ロールシャッハ・テスト、ちょうちん火

2009年、大学生の頃の夏休み、私はサークルの暇な面々と旅行に出かけた。

場所は和歌山で、なんというか、その時のめんめんは皆、はしゃいだ観光地より、まず酒が飲めて、ある程度酩酊しても怒られたりせず、海でも眺められそれでいいやというような人たちだった。ミヤニシくんが場所を選定してくれた。

メンバーは、私(ベース)、K(ギターボーカル)、ミヤニシくん(ギター)、リサ(ピアノ・ドラム)、ハイダさん(ドラム)

という5人の構成だった。

ハイダさんついては今までnoteで書くことはあまりしてこなかったが、当時サークル内で仲良くしていた女性だ。当時のサークル内ではオガワの次にくる極めて高いドラムの技術を持ち、今でもバンドを続けておりドラムを叩いている。現在は3児の母である。

都内でレンタカーを借り、ミヤニシくんに運転を頼み、私もふくめ他の人たちは皆すぐに飲酒を始め酩酊状態となった。宿に着くころにはリザが2回嘔吐、ハイダさんは意識が混濁しており、Kは自分の生まれの悪さを嘆いていた。私は酔うと泣き上戸になるため「俺はなんで……なんで生まれてきたんだよぉお!!」というようなことを泣き叫んでいたが「るっせえんだよ!ボケ!死ね!」とリザに蹴り飛ばされ、蹴り飛ばされたそのままの姿勢で眠っていた。

こう聞くと異常者の集まりだが、まあ大学生の夏休みの旅行なんてそんなものだろう。宿についた後もすぐに宴会をはじめ、ほとんどの時間を酩酊して過ごした。Kは酔うとナルシッサスになるため、誰も聴いていないのにひとりでRADWINPSの曲をアコギで弾き語りをしていた。私はひとりでめそめそと泣いていた。ハイダさんはいびきをかいて寝ていた。

夜になると、ミヤニシくんが気を利かせて花火を買ってきてくれたので、酒ばかり飲んでないで夏らしく花火でもしようということになった。

「みなさん、ここの堤防ではちょっと珍しいものが見れるんですよ」

ミヤニシくんが唐突に言い出した。

「おいおいおい、またミヤニシが幽霊か妖怪か見せてくれるってよぉ!」

と、VAT69というまずいウイスキーの瓶を持ったリザが茶化した。リザはなぜかこのウイスキーが好きだった。私は一度もうまいと感じたことはなかった。

ミヤニシくんは全く変わらない調子で「はい」と言った。

観光客のひどく少ないひなびた海岸で、痛む頭をこらえながら花火をした。花火については特になんの感慨もなく、ただただ頭が痛かったことだけを覚えている。ミヤニシくんだけが不思議とはしゃいでいた。

その浜辺には隣接した漁港と堤防があり、漁港を守るようなかたちで沖に向かって比較的長めの堤防が伸びていた。

「あそこの堤防の先あたりまで行くと、珍しいものが見られますよ」

「胃が気持ち悪い。歩くのめんどくさいよう」
リザが本当に心底面倒くさそうに言った。

「私、ミヤニシくんの『そういうの』噂では聞いてたんだけど、はじめて見るかも!楽しみ!」

ハイダさんはうきうきしていた。

「ここは別に、ぼくがいるとかいないとかに関係なく見れるところです。ただ安全のためにぼくがガイドをするっていうだけです」

「安全?」

「はい」

ミヤニシくんはなんだかいつもと様子が違った。普段から超然としている人だし、本人もそれを自覚しているようなところのある人だったが、このときは何か高揚しているような、そんな風に見えた。

全員で堤防の突端近くまで歩いていった。


堤防の突端近くまで行くと真夏でも風が涼しく、飲酒のしすぎでほてっていた身体を冷やしてくれた。なぜか釣りをしている人や、観光の人がひとりもいなかったのが気になった。

