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パリでもないのに~ミネルヴァの梟は黄昏に飛び立つ篇~|⑩多国籍日本料理グルメガイド

コロナ禍のパリ留学について独自の視点で綴った片岡一竹さんの好評連載。これから留学を考えている方々におすすめなのはもちろん、パンデミックが留学生にもたらした影響について記した貴重な記録です。
第10回では、留学中に必ずわいてくる「日本食が食べたい」という欲求への対処法について。コスパ抜群のパリのおすすめ日本料理レストランも紹介します!

 空腹は最上の調味料、という言葉がある。

 「それを口癖にしていた祖父が餓死した」という懐かしのコピペの方が有名だと思うが、今ネットを調べても出てこない。本当に存在したのか俄かに怪しくなってきた。私の記憶が捏造した怪物かもしれない。この箴言自体は確かに存在し、仄聞するところでは、古代ギリシアのソクラテスに遡る、大変由緒あるものらしい。ちなみにキッコーマンのサイトに書いてあった。

 いずれにせよこれが直観的に納得できるテーゼであることには疑いを容れないが、私がこの言葉の意味を実感したのはまさにパリ留学中のことであった。

 もちろんフランスも先進国なので、食料がなくなって飢えに苦しむようなことはなかったのだが、ただ、色々と面倒くさくなり食事するのを怠っているうちに体力が加速度的に消耗していき、ついに食事する気力がなくなることはあった。
 だがやがて這いつくばりながら辿り着いた学食の、食料ではなく学生の歯を破壊するための装置ではないかと見紛うほどに硬いパンも、その時ばかりは無上の滋味に富んでいた。

 しかし今回語りたいのはそうした類の空腹ではない。

 食料とは単に空かした腹に補給されるガソリンではなく、それ自体が与える固有の悦びと切り離して考えることができない。
 大量の茹でそうめんにめんつゆと卵黄をぶっかけたもので毎度毎度空腹を満たしていれば、体は太るが心はやせ細る。血糖値の急上昇によって暴力的な眠気に襲われ、気づいたときには夕食の時間になっており、またそうめんを食べて気絶するという、生きるためにそうめんを食べているのか、そうめんを食べるために死を許されていないのか、判然としない状況に陥る。
 幼少期に仏教書で読んだ説話の一つに、因果に捕らわれ輪廻転生を繰り返すが、リスポーン地点に大鎌が刺さっているのでただ死に続けることしかできない魚の挿話があった。それが思い出される。

 こうした「食事」は胃に小麦粉の塊を流し込んで空隙を塞いでいるだけで、それは心に空いた穴まで埋めてくれない。空腹や満腹は単に肉体的なものではなく精神的なものでもあり、単に量的なものではなく質的なものでもある。

 何が言いたいのかというと、フランスに限らず海外生活を送る人々、特に日本から遠い非アジア圏の国で暮らす人々が遅かれ早かれ直面しなければならないのは、日本食に対する強烈な心理的「飢え」の感情である。祖国へのホームシックは主に食料面において経験される。
 たとえ現地で現地の美味しい食事を色々と見つけることができても、げに抗しがたいのは、幼少期から自分の体に沁み込んでしまった日本食への固着的偏愛である。少なくとも私はそうだ。

 この「飢え」と向き合っていくための戦略をどう確立するかにこそ、海外生活を生き抜くための知恵が詰まっていると言っても過言ではない。

* * *

 結論から先に述べれば、海外生活での日本食への飢えを紛らわす一番のコツは、日本食を食べることである。

 これほどシンプルかつ正攻法の解決策があるだろうか。あれこれと弥縫策を考える暇があったら、日本食を食べればよい。それは何も恥ずべきことではない。
 他の国や都市はともかく、パリでも日本食を食べることは充分可能である。肉や魚はどこにでも売っているし、醤油ならキッコーマンがヨーロッパ向けに展開している商品が、大きめのスーパーには必ず見つかる。みりんや料理酒がやや貴重だが、パリ市内に少なからず存在する中華系スーパーで大抵手に入る。妙な意地を張らないに越したことはない。これは自戒だ。

