かしょうろ・1


家に居場所のなかった私は、中学生になるとすぐに実家近くの造園屋に頼み込んで、そこでアルバイトを始めた。昼間は学校に通い、学校が終わるとすぐに造園屋の事務所に向かった。

自転車で事務所に着くと、ちょうど仕事を終えた作業員の皆さんが帰ってくるので、皆さんの刃物(剪定はさみ、剪定のこ、チェーンソー、刈払機など)の手入れや、装具(手甲や手袋や足袋など)の洗濯などをするのが私の仕事だった。それが終わると、造園屋の社長の息子さんに勉強を教えてもらったり、一緒に本を読んだりして夜まで事務所で過ごした。

社長の家で晩ご飯をごちそうになることも多かった。今思えば得がたい経験であったと思う。私は家族以外にも、自分に愛情をかけてくれる人がたしかにいるということを、もっとも感受性の強い時期に知ることができたのだ。

そんな生活にもすこし慣れてきたころ、叔母から電話がかかってきた。中学1年生の夏休みの頃だった。

親族で、唯一仲が良かったのは叔母だった。叔母は母のきょうだいの一番上の姉だ。とある新興宗教団体で幹部のようなことをしていて、除霊や妖怪退治や夢への介入など怪しいことをしてお金を稼いでいた。私の母とはとても仲が悪かった。

叔母は私にたまにそういった変なことの手伝いを頼んでは、いつも私をうまいことダシにしてスムーズにことを運ぶようにしていた。


「袋小路くん、ちょっと手伝ってほしいことがあるんだけど、いいかしら?」

造園屋から貸与された仕事用の携帯電話に電話がかかってきた。プライベートでは叔母にだけ電話番号を教えていた。

実家の近くに来ているということで、叔母の車に拾ってもらい、ファミリーレストランで話をした。

「あらあら。しばらく見ない間に急に大きくなったわねえ。ちょっと頼みがあるんだけど、ちょっと一緒に旅行しない?」

「どうせ前のほたるのときみたいに、なんかあるんでしょう」

「察しがいいわねえ」

「別にいいけどさ。俺、学校も仕事もあるんだけど」

「別に学校なんてどうってことないのよ。私だってほとんど通ってないけど、ちゃんと生きてるじゃない?今回はねえ、相手がなかなか気難しいのよね。それで力を借りたいのよ」

「はぁ」

「あんた、まだ女の人とエッチしたことないでしょう?」

私は飲みかけていたメロンソーダを噴き出してしまった。

「いや、したことないけど。なんなの?」

「今回はねえ、あるおばけみたいのをどうにかしてほしいって依頼がきたんだけどね 「かしょうろ」っていうんだけど、これがどうにも、あまり話し合いができないみたいなのよね。私の知り合いが先に現地に行ってるんだけど、どうにもあんまり話が通じないらしくてね。それで、先に行った知り合いも女のひとなのよ、私も女じゃない。そのおばけも女のかたちだからあんまり相性が良くないのよね」

叔母のいう「女のかたち」ということばがひどく胸にさわった。

「男の人だったら、叔母さんの知り合いにもいるんじゃないの」

「それがねぇ、状況を聞くかぎり、たぶんエッチなことをしたことない人、つまり童貞のひとが必要なような気がするのよね」

「それで俺なんだ」

「そういうこと」

「なんかさあ、他にいないわけ?そういう人。また怖い目みるのやだよ正直」

「いるにはいるんだけどねぇ。勘なんだけど、若い男のほうがいいような気がするのよね」

「お給料、弾むわよ」

「はーあ」

私は提示された額に目がくらみ、造園屋にすこし休む旨を伝えて、次の日には叔母と北陸に向けて出発した。造園屋の社長には叔母が電話で話をして、多いに盛り上がって、私の休みが快諾された。この二人は意気投合し仲良くなり、やがてちょっとしたことがあったのだが、それはまた別の機会に書こうと思う。

・・・

叔母が車を数時間走らせ、到着したのは北陸のとある町だった。まずはホテルにチェックインして、先に現地入りしていた叔母の仲間のサエコさんと会った。そのホテルでサエコさんが詳しく事情を説明してくれた。