「で、なにが見れるってんだよミヤニシぃ。海ぼうずでも出るってのか」

リザは悪酔いしていた。海に落ちないように私が支えていた。

「いえ、そこまですごいのじゃないんですけど……。風があんまり吹いてない日がなぜかよく見えるんですよね。不思議なんですけど」

「あ、見えた見えた。あれです」

「うーん?」

遠くのほうに、何かひらひらとしたものが見える。布が風ではためいているような、そんな風に見える。しかしそれはその場所で留まり続けている。

「なにあれ?なんかあれじゃない?クリオネっぽくない?」
Kが言う。

「クリオネっていうか・・・傘みたいに見えませんか?なんかうねうねしてる?ような?」
ハイダさんが言う。

「俺はなんか布っぽく見えるけど・・・なんなのあれ?」
私が言う。

「私なんかぼんやりしてるのが見えるだけなんだけど、釣り船のあかりとかじゃないの?あれ」
リサが言う。

「綺麗じゃないですか?」

ミヤニシくんが沖を見つめながら、笑顔で言った。

「なんかいまいちぱっとしないというか、何なのかわかんない。布にしか見えないんだけど」

「あれはこのあたりの地域では『ちょうちんび』と呼ばれています」

「ちょうちんび?」

「そうです。昔の人が使ってた提灯に、火と書いてちょうちんび」

「へへえ」

「あれって妖怪とかおばけみたいなやつなんですか?」
ハイダさんが聞く

「いえ、妖怪よりもっと原始っぽいというか・・・神様っぽいというか、そういうやつですね」

「へへー。なんか悪さとかするんですか?海にひきずりこむ!みたいな」

「いえ、そういうのではないんですけど、さっきから皆さん、見えてるフォルムがちょっとづつ違いませんか?」

「たしかに」

「たとえば袋小路さんは布みたいに見えると言ってましたね。Kさんはクリオネみたいに、ハイダさんは傘みたいに、リザ先輩はぼんやりとした光としか見えていない」

「たしかに?」

「あれって、場所とか名前が変わると『くねくね』とか『からかさ」って呼ばれるやつなんですよ」

「くねくねってあのネットで有名なやつでしょ。海にも出るんだ。ていうかからかさって、なんか一つ目で足生えてるみたいなイメージなんだけど、ああいうのじゃないんだ」

「あれは水木しげるさんのイメージですよね。もちろんああいう風に見える人もいるんだと思うんですけど」

「リザ先輩、僕にもウイスキーもらえませんか」

「いいけど」

ミヤニシくんがVAT69を瓶からラッパ飲みした。いつも品のいいミヤニシくんには珍しい動きのように思えた。

「たとえばくねくねって『見ると狂う』みたいなこと言うじゃないですか」

「有名だよね」

「からかさって、見ると狂う、ってイメージあんまりなくないですか」

「うん。なんかおどかすだけみたいな」

「そうですよね。でも実際そんなことなくて、今見えてるあれ、ずっと見続けてるとだんだんおかしくなってきます」

「おいおい大丈夫かよ」

「まあそんなひどくはならないと思うので、大丈夫と思いますよ」

「からかさもくねくねも、海外だと『スレンダーマン』とかありますよね。多分あのへんもそうだと思うんですけど、見る人の脳の認知によって、見え方が大きく変わってくるんですね」

「へへぇ」

「ロールシャッハテストってあるじゃないですか。幽霊とか妖怪とか神様って、あれみたいなものなんです。見るひとによって、形状やかたちが違う。場合によっては全く見えない人だっているわけです。なのにそれを人は『これはこういうもんだ』っていう今までの頭の中の常識を通して見ようとする」

「僕は、こういう見ると狂うって言われているものって、ようは錯視のものすごいやつなんだと思うんですよね。僕らの認知力ではものすごーくおおざっぱな見え方でしか見えないものが、人によってその細かいディティールまでわかってしまう」

「でもこれらのものって不定形だから、その人が見えている細かいディティールより、もっと奥に細かいものがあるわけです」

「そうするとそれをわかりたい、という脳の機能が先走るわけです。原始的な本能として、わからない、というのはそれだけで脅威なわけですから。そのもっと奥、もっと奥を見ようとする。そうすると脳のメモリが日常使いの部分をオーバーして、狂ってしまうということだと思います。たとえば、優れた錯視の絵画の作品をたくさん飾ったミュージアムなどにいると、だんだん空間認知がおかしくなってくるという話があります。人間のものに対する認知力なんて、しょせんその程度のものなんですよ」

「わかるような、わかんないような……。やっぱわかんねえな」
Kが言う。

「あれ…あれって、なんかボーダーっぽくないですか」
ハイダさんが言う。

「ボーダー?白じゃない?」

「いや、なんかボーダー柄がうにょうにょうにょーって細かふ動いれ……あれ?わらひ、あ、なんは、ろれるまわっれらいれふか」

ハイダさんが言う。

「あれ?ハイダさん大丈夫?」

「はれ?はたぃ、ろれるまはってない」

「誰かがあたりを引くと思ってましたが、ハイダさんでしたか!」

ミヤニシくんがなにか新種の昆虫でも発見したかのような風に言う。

「いや、ミヤニシくん、あたりて」

「しばらくあれを見ないでいればすぐ戻りますから、安心してください。脳に過剰な負荷がかかっているだけですから」

「いや・・・大丈夫なの?それ」

ハイダさんはふらふらと座り込んでしまった。
「ハイダちゃーん、大丈夫?」急に正気に戻ったリサがハイダさんを抱きかかえた。

よく見るとハイダさんの口からは血が出ていた。無意識のうちに唇をずっと噛み締めていたらしい。

ミヤニシくんは沖のそれを高揚したような表情で、ずっと見続けていた。

結局、それから2時間か3時間、ハイダさんを除く全員が、ぼんやりと見とれたように、それを見続けた。私にはそれがなにか白い布がうにょうにょしているようにしか見えなかった。

夜明けの直前が一番ディティールがはっきり見えるらしいのだが、それを見てしまうと「ここにいるぼく以外の全員が精神病院送り」になるということだったので、退散することにした。

ハイダさんはその後、特になにもなく元通りになった。


ハイダさんとはその後も仲良く過ごし、大学を卒業した後も交友関係が続いていた。ひょんなことで、映画館で一緒に「シン・ゴジラ」を観ることになった。映画を見た後、食事をとっていたらハイダさんが言った。

「袋小路さん、ずうっと昔、サークルのみんなで和歌山行ったじゃないですか」

「ああ、懐かしいね、あのころはまだミヤニシくんもリサも生きてて」

「そうですね。あのとき、海のなんだかよくわからないものを見ながらミヤニシ先輩が、人間の認知力がどうだって話してたの、覚えてますか」

「うん。なんとなくだけど」

「私、あのとき見たのが、今見たので・・・。なんて言うんだろ。映画の中で、ゴジラが進化するときに、身体の表面にぶわーってボーダー柄みたいのが見えるシーンがあったじゃないですか」

「うん」

「あれが見えてたんです。あのとき。Kさんがクリオネみたいって言ってた……よくわかんないものの表面に、まさにあれそっくりに、ボーダーがぶわーって。すごい既視感で、でも映画館だからはしゃげないし。あのときのこと、一気に思い出しちゃって」

今でもミヤニシくんが、沖のなにかを見続けていたときの、恍惚とした表情を思い出すことがある。












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