 だがもっと簡単な方法がある。日本食レストランに行けばよいのだ。

 パリの中心部と言える1区には「ピラミッド」と呼ばれる地区――オペラ座やルーブル美術館の近くだ――があって、日本人街になっている。そこには日本食スーパーからジュンク堂書店パリ支店まであらゆる日本的商業施設が揃っており、なんとブックオフまである。少し足を延ばせば「とらや」が支店を構えており、急な謝罪にも対応可能だ。

 当然日本食レストランも数多く存在し、「博多ちょうてん」という、ギリギリ聞いたことがないラーメン屋が本格派博多とんこつラーメンを振舞ってくれる(日本では九州にしか展開していないようだ)。そのほかにもとんかつ屋やうどん屋がある。

 だが単に日本食を食べたいのならば、わざわざメトロを乗り継いでピラミッドまで赴かなくとも、恐らく自分のアパートのすぐそばにも「RESTAURANT JAPONAIS」の看板を掲げる店を見つけることができるだろう。日本食レストランはパリのあちこちに存在し、その数はケバブ屋に匹敵する。

 それほどパリで働く日本人は多い――というわけではない。ジャパニーズ・レストランと銘打たれていても、経営しているのは日本人ではないアジア圏の人々で、その多くは中国人である。だから大抵の場合、日本料理(寿司と焼き鳥)だけではなく、海老焼売などの中華料理も揃っている。

 このような他国人が経営の日本食レストランを示す一つの標識は、過度に「日本的」な名前が冠されているということにある。「Fuji」とか「Sakura」とか「Kanpai」とかそういうものだ。一度「Okinawa」という名前のレストランを目にしたが、提供しているのは沖縄料理でもなんでもなく普通に寿司だった。

* * *

 さて、このようなジェネリック日本食レストランは、日本フリークのパリの友人たちには決まって不評であった。あんなものは正統な日本料理ではない、衛生面もよろしくない、きっと日本人の君が食べたら失望するよ、という勧告を幾度となく受けた。

 だが私はこの「(恐らく)中国人が経営している日本食レストラン」が好きだ。オーセンティックな日本料理なら、帰国すればいくらでも食べられる。しかしこの、海外の文化と出会って独自の発展を遂げた、いわば「多国籍日本料理」と言うべきものは、海外でなければ食べることができない。その意味で「間違った」日本料理もまた立派な海外グルメなのだ。

 それは日本人が得てして正統派のパスタよりもナポリタンというケチャップ焼きうどんを好むのと同様であり、ただ私は、イタリア人なのにナポリタン好きというような倒錯者だっただけである。ちなみにナポリ出身の友人にナポリタンを振舞ったら本気で嫌な顔をされたことがある。

 それからこれは一つの逆説だが、日本人よりも日本フリークのフランス人の方が寿司の品質にうるさいのかもしれない。

 ドイツ人が毎日ジャーマン・スープレックスを決めるわけではないのと同じく、日本人もまた毎日寿司を食べているわけではない。
 特に高級な寿司など、一年にそう何度も食べられるものではない。私たちが普段食らうのはスーパーのパック寿司や一皿100円の回転寿司であり、つまり日本在住者は「品質のあまり良くない寿司」を食べ慣れている。

 私は寿司よりもはま寿司が好きというほどの回転寿司愛好家だが、それはコスパがいいからだ。それなりに高級な寿司を食べる時は味わって食べなければならないので、疲れる。反対にローコストの回転寿司は、スマホでYoutubeを見ながら食べても勿体ない気持ちが起こらないから好きだ。
 成田空港にあるような高い回転寿司は単に「回すことにしてみた寿司」であり、言葉の厳密な意味での「回転寿司」の名には値しない。

 すなわち日本に住んでいればこそ寿司なるものに対してそれほどの憧れや尊敬を抱かず、それゆえ「受け入れ可能な寿司の品質」の最低レベルが相対的に低く保たれているのではないだろうか。

