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パリでもないのに~ミネルヴァの梟は黄昏に飛び立つ篇~|⑤Allumer les ongles

コロナ禍のパリ留学について独自の視点で綴った片岡一竹さんの好評連載。これから留学を考えている方々におすすめなのはもちろん、パンデミックが留学生にもたらした影響について記した貴重な記録です。
ついにパリを舞台にした話が始まります! 今回はフランスの物価についてです。金食い虫のパリ生活の中で著者が知った、意外にも安いものとは…?

 20万失った。

 20万失った。月収である。
 実は学振の特別研究員だった頃、立て替えておいた研究費が20万円ほどあったのだ。立替分を大学に申請し、検収を受けることで返金される。だから昨年末まとめて必要書類を大学に送った。しかし実は申請期限を勘違いしており、とっくに締め切られていた。20万円分の書籍代が自腹ということになった。

 大学からの報せを受け取ったのは東京滞在中であった。部屋で寝転んでいる時に通知が来た。メールを読みながら、静かに脂汗が流れ始めた。狭い部屋の中にいると気がおかしくなるようだった。
 とにかく外に出た。何か楽しいことをしなければならないと思った。池袋のジュンク堂が近くにあった。気づけばなぜか高橋源一郎の『さようなら、ギャングたち』とW・シベルブシュの『鉄道旅行の歴史』を買っていた。

 また買うのか。

 そもそも購入した本の自腹を切らされたことに動転していたところ、どう考えても自腹にしかならない本を買い足している。冷静に考えれば、自ら傷をえぐるような行為だ。何かを間違えているような気がする。

 ちなみに精確に言うと、ジュンク堂で購入したのは『さようなら、ギャングたち』だけであり、『鉄道旅行の歴史』はAmazonで買った。
 ジュンク堂には新装版しか売っていなかったが、旧装版が古本で安く手に入るのではないかと思い、ネットで探してみると、見事に見つかった。普段なら書店の儲けのために高くてもその場で買うが、ちょっと許してもらおうと思った。
 新装版3,500円に対し、同じ内容の本が約1,000円で手に入った。2,500円の儲けである。

 まあ20万円失っているのだが。

 20万円の損失に対し2,500円の儲けはあまりにも侘しすぎる。さらにこの2,500円の得に20万円の損失は関係ないのだから、実質的には19万7500円払って『鉄道旅行の歴史』を購入したこととなる。

 この奇妙な思考法について解説しておくと、例えば当連載を一回分書くと2兆円の稿料が貰えるが、2兆円が入って来ても「あそこで20万円損していなければもっと手元に金があるのに」と思ってしまうので、実感として稿料は1兆9999億9980万円に減ってしまうのである。
 実際の稿料を隠すためにありえない数字にしたので分かりにくくなった。

 もっとシンプルに言えば、たとえ今月40万の収入があったとしても気持ちの上では20万である。
 そして不思議な話、来月また40万入っても、気持ちとしては再び20万になってしまうのだ。
 論理上、20万の損失分は前月の収入から差し引くことで既にケリがついているはずだが、20万を失ったショックが消えない以上、あらゆる収入から20万が引かれ、結果として、なんらかの金が入る毎に私は20万を失う。
 例えば5万、6万、8万と立て続けに入ってくれば本来かなり嬉しい話だが、そのたびに20万が引かれれば、内面的には15万、14万、12万の損失が立て続けに生じることとなる。結果として雑収入がある度に損失は膨れ上がり、この場合は41万円の損として計上されてしまうのである。本当に何を書いているのかわからなくなってきた。

 私の現在の台所事情の厳しさは前回、前々回に亘ってくどいほど強調してきたが、今回の20万円損失劇は文字通り泣きっ面に蜂であり、交差点で立ち往生している老婆にジャーマン・スープレックスを食らわせるようなものだ。

