【イベントレポート】ふくらむフクシ研究所vol.3トークライブ〜「フクシ」にまつわるいろんな人の話を聞いてみよう〜セッション①「障がいのある人はどう社会と関わっているのだろう」
文:大谷理歩(おおたに・りほ)
2024年1月13日に草加市高砂コミュニティセンターの集会室にて「ふくフク研vol.3トークライブ」を開催しました。1日を通して3つのセッションが行われ、セッション①では障がい当事者、セッション②では草加でフクシを広げてきた人たち、セッション③ではより福祉を多様な人にひらこうと取り組む関西の実践者の方々がゲストとなりお話を伺いました。
この記事では、セッション①「障がいのある人はどう社会と関わっているのだろう」の様子について、振り返っていきたいと思います!
イベント冒頭、開始時間になってもゲストお二人の姿が見えません。そんな中、会場後方から、 電動車椅子を運転する長野さん、車椅子の後ろに乗る石井さん、さらに大人6人がステージ前に行進しながら登場しました。長野さんの電動車椅子は後ろに人が乗れるようになっており、前回のふくフク映画祭でも「車椅子タクシー」として子どもたちから人気の乗り物となっていました。会場からは、この謎の演出に笑い声とともに手拍子が起こります。「心のバリアフリー」ということで、180kgの電動車椅子を大人6人でステージに持ち上げた時には、早くも会場は活気に包まれていました。
「 障がい」とは…?
まずは石井さんの自己紹介。
2016年、36歳の時に目が覚めたら突然目が見えなくなった経験をした石井さん。見えていた時と、見えなくなってからのギャップが面白いと思い、見えなくなってからのギャップをネタにした「ブラインドジョーク」を発信しつつ、ブラインドコミュニケーターとして、見える世界と見えない世界をポップにつなぐためのワークショップや講演活動をしているそうです。
「みなさん、土曜日の朝からいい顔をされてますね。見えないですけど!」と開始早々ジョークを飛ばし会場を盛り上げます。普段、視覚的な情報を使わない状態でプレゼンを行う石井さんから、「ぜひ、ここからしばらくの間、目を休ませてあげてください」と目を瞑った状態で話を聞くよう促されます。
「見えない」「視覚障がい者」というレッテルを貼ってしまうと遠い存在に感じてしまうけれど、目を閉じるだけで、目を使わない状態が作れる。「見える世界」と「見えない世界」は、遠い世界ではなく、実は自分のすぐ隣にある世界だといいます。石井さんは、障がいを「状態」と捉えており、「今の自分は目を使わない状態で生活をしている」という捉え方をしているのだと語っていました。
続いて、長野さんの自己紹介です。
Try Chanceという障がいを忘れられる瞬間を届けることを目的に設立した団体の運営や、学校での講演活動を行う傍ら、車椅子ユーザー11人で結成されたeスポーツのサッカーチームにも所属する長野さん。 普段、なんだかんだ助けられることが多いので、できることで貢献することを大切にしているといいます。 一人でできることは限られているからこそ、「いざ!という時に思い出してもらえる存在になりたい」のだそう。今日、この場にいるのも、知り合いからの紹介でふくフクトークライブを企画運営する株式会社ここにある代表の藤本さんと出会い、草加の活動に誘われたことがきっかけ。「思い出してもらえること」で、違った景色、知らない世界に行けるからこそ、自分で何かすること以上に思い出してもらえる存在になることを大切にしていると話します。
さらに「障がいって、病名ではないんです」と続けます。障がいとは、一人ひとりが日々の生活の中で感じている困難さや悩み、不安や嫌なことだと捉えているといいます。今まで生きていて、困難さや悩みを感じずに生きてこれた人はいないはず。そう捉えると、障がいが自分事になるといいます。「障がい」が障がい者だけのものではないように、障がいを忘れられる瞬間もみんなのものだと語る長野さん。「障がいを忘れられる瞬間」をスローガンの一つに掲げて活動しているそうです。
ここからは、聞き手の大森さん、荒木さんがゲストお二人に質問をぶつけていきます。まずは大森さんからの質問。
Q:現在のお二人の活動はどういった経緯で始められたのですか?