「サエコさん、こんにちは。お久しぶりです」

「まあまあ袋小路くん、大きくなったわねえ」

サエコさんと握手をする。綺麗なひとで、少しどきどきする。

サエコさんは当時、20代後半くらいの除霊師さんで、代々霊媒の血統をもっている家系の人だった。女優の小雪さんの雰囲気をもうちょっと尖らせたような風貌のひとで、綺麗な女性だ。
 どちらかといえば個人の才能というより、家系で能力を管理してきたタイプの家の人だ。叔母が言うに、サエコさんは「話し合い」が得意ではないらしく、彼女はそんな自分の能力をあまり好んではいないらしかった。叔母とはサエコさんがまだ学生の頃に知り合ったらしく、彼女は叔母のことを「師匠のように思っている」そうだった。

私は数年前にサエコさんに会ったことがあり、面識がないわけではなかったが、とても久しぶりの再会だった。

サエコさんがマップルの地図を広げながら事情を説明する。

・・・

当該の場所はホテルのある町からすこし離れたところにある漁村。その漁村の近くの磯には岬状に飛び出た地形の場所があり、その先端には波の浸食の力によってできた自然の洞窟がある。いちおう景勝地ということにもなっている。

しかし、ここ数年で地元の人たちが、その岬で女のひとの霊を見た、ということが増えてきた。それも噂話や子供たちの都市伝説のレベルではなく、大人も子供も関係なく目撃例がどんどん増えていった。

地元の人たちは神社の神主さんに頼んで地鎮祭をしてもらったり、色々なことを試してみたようだが「幽霊をみた」という噂は飛び火していき、近くの学校などでも噂が広まり、だんだんと岬は心霊スポットのような様相になってきた。肝試しに訪れる若者が増え、事故が起こるリスクが増えてきた。洞窟への入り口へは厳重な柵をつくって立ち入り禁止としたが、それでも肝試しに来る若い人間が多いので、抜本的な対策をする必要がある、という話になったようだった。

そこからいろいろな縁が重なって、まずその村の近辺に実家のあるサエコさんに話がまわってきた。サエコさんは現場にきたものの、なかなか難しい状況という判断をして、叔母に手伝いの依頼をしたという流れだ。

こういう変な事態に対して叔母やサエコさんのようなオカルト系の人間が呼び出されるということは、きっと、もとから何かしら因縁のある場所なんだろうと、私は直感的に感じた。

「ここの人たちは周りの人にあんまり、おばけがでます!みたいの、知られたくないみたいで、本当は私だけでケリをつけてほしかったみたいなんだけど、噂が広がるようになっちゃって、私に声がかかったんだけど、どうも私には難しくて(叔母の名前)さんに頼んだのよ」

「なるほど」

「今日の夜からさっそくやっていきたいと思うんだけど、とりあえずは偵察よね」

「しっけたところですよ。私は実家が近くだから多少付き合いもあるけど、苦手だったからあまり行かないようにしてた」

サエコさんが苦々しい顔をして言う。

レンタカーに3人で乗り込み、サエコさんの運転でその村へと向かう。ホテルのある町から1時間弱でその村についた。

サエコさんの言うとおり、ひなびたところだ、というのが第一印象だった。地図を見ると、地形的に他の集落と距離が離れていて、村にいるのは仕事をしているのかしていないのかよくわからないおじいさんやおばあさんばかりだった。夏休みだというのにこどもの姿はほとんど見えなかった。今のことばでいうなら限界集落という印象だった。それにくわえ我々への目線も、よそものに対する警戒心を強く感じて、雰囲気の良いものではなかった。

しばらく海岸に向かって歩くと、話にあった岬が見えた。綺麗なかたちをした岬で、洞窟があるであろう先端部分はこんもりとした山のような形状になっている。

サエコさんは村の人と話をしていたので、叔母とふたりで岬の先端に向かって歩く。その一帯の海辺はもともと火山活動によってできた磯らしく、黒くざくざくとした形状の岩がつらなっていた。砂浜を想像してサンダルで来てしまった私は、気を付けないと足を切ってしまいそうだった。