 頭の中が金銭のことで一杯なので、今月はフランスの物価について書く。

* * *

 大正から昭和期にかけて活躍したバロン薩摩こと薩摩治郎八は、私のフランスでの住処であった国際大学都市日本館への出資者でもあるが、桁違いの富豪であり、フランス滞在中の10年間において、現在の紙幣価値で600億円を蕩尽したらしい。
 放蕩生活の果てに財産は食いつぶされたが、帰国後は「私はパリでいかに豪遊したか」を主題とする講演などを行って糊口をしのいだという。金を使うことが金を生み出すという「消費の向こう側」にまで氏は到達した。
 
 一方私はパリ滞在中、学食に行かず近くのケバブ屋で「ラムサンド・ドリンク付き」を買い食いすることを「豪遊」と呼んでいた。
 
 学食で食べれば3.2ユーロで済むが、ケバブ屋に行けば一番安いメニューでも7ユーロは下らない。さらにラムサンドは普通のケバブより高く、それに飲み物までつければ9ユーロを数える。これはそう毎日払えるものではない。

 ことほど左様にパリは物価が高い。国の補助金を受けたCrous(大学生協)の学食(くそまずい)は別だが、ケバブでも最低7ユーロであり、マクドナルドでビックマックセットを頼めば9.5ユーロ、レストランに行こうものなら、一杯ひっかけたりもするので、20ユーロでは済まない。
 実際のところパリ生活は金食い虫であり、街を歩くたびに懐から金がジャラジャラ落ちていくのだが、しかし何もかもが高価であるわけではない。場合によっては、日本よりも安いものすらある。

 栄光ある大日本国の優秀な官吏たちと一戦交え、引っ越し手続きや家財道具の処分――安い家具を揃えていると、捨てる時に買ったときと同じくらいの費用が掛かると知った――さらに航空券の手配やロストバゲージの恐怖との対決を経て、半ば満身創痍の状態でパリに到着した私がまず学ばなければならなかったのは、花の都パリで可能なかぎり爪に火を点すためのノウハウであった。

 なお出国直前の時期にもいろいろと特記すべき出来事はあったが、煩雑になるため省略し、いい加減今月からパリに行く。
 ただし、フライト当日の昼まで引っ越し作業を行っていた、ということだけは記しておこう。

* * *

 フランスの国土面積は日本の1.5倍であり、他方で人口は約半分である。さらにその多くがパリなど都市部に集結している。
 グルーポンのおせちのごとくスカスカだ。ではその国土の大半が何に占められているかというと、主に農地である。フランスに対して農業というイメージを持つ人は存外に少ないかもしれない。だが実際は驚異の食料自給率90%を誇る農業大国なのだ。

 したがって野菜は安い。野菜だけでなく、材料は基本的に安価だと言えよう。だからスーパーで買い物をすれば、かなりお得に済ませることができる。

 日本の貧乏大学生がイタリア人でもないのに毎日啜っていることでお馴染みのパスタ・スパゲッティであるが、ヨーロッパと言えばパスタというイメージに違わず、実際に安くて種類が豊富だ。安いものだと、1kgくらい入ったパックを買って3ユーロもしない。

 ただし日本の場合、大抵のスパゲッティは100g単位で結束されており、「おおむね一束半」というように、調理時に食べる量を決めやすい。それに対し、かくのごとき「便利な一工夫」といった発想とは無縁のフランスにおいては、スーパーにおいてついぞ結束されたパスタにお目にかかることはなかった。

 そのため沸かした湯に突っ込む乾燥パスタの量はなんとなくつかみ取った目分量に頼るほかなく、空腹のため往々にして不意に大量の乾麺を手に取っているため、茹で上がって皿に盛ると、あらかじめ調理したソースとの比が完全に狂っており、部分によっては完全に味のしない小麦粉の塊を咀嚼せざるを得ないことも、日常茶飯事である。 