突然見えなくなった当時は、ふざける余裕もなく、打ちひしがれ、どん底にいたと振り返る石井さん。自分の状況を嘆き切らなければ、次のステップに進めないと思い、そのプロセスをやり切ったのだそう。その過程があったからこそ、これまで何を大切に生きてきたのかという問いに向き合うことができたといいます。家族や友達が楽しくいられることを望んでいると自覚した石井さんは、自分が大切にしたいことが、見えなくても大切にし続けられることに気づき、そこから、楽しいことをやろうというマインドになったそうです。
そして、もう一つ大切にしているのが「遊びはすべての障がいを乗り越える」というネイティブアメリカンの言葉。目が見えなくなった当時、娘が3歳、息子が3ヶ月。娘とどう遊んでいいかわからなくなり、娘との距離が生まれてしまった時期があったと話します。どうすれば娘と一緒に遊べるのか、考えた中で出てきたのが、音楽。音楽をかけて、娘と一緒に踊り狂ったそう。これをきっかけに、「こどももおとなもみんなでディスコ」というイベントを企画し、子ども、大人、障がい者、高齢者、みんなが一緒に踊れるイベントを作ったといいます。仕事をどうするかではなく、家族という身近なことに向き合い、遊びの延長線から始まったことが仕事に結びつくようになったと話します。
子どもが遊びの中から大切なことを学んでいくように、大人も「遊び心」を全開にすることで、見えない世界の大変さを「勉強する」のではなく、体験し、自分事として捉えてくれるようになるのではないかと「遊び」の重要性を語っていただきました。
一方、長野さんは、活動にあたって、何をやるのかも大事だけれど、「誰とやるのか」も大事だと話します。やりたいことをいろんな人に相談することで、一緒にやる人が集まってくれるといいますが、そのために、言いたいことがあったら我慢せず言っていい、なんでも聞いていい、という関係性を作ることを意識しているのだそうです。
この点は、石井さんも共感するといいます。 「心のバリアフリー」が語られる時は、多くの場合が、健常者が障がい者に対して、もしくは、マジョリティ側からマイノリティ側に対して心のバリアをなくそうという文脈です。しかし、障がい当事者になって気づいたのは、当事者側も健常者に心のバリアを持っていたということ。マジョリティ側がせっかくバリアを外してくれていても、当事者側に壁があったら、壁が存在し続けてしまう。この点に違和感を感じたことから、自分が先に壁を取り払おうという気持ちになったと話します。
続いて、荒木さんからの質問。
Q:障がいがあってよかったと感じることはなんでしょうか?
荒木さんは、19歳の時に事故で車椅子生活となったことから、生きている世界が変わったと感じ、投げやりな気持ちになった時期があったと話します。荒木さん自身、トークライブ翌月の2024年2月で車椅子歴4年となる中で、障がいがあるからこそよかったと感じられるような経験を伺いたいとのことでした。
障がいがあるから、車椅子だから、一人ではいけない世界に連れて行ってもらえると話す長野さん。注目を浴び、テレビやメディアに出ることができたりという特別な経験ができることもいいことの一つ。ただ、それだけではなく、人と違うことが価値になっていると話します。
初めてのバイトが大学の同級生に講演をしたことだったと振り返る長野さん。身体障がい者の50%が脳性まひである中で、脳性まひの話なんてたくさんあると当初は自分が語ることの意味を見出せなかったといいます。しかし、同級生に対して自分の経験を話すことでお金がもらえた経験から、自身の体験を話すことの価値に気づいたといいます。そうしたことから、人と違うことは価値になるのではないかと話していただきました。
一方、石井さんは、「目は不自由になったけれど、心はすごく自由になった」と話します。小さい時からファッションが好きでアパレルの仕事をしていた石井さんは、隠さずに言えば、人を見た目だけで判断していたといいます。この人は、かっこいい、ダサい、美しい。見た目が最初のフィルターとなって人と出会い、そのフィルターを通して話す中でその人を知っていく。視覚優位な生活だったと振り返ります。
「そういう世界なんですよ、目があると。僕はそこから抜け出せたんですよね」
目が不自由になったことで、最初からすごくフラットな状態で人と出会えるようになった。これは、今まで自分が見える世界で生きてきた時には経験できなかったことだと話します。
さらに、白杖は人と人とのご縁を結んでくれる「魔法の杖」だという石井さん。白杖を持っていれば「何かお手伝いすることはありますか」と見知らぬ人が声を掛けてくれるため、様々な人との出会いが生まれるそうです。見えなくなったからこそ、気づくことやおもしろがることが増え、それが自分にとっては大きなギフトになったといいます。
荒木さんもお二人の話から、自分の車いすも魔法の車いすなのかもしれないと話します。 買い物に行けば、お客さんや店員さんが声を掛けてくれる。車椅子だからこそ得られた新たな気づきがあるとともに、障がい者としてではなく、人としてフラットに接してもらえることの嬉しさを語っていただきました。
グループに分かれて感想共有&質疑応答
会場からは「当事者側が持つ健常者への心のバリアはどのようにす崩すことができるのか」「トイレや施設の物理的なバリアについて感じることは?」といった質問が出てきました。
長野さんは、当事者が持つ心のバリアについて、自分のやりたいことが否定されず、どうやったらできるかを一緒に考えてもらった経験がある人ほどオープンな人が多く、小さな成功体験が大切だと話します。
また、物理的なバリアについては、当事者の意見が取り入れられていないまま作られている状況をお二人とも課題として挙げていました。車椅子にとって扉の開け閉めが不便な多目的トイレや、視覚障がい者の点字識字率が10%前後であるにもかかわらず、点字の対応しかされていない配慮など。一見配慮されているようで、当事者の声が反映されないことで見落とされてしまっているものがたくさんあるといいます。
大切なのは「目が見えないってどういうこと?」「車椅子はどれくらいのスピード出せるの?」といった「純粋な好奇心」だと話すお二人。 障がい者というわかりやすいレッテルでくくるのではなく、目の前にいる人がどんな人なのか、その人の解像度をあげていくことが、「心のバリアフリー」にもつながっていくのではないかといいます。
別の視覚障がい者、脳性麻痺の人だったら、違った「当たり前」がある。そこにも多様性があることを理解してもらった上で、自分たちのように楽しみ、面白がっている人もいるんだということを心に残してもらえれば嬉しいと語る石井さん。 長野さんも肩肘張らずみなさんが「ありのまま」の状態で話を聞く中で、「いつもと違う気づき」を得られる時間になれば嬉しいと締めくくりました。
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