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前の記事からの続きです。こちらもお読みください!

整体の道に進むことになったきっかけ、おばさんの一言。

ほんとうに、こんなことがキッカケ?って思うかもしれませんが・・・
親と一緒に住んでいる時に、遊びに来ていた、母の友人のおばさんから
「肩もみが上手だね〜」の一言でした。
なぜ、その言葉が出たかというと、日頃から、親の肩もみをしていて、
「うちのは(私のこと)肩もみが上手だから揉んでもらいないさい」
と、そのおばさんに勧めていた流れがあっての一言でした。

単純というか素直というか、その後、そのおばさんからこんなことを仕事にしている知り合いがいるよ。紹介しようか?ってのも不思議な繋がりがあったのを覚えています。
少し端折っているところありますが、何気ない会話がキッカケでした。
20代も終わりかけの話しです。

意識がその方向へ向くと、アンテナに情報が入ってくる。

ちょうど、DTPの仕事も自由な時間を確保することも難しい状態のタイミングだったので転職も考えていました。マッサージの仕事ってどうやったらできるんだろう?から始まりました。
今では、インターネットググるとなんでも情報が出てきますが、その当時の情報収集は、本屋です。まず、どの棚に情報があるのかから探しはじめていました。
おばさんに紹介してもらったところは、「カイロプラクティック」をやっていました。(カイロがなんなのかもちろんわかりません)予約をとって、お客さんとして行き、このような仕事がやりたいがどうやったらなれるのかと質問をしたら、あまり相手にしてもらえず情報も得られませんでした。

見るもの聞くものがすべてつながる感覚。

「海の向こうで暮らしてみれば」という番組がありました。海外在住の女性をスポットに当て、彼女たちの生活や仕事、そして海外での暮らしについて深く掘り下げた内容でした。その中で、折りたたみ式のベットを持ち込んで出張でマッサージをやって活躍している日本人女性の活躍してる回がありました。直感的にこれだ!っと思った記憶もあります。

その後は、街なかを歩き回ると、〜マッサージや〜接骨院〜整体院〜鍼灸院いろなん看板が目に着くようになり、飛び込みで入ったところで、前に同じく、この仕事をしたいがどうやったらなれるか聞いたいら、そこでは、何十万出せ教えてやる的な言葉をいわれました。なんだか怪しいと思い帰ったのを覚えています。

運命の出会いは、通院していた整形外科。

そんな中、腰を悪くしてしまい、お世話になっていた、整形外科のリハビリの担当の方に、どうやったら、みなさんのような仕事が出来るのかと質問をすると、いろいろと教えてもらえました。その整形外科は、整体をリハビリに取り入れてて、沖縄にも整体の学校があることを知りました。
その頃になると、柔道整復師、あんま指圧マッサージ師、鍼灸師、などの資格があるという知識は入っていました。しかし、当時沖縄にはそれらの学校なく、県外の学校を出るしか方法がなかったんです。県外で生活するのと学費をみるとかなりの金額であることがネックでした。
それで、教えてもらった沖縄の整体の学校に連絡し速攻で、入学を決意している自分がいました。
勢いって怖いですね〜貯金もないのに、入学を決め、入学金は借金をして支払いました。
【ご参考までに、整体は国家資格ではございません。】

会社員からアルバイトへ、学業との両立

残業の多いDTPの仕事をしながら、夜間の整体学校に通うのは、困難だったので、退職を願いでると同時に、時間の融通がきく、アルバイトとして雇って貰えないか嘆願し、なんとか2足のわらじを履く状態が始まりました。
借金をした上、収入源がなくなるのはかなりきつい状態だったのでたすかりましたが、その状況もそう長くは続かず、アルバイトは打ち切りになりました。

整体院で働くことになる。

そのタイミングで、整体の学校は、整体院も併設されていたので、昼間そこで働かせてもらえないか、先生をお願いし、助手として一日中整体まみれの生活となったわけです。収入は雀の涙ほど・・・でも将来につながると思うと楽しく頑張れました。

最後に

長くなりましたが、大筋の流れはこんな感じでした。
「これをやるぞ!」という固い決意があったわけでもなく、
流れのかなで、小さな一歩をすこしずつ、歩んだ結果というわけです。
当時は「根拠のない自信」がありなんでもチャレンジしてました。
この仕事は、多くの人々の健康に貢献できる喜びを感じることができる、
なんて素晴らし仕事なんだと自負していまいた。それからは、人生で一番たくさん勉強したのはこの時だったと思います。私の人生、他人軸から自分軸への人生へ変わったターニングポイントでした。

最後までお読みいただきありがとうございました!






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