岬の先端部分への道は干潮時には歩いて行けるが、満潮になると水が膝上から腰くらいの高さになり、歩いていくのは危険だということだった。岬の途中、ところどころに深いたまりがあった。たまりの中には干潮で取り残された魚の群れや、うみうし、やどかりなどがいて、とても綺麗だった。

こんな美しい場所になんだかよくわからないおばけみたいなやつがいるとは、あまり想像ができなかった。でも叔母は「女のかたち」って言ってた。「かたち」ってなんだ。私はひとりで不安になってきていた。

岬の先端に着く頃には、サエコさんと、村のおじいさんがひとり追いついてきた。ふたりはなまりの強い現地のことばで話していて、何を言っているのかほとんど聞き取れず、同じ日本語を話しているとはとても思えなかった。

岬の先端の小さな山をすこし登ると、洞窟の入り口があった。洞窟の入り口には、最近設置されたのだろう、真新しい、とても重そうな鉄の柵がかかっており、大きな南京錠とチェーンで厳重に鍵がかけられていた。「立ち入り禁止」と、漁協名義での看板が設置されていた。

[この南京錠もすぐに錆びてだめになってしまうだろうから、定期的にとりかえないといけないなあ]

というようなことを、おじいさんが現地のことばで話した。おそらくそういった意味合いだった。とにかくなまりが強く、なんとも聞き取りにくかった。

おじいさんと協力して重たい扉を開けると、中からは海水の腐ったような、嫌な臭いがした。

「ふうん、こんな風なんだ」
叔母が言った。

サエコさん、叔母のふたりがヘッドライトと手袋をつけて、洞窟の中にもぐっていった。

私は地元のおじいさん(エハラさんと言った)に、たまりに残った生き物の名前や、地元のことばなどを教えてもらっていた。

「この洞窟はなにか悪いことがあるんですか?」

私がたまりを覗きながらそう聞くと、エハラさんはすこし押し黙ってから「悪いことがある」と言った。断定するような口調だった。そのことばにはなまりがなかった。私は聞いたものの、なんと返していいのかわからなくなってしまい、しばらく沈黙があった。

ある程度会話をすると、エハラさんのなまりの強い言葉はだいたい理解できるようになった。無口な老人だと思っていたが、ふたりだけになると、その場所の自然のこと、食べ物のこと、魚のことなどたくさんのことを教えてくれた。当時の私はエハラさんが教えてくれるものごとを素直に楽しんだ。

私はエハラさんのする話に夢中になっていたので、どれほどの時間が経ったのかわからない。おそらく、1時間もしないくらいだ。

しばらくすると、サエコさんと叔母が洞窟から出てきた。サエコさんは洞窟に入っていったときとはまるで別人のようにぐったりと疲れた様子で、驚いた。血の気がなく、唇が真っ青になっていた。

「サエコさん、大丈夫?」

彼女は黙って何度かうなずいた。大丈夫とはとてもいえない様子だった。
私はサエコさんに肩を貸して、ゆっくりと歩いて洞窟を離れていった。

その日はそれで宿に戻ることになった。私はエハラさんに挨拶をした。

「ありがとうございました」
[坊や、また遊びにきなさい]

エハラさんはにっこり笑ってそう言った。

宿のある町までの帰り道は叔母が運転した。サエコさんは後部座席で横になって、叔母の指示で私が膝枕をして、水で濡らしたタオルをおでこにのせた。

「袋小路くん、ありがとう」

サエコさんの身体はとても冷たく、血の気がなかった。まるで長く水に浸かっていた人のようだった。髪の毛はじっとりと湿っていて、私の膝からじわじわと体温を奪っていった。私は無意識にサエコさんの手を握っていた。

「ありがとう。すこし休めば大丈夫よ。ちょっと疲れちゃっただけだから」

サエコさんがすこし明るい声で言った。

宿につくと、サエコさんは部屋に戻った。すこし休むということだった。叔母はダブルベッドの大きな部屋を借りてくれていた。私と叔母は交代にシャワーを浴び、身体を清潔にした。

「サエコさん、大丈夫かな。声かけたほうがいいんじゃない」

「平気よ。彼女は強いから」

夜になり、ものごとが進み始めた。



https://note.com/fukurokoujidesu/n/n52b7b1096141

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