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イップス

こんにちは、福岡正一です。


僕は大学野球時代「イップス」にかかっていました。

高校2年生の秋の大会2回戦でコールド負けを喫した後に監督から投手陣に毎日500球を投げ込むように言われました。今思えば練習の虫という言葉ではすまないくらいの練習量を誇っていた僕は単純ですからここぞとばかりに他の投手との競争意識が勝手に湧きサボるチームメイトをよそに全力で変化球を交えながら毎日500球をこなすわけです。

2年生の10月からシーズンオフに差し掛かる頃でしょうか、肘の痛みは疲労でいつものことと前だけをみて日々を過ごすわけですが、少しずつ肘が曲がり、自分が思わない方向にボールを投げてしまうことが増えてきました。

新チームで背番号10番だった僕は春に11、夏前のTV局主催の大会は15と数も大きくなり公式戦はおろかオープン戦でも登板することがなくなり、3年生の夏の大会直前にバッティングがいいからと外野転向を命じられ、「一晩考えさせてください。」と家に帰り、夜から明け方まで泣きじゃくり外野転向を決めました。

僕の中には高校2年生の新チームの夏休みにエースと2枚看板で県内外の強豪校と互角に渡り合い投げ抜いていたイメージが残るまま「必ずやれる」というよかった時のイメージのまま大学へ進みます。一瞬悩みましたが大学でも投手を志しました。「腕は伸びる」ことを信じ言い聞かせながらいた僕ですが自分が意図したところにボールが投げられません。1年生でベンチ外の僕はバッティングピッチャーを毎日やりますがストライクが入りません。主力選手を相手に絶好のアピールの場所ですが「お前使えん、変われ!」と。それに加えて甘やかされて育てられた僕は厳しすぎた寮生活になかなか馴染めず毎日ぶん殴られる毎日、練習中は暴投を投げるたび周囲から漏れ聞こえる罵声や呆れた声に臆病になっていたのでしょう。それは大学1年の夏場に外野手へ転向してからも続きます。壁に向かってボールを投げたり、シャドウピッチを投手同様行ったり酷使から酷使へと腕は伸びることを信じている僕は腕を振り続けました。当時、ロッテオリオンズのトレーナーだった方に見てもらい一瞬で病院に行きなさいと言われ診断で「野球ひじ」と言われその言葉を初めて知り「そうなんだ」と受け入れます。盆と正月の少ないお休みは、名前は忘れましたが愛媛の三津浜商店街にある当時有名だった治療院や別府の帯刀治療院へ泊まり込んで治療にあたったものです。

結果的には寮生活にも慣れ指導できる立場になった3年生になっても「イップス」は続き現役を終える大学4年生までアジャストすることはできませんでした。

当時置かれている環境や時代背景にもよりますが、当時の僕が上手く投げられなかったのは精神的なものが多かったと感じています。それと、肘ばかりが気になりいつしか「全国優勝」とか「レギュラーになる」とか大きなビジョンがかすれていき目の前の的だけを気にして過ごしていました。


・ 過去の良かった頃と現状のギャップを受け入れられなかった
・ 周囲が気になって仕方なかった
・ 弱い自分を受け入れられなかった
・ 下手くそな自分を受け入れられなかった
・ 思い通りに投げられないことが恥ずかしかった
・ 続けながら治すことに拘っていた
・ 練習を休むことが怖かった
・ 腕は伸びると信じ込んでいた


僕の場合はイップスと野球肘が混在した状態だったとはいえ腕が曲がっていても成功した選手も山ほどおられますのでイップスは精神的な要素が大半だと考えます。そしてイップスとは受け入れて乗り越えていくものであります。

それにはチームの中においても個別対応が重要で、選手個人が競技をやっている意味や思い込み、結果への執着心、嫉妬心、羞恥心、指導者や家族との折り合いやチームメイトとの友人関係など様々のことが要因となっていることが多く自分に立ち返って言語化することがイップスを解消する得策の一つとなります。もしかしたら周囲がイップスと決めつけているだけでイップスではない場合も多いかもしれません。

当然、競技者によって集中の仕方や精神状態は変わってきます。

一人でも多くの競技者が最高の場所で最高のパフォーマンスができるようにサポートさせていただきます。





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