 閉店間際のマルエツに駆け込んだところ寿司弁当が大量に余っており、どれも半額になっていたので勿体ないと思って沢山買ってしまい、結局その日は食べきれず冷蔵庫に保存しておいたのを翌日の昼下がりに食べるのだが、その頃にはネタの生臭さが全ての魚の風味をかき消しており、シャリに至っては食品サンプルよりガチガチになっている――あの寿司に比べれば、どんなジェネリック寿司店もすきやばし次郎である。

* * *

 そういうわけでここからはパリに住んでいた頃、私が取り憑かれたように通っていた二店の多国籍日本料理レストランについて紹介したい。

 一つは路面電車(トラム)のPorte de Vanves駅すぐ目の前にあるTOP SUSHIだ。
https://www.topsushi75014.fr/

 トップ寿司――まず名前がよいではないか。他の日本食レストランが「Yamato」や「Bureiko」などと和風の名前を付けて日本を装っているのに対し、この店の名は「トップ」、英語だ。潔い。絶対に日本人がやっていない。

 アラカルトもあるが、私がおすすめしたいのはFormule à volonté、いわゆる食べ放題である。サーモン、マグロ、タイ、サバなどの寿司および焼き鳥と各種中華料理から、デザートのアイスに至るまで食べ放題である。ちなみに多国籍日本料理レストランではなぜか寿司と焼き鳥がセットになっていることが多い。日本ではあまり一緒に食べるものではないのだが。

 そして時間は無制限だ。実際、開店と同時にトップ寿司に駆け込み、そのまま営業終了時間を過ぎて食べ続けたことがあったが、何も言われなかった(従業員は勝手に休憩に入っていた)。

 中華料理やラクレットの店を中心として、パリにはいくつか食べ放題の店があるが、時間制限が設けられているという話は聞いたことがない。
 というのも、概してフランス人は食べるのが遅いからだ。より精確に言えば、同行者と喋りながらダラダラと食べることを好む。ラーメン屋など、日本では友達同士で来ていても無言で完食することを美徳とする文化があるが、フランスの人々にはきっと理解できないだろう。連中はラーメン屋でも食事の大半の時間を会話に費やしており、完食する頃には麺がスープを吸いきって油そばと化している。

 そして何かにつけて制限をかけられることを極度に嫌うこともまたフレンチ・メンタリティーであるから、食べ放題に時間制限を付ければ暴動が生じるだろう。制限に対する抵抗を阻止する唯一の手段は既述のごとく罰金であるが、それは国家権力の強大さを以って初めて成立する。

 値段について言えば、昼と夜で(メニューは変わらないが)値段が大きく変わるので注意されたい。私がいた頃は平日昼が12.50€、夜および日曜祭日の昼夜が16.80€だったと記憶している。それで寿司と焼き鳥と中華を時間無制限で、文字通り満足ゆくまで食いまくれるのだから、充分安いではないか。
 ただ上に貼った公式サイトを改めて確認したところ、2€ずつ値上げしていやがった。世知辛い世の中である。それでもギリギリ「高くはない」部類に入ると思う。ラクレットの食べ放題など、たしか一人30€くらいしたはずだ。

 肝心の品質が気になっている向きもあろうかと思う。率直に言えば、ネタは向こう側が透けて見えるほど薄く、反対にシャリは寿司かおにぎりかで論争が生じるほど巨大である。たぶん下手なおにぎりより具が少ない。
 これはパリの寿司に共通してみられる特性で、当時はコスト削減のためのシャリ増し戦法なのかと思っていたのだが、最近「インドネシアの子供たち向けの寿司作り指南書」を目にする機会があり、そこに完成品として写真が挙げられていた寿司は概してシャリが巨大だったので、あれはそういうものなのかもしれない。

 だが、寿司と名の付く海鮮おにぎりを食べていたとしても、それでいいのだ。なぜなら寿司を食べたい欲求の半分くらいは酢飯を食べたい欲求だからだ。
 そしてそもそもパリ生活においては米が貴重なのだ。
 米が売っていないわけではないが、炊飯器はなかなか手に入りにくい(デカくて高い)うえ、一年後には帰ることが決まっているので購入意欲もそそられない。結果として鍋で米を炊くという昭和30年代のライフスタイルを余儀なくされ、要するに手軽に米を食べられないのだ。
 それゆえ慢性的な米不足に陥り、内なる米への欲求が一人米騒動を起こすのを阻止するためには、トップ寿司に行くほかない。