* * *

 ただし当然だがフランス、もしくはヨーロッパ近郊で生産していないものは高い。
 特に困ったのが調味料問題であった。醤油はいちおうキッコーマンがヨーロッパに進出しているので大きなスーパーなどでは手に入るが、日本と比べれば決して安くはない。
 みりんや料理酒はついに買わないまま済ませたので値段がわからないが、醬油の比ではないだろう。なぜならヨーロッパ市場用に生産されたものではないからだ。
 つまり海外市場用に生産されたものではなく、日本市場向けに売られているものの輸入品(KiokoやK-Martなどの日本・中華スーパー等で手に入る)は、本当に目玉が飛び出るほど高いのだ。醤油の小瓶が10ユーロもするのである。
 
 私は妙な意地を張っており、フランスにいるのに日本食を作って食べることに抵抗があったので、醤油など日本の調味料は買わなかった。
 それでも、パリ生活が半ばを過ぎたころ、先に帰国する先輩に余った賞味期限切れの醤油をいただく機会があった。その時の歓喜には甚大なものがあった。ベーコンといんげんの醤油パスタを作って、旨さに悶えた。
 
 異国の地で久々に日本料理的なエッセンスを味わったから美味しかったということも作用しているが、もう一つ欠かせない要因として、フランス産の美味しいバターをたっぷり入れたのだ。
 正直に言えば、貰った時点ですでに期限切れだった醤油は大してうまいわけでもなかった。しかし醤油とバターを組み合わせることで醸し出される旨さは、想像をはるかに凌駕していたのだ。
 醤油とバター、これさえあればいい。醬油とバターがあれば阿寒湖のまりもでも美味しく頂けるだろう。
 
 フランスでは酪農も盛んだ。だから牛乳・バター・卵が安いのである。
 特にバターに関して言えば、日本では冗談でなく100gで1,436円(送料別)するバターが250gあたり4.69ユーロで手に入る。エシレのことだ。今調べたばかりの値段なので精確である。
 日本に住んでいれば清水の舞台から飛び降りるような気持ちでしか買えない代物が、フランスで暮らしていると、朝礼台からジャンプする元気な小学2年生くらいの勇気で手に入る。
 
 破格とはこのことだ。私は日本で長らくマーガリン派であったが、フランスで安くて良いバターをたんまり摂取したので、日本に帰って来た後はもうマーガリンに戻れなくなった。結果的に、帰国後のことまで勘定に入れると総体的に損をしているような気もする。

 * * *

 意外に思われるかもしれないが、その他に安かったのが携帯代金だ。
 
 学生への愛と庇護欲に溢れた偉大なる早稲田大学は、私のような交換留学生に対し、月39ポンドで3GBのモバイルデータ通信が可能な海外用Simカードのレンタルを推奨、というか強制してくださるが、罠である。
 往時の私のごとく日本で大手キャリアに毎月5,000円以上の金額を払っていると、上のプランもまあ悪くないじゃんと思えてしまうが、とんでもない。

 フランスの携帯キャリアには、日本で言うとドコモに相当しそうなOrangeを始めとしてSFR、Bouygues Telecomなどがあるが、第四の勢力として近年耳目を集めているのがFree Mobileである。
 
 https://mobile.free.fr/

 上にリンクを貼ったので暇な方は閲覧していただきたいが、中間的な月額14.99ユーロのコースで使えるギガ数は、驚異の110GBである(2023年1月23日現在)。というか、私が加入していた頃はもっと安くて、9ユーロ程度だった記憶がある。値上げだろうか。それにしても安い。
 
 片や日本の某キャリア、差し支えないように伏せ字で記すとNTTのD〇C〇M〇は、毎月の上限が60GBのプランを「ギガホプレミア」などと銘打ち、それに税込み7,205円を課して家計の味方を標榜する体たらくである。米倉涼子でなくとも「日本のスマホ代は高すぎる」と声を張り上げたくなるだろう。

 こうも安いと、「解約可能なタイミングは皆既月食中に惑星食が生じている間[1] のみであり、それ以外の時に解約すると違約金500兆円」というような契約の罠を疑ってしまうだろう。実際、私がD〇C〇M〇を解約して米倉涼子の軍門に下った際には10,450円の解約金を払わされ、苦い思いをした経験がある。
 しかし、Free Mobileはなんとまったくの契約縛りなし(sans engagement)なので心配は無用だ。全く恐れ入る。

