夢の終わり

うつ病を悪くしてから、悪夢以外の夢を見ることが少なくなった。

悪夢「以外」の夢を見ることが少なくなったのだ。悪夢ばかり見ている。
これはベルソムラという名前のうつ病治療薬の副作用で、この薬は飲んで二度寝(軽い二度寝でもだ)をしてしまうとほぼ100パーセントの確率で悪夢を見るというおそろしい代物である。しかし私はこの薬が体に合っているようで、常飲せざるを得ない状況にある。
(この薬の後発にあたり、悪夢が改善されているといわれるデエビゴという薬も試してみたが、これは沈静効果が高すぎて日常生活に支障が生じ、使えなかった)

ベルソムラを飲んで見る悪夢は混沌そのもので、串刺しにされて人通りの多いところで死体が晒される夢や、切れ味の悪いのこぎりでゆっくりと身体を刻まれる夢など、とにかくびっくりするくらい悪い夢である。目が覚めたときにはほとんど忘れてしまっているのだが、圧倒的に「悪い」のである。涙を流しながら起きたり、漫画のような話だが自分の悲鳴で起きることもある。

夢に詳しい叔母に相談したところ「自分の人生の責任を自分で果たそうとしていないからそういうことになる。あなたには失望した」とつっぱねられてしまった。うつ病を悪くしてからというもの叔母は私をあまり良く思っていないようで、なかなか厳しいものである。

そんな中、久しぶりにちゃんとした夢を見た。

夢の中で、私はリザとふたりきりであった。
私はリザの(とても汚い)池袋のマンションの部屋にいて、ふたりでベッドに潜っていた。

リザが「意味が変わっちゃったね」と言った。
「どういうこと?」と夢のなかの私が言う。

よくみると、私の身体は20代の頃の私ではなく、現在の私の身体だった。腹が出て、皮膚がたるみ、老いの影を隠すことが難しくなってきた36歳の私の身体だった。20代の頃のリザの若々しい身体と比べると、なんと醜い身体だろう、と思った。

ことばの意味はよくわからなかったが、私は心から納得して「そうだね、意味が変わっちゃったね」と答えた。

リザは起き上がり、こちらを向いて、すこしだけ笑った。彼女の背中に火傷の痕がないことに気づいて、これは夢だとわかった。

そうして目が覚めた。

そういえば、あいつの背中の火傷の痕って、どんなかたちだったっけ。よく覚えていたはずなのにな。私がその痕をなぞると、本気で怒って殴られたりしたな。


リザのことを日常生活で思い出すことは少なくなってきた。10年以上前のことだ。当然といえば当然だろう。こうして悲しみや憎しみが、ゆっくりと時間をかけてその輪郭をぼやかせていくことが癒しというのだろうか。

そうなのだとしたら世を憎みながら死んでいった人間があまりにも浮かばれないと思う。しかしそうして若いころの、死と憎しみに溢れたむなしい日々を忘れていくことでしか、これから先の人生、青年ではなく、中年の人生を生きていくことはできないのだろうとも思う。生き死にと真面目に向き合った人間はその真面目さゆえにみな、青年期の間に死んでしまった。

死に引き寄せられて日常生活をおろそかにするには、私はあまりに中途半端な年齢であり、状態である。若すぎもせず、年老いすぎてもいない。

健康とはとてもいえないが、身動きがとれないほど不健康でもない。稼ぐためには仕事をしなくてはならず、うつ病の精神を持ちこたえさせるためには人より多く寝て休まねばならず、衰えていく肉体を支えるためにダイエットもする。

私をここまで生きさせてくれた多くの人たちに恩返しがしたいという気持ちもほんのわずかながら残っている。だからまだ生きている。


その夢をみた次の休みに、現在の住居から1時間以上かけて、久しぶりに池袋に行った。

西口の改札を出て、リザの住んでいたマンションを見に行った。
建て替えられ、見る影もなくなっていた。


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