 とはいえ、正直言って米の塊に13€も払うのはコスパが悪い。
 そこで私がおすすめしたいネタはLas VegasとCalifornia Tempura Crevetteだ。
 カリフォルニア・ロールという海外生まれの寿司は日本に逆輸入されたのでご存じの方も多かろう。サーモンとアボカドが、海苔とシャリの向きを逆さまにした太巻きに包まれている、あれだ。そのカリフォルニア巻きの外周を構成する一辺に薄切りサーモンを戴くのがLas Vegasであり、サーモンの代わりに海老フライが入っているのがCalifornia Tempura Crevetteである(Crevette=海老)。

 これが一番うまい。というより、ネタとシャリのバランスが比較的崩壊していない。シャリの量に比してネタを沢山食べられるのでお得だ。そして海老フライはどんなものであれ美味しい。

 好きな寿司ネタを尋ねられたら、諸君は何と答えるだろうか。マグロか、ウニか、カンパチか。私はLas Vegasだ。そしてCalifornia Tempura Crevetteだ。最近、魚べいが海老天ロールと称してCalifornia Tempura Crevetteと同じような寿司を売り始めたので、本気でちょっと嬉しかった。

* * *

 そしてこのTOP SUSHIの上位互換と言える店がモンパルナスにあるCOMME CHEZ SOIである。
https://commechezsoiparis.com/

 かのサルトルとボーヴォワールも眠るモンパルナス墓地のすぐ隣、向いにはモンパルナスタワーを覗かせる繁華街の一隅にその店はある。
 (ちなみにトップ寿司があるPorte de Vanvesでは毎週末に蚤の市が開かれているので、それを回った後でトップ寿司に行くことをお勧めする)

 この店はトップ寿司で食べられるものに加えて、牡蠣、蟹、手長海老、謎の巻貝などの海鮮や生ハム類、各種スイーツが時間無制限で食べ放題であるほか、焼き物(グリル)のコーナーでは指定した肉や魚をその場で焼いてくれる(※ただしこれらは夜しか提供されない)。

 まさに食のパラダイスだ。値段も上位互換であるのでトップ寿司ほど気軽に行けないのが難点ではあるが、しかし時代が時代ならそれなりの悟りを開いて初めて足を踏み入れられるパライソに、たった27€弱で迎え入れられるのだからお得ではないか。マルセイユで有難がって食べた海鮮プレート45€也が遥か近所で遥か安価に食べられると知って驚いたものだ。

 ちなみに品質だが、肉は筋を取っていないので嚙み切りにくく、蟹はあまり中身が入っていない。そうなると一番怖いのが牡蠣だが、不思議と食べても腹は下さなかった。ただし些か生臭い。
 そういうわけで、食の大義を考えるに品質を以って是とする美味しんぼ志向の人には勧められないのが正直な処だが、反対に、思考を無化して食の快楽に溺れたい向きには圧倒的にお勧めできる。

 諸々を総合して、私はこの店を「パリのすたみな太郎」と呼んでいた。

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 パリでは不思議とあまり見かけなかったが、焼きそばのフードスタンドもヨーロッパの国々で見かけた。ソースの風味が独特で日本の焼きそばとはちょっと違う。日本より甘い気がする。

 オーストリアのウィーンへ旅行した際、色々と疲れ切ってしまい、たまたま見つけた焼きそばのスタンドでチキンカツ載せ焼きそばをテイクアウトしたのを覚えている。生意気にもシュニッツェルなどと書いてあった。

 近くのきったねえどぶ川のほとりに腰掛け、一緒に旅行をしていた日本人の友人と一緒にそれを食した。眼前の河川から放たれる悪臭は食欲を減衰させたが、疲れて空腹だったので何とか完食できた。

 その川が美しく青きドナウであると知るのは翌日のことであった。


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