエコさんの前には叔母の姿が見える。叔母はちゃんと藍色の和服を着た叔母だった。

「あとは自分で歩いて」
私はいきなり海に向かって放り投げられた。

放り投げられたことで上下左右がわからなくなり、おぼれかけるが、そこが足のつく場所だということがわかり、なんとか立ち上がった。

「サエコさん!勘弁してくださいよ」

立ち上がった私はサエコさんのほうを見る。サエコさんは、まるで汚いものを見るかのような、厳しく、強い嫌悪のまなざしを私に向けていた。私はその猛烈な嫌悪の眼を忘れることはできないだろう。しかしそれに気づいたような表情をし、はっ、と、いつもの彼女に戻る。

「サエコさん、どうかしたんですか、俺、なんかしましたか」

「なんでもないわよ。放り投げちゃってごめんね。帰りましょう」

我々はびしょぬれのまま車に戻る。エハラさんがそこで待っていた。エハラさんの顔を見て私は安心する。だが目が合うと、彼はまるで見ていけないなものでも見たかのように目を逸らした。

話しかけてくれるな、そんな空気がありありと感じられた。

結局、エハラさんに話しかけることはできないままだった。サエコさんがエハラさんに鍵と、位牌のようなものを渡したのが見えた。私はその位牌のようなものに強烈な既視感を覚えたが、結局どこで見たものか思い出せなかった。エハラさんはそれを抱きしめ、涙を流しながらサエコさんに感謝していた。

私はその光景を疲れた身体でぼんやりと見ていた。

夜が明けてきた。美しい明けの明星だった。
私たちは濡れた服を着替え、車に乗り込み、ホテルに戻った。


・・・


我々はその日のうちに新幹線で帰宅する予定だったが、私が高熱を出し動けなくなってしまったため、もう一泊していくことになった。

「けっこうあるねー。こりゃ病院行ったほうがいいかも」

サエコさんが体温計を見ながら言う。

「いえ、大丈夫っす」

39度近い熱が出た私は、もうろうとした頭でサエコさんに看病されていた。
サエコさんが頭にのせたタオルを交換して、冷えたポカリスエットをコップにそそいでくれた。

「叔母さんはどこにいるんですか」

「さすがにちょっとくたびれたみたいで、今は温泉入ってゆっくりしてるよ。私も君の熱がもうすこし落ち着いたら温泉に入る」

「そうですか。すみません」

「別に謝ることじゃないよ。君はよくやってくれた」



「あの女のひと」

「うん?」

「あの女のひと、なんて言ってたんですか。さる…なんとか…じょー、みたいな」

タオルを絞っていたサエコさんの動きが止まった。

しばらくの沈黙のあと、サエコさんは静かに近づいてきて、私の耳元まで顔を寄せた。サエコさんのシャツから除く首元には、たくさんの噛み痕が見えた。



「あのことばはね 韓国語だよ」

「サリュリョジュセヨ」

「意味はね『助けてください』」





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