[1]次回:2344年7月26日。

 * * *

 とはいえ、慣れない異国の地で携帯キャリアを契約するのは勇気がいる。現代の生活においてスマホはもはや水道やガスと並ぶインフラのようなものであり、到着後スマホを使えない期間が長く続けば生活がままならない。
 
 特に海外で暮らしていると日本以上にスマホに頼る機会が多いのだ。
 例えば土地勘のない場所で目的地に着こうとすればGoogle Mapsと睨めっこになる。またこちらのフランス語能力も完璧ではないから、誰かと話している時にも「ええと、「俺の尻をなめろ」ってフランス語でなんて言えばいいのかな」などと検索に頼る場面も出てくるだろう。
 
 ことほど左様に、海外でスマホは命綱なのである。だから到着後なるべく早く携帯の契約を済ませる必要がある。
 しかし言語も覚束ない状態で複雑な契約を交わせば、あれよあれよという間にぼったくられ、「月額300ユーロ+社長の犬の散歩週16時間」というようなとんでもなく不利な契約を結んでしまうのではないか、と不安がるのも無理はない。
 
 しかし実は、Freeの契約は恐ろしく簡単なのである。
 自販機でSimカードを買えばよい。
 
 冗談ではなく、街中のショップに行くとSimカードの自動販売機が2~3台並んでおり、店員のガイドの下、その機械でSimカードを買うのである。最初にプランを選択し、自動的に表示される番号一覧の中から自分の好きなものを選んで、名前と住所を入力し、クレジットカードを読み込ませれば、ガタンとSimカードが落ちてくる。
 後は店員からピンを借りてSimカードスロットを開け、Freeのカードに交換すればそれで終わりだ。ものの10分も要さない。
 
 なおこの自動販売機自体はFreeのショップのみならず、空港の中など各所に設置されている。操作方法も単純なので、店員の助けを借りずともできる。
 
 私がフランスへ到着して最初に味わったカルチャーショックが、実を言うとこれであった。
 
 昔からインターネット業者や携帯キャリアには煮え湯を飲まされてきた。こちらを煙に巻くようなトークと複雑怪奇な契約条項によって幻惑され、「お得になりますよ」という販売員の甘言を信じて契約書に判を押したものの、前の業者の解約金なども含めると果たして黒字になっているのだろうか、と訝りながら社長の犬を散歩させたものだった。
 
 高すぎるプランを変更しようと思ってショップを訪れても、長々と待たされた挙句、『精神現象学』より難しい説明を受けながら休日の貴重な一時を数時間空費し、結果的にさっぱり意味の分からない契約書の束でパンパンになった封筒を手に帰宅して、月額35円のアドバンテージを勝ち取るという始末だ。
 
 それがここ、フランスではものの10分で契約が済み、契約内容も明朗会計で、騙されているという感覚がほとんどない。そして料金は格安そのものである。これは素晴らしい国だなあと感心したものだ。
 
 ただ、このFree Mobileは電波があまり入らない。パリの街中ならまだしも、地下に潜ったり郊外に出たりすると、途端にアンテナが2本くらいになる。特に私の住居があったパリ国際大学都市は、郊外ではないもののパリの外れにあるため回線が非常に遅く、Wi-Fiに繋げなければ使えたものではなかった。
 
 安いだけはありますなあ。

 * * * 

 最後になったが、謹んで新年のお慶びを申し上げる。月末更新という事情ゆえ仕方ないが、1月も末になって年賀の挨拶をするというアナクロニズムをどうかご寛恕願いたい。
 当連載の寿命がいつまで持つかは杳として知れないが、本年もどうぞよろしくお願いします。

 次回は2月にお目にかかろう。何を書くかは現在未定だが、おそらく府中競馬場で20万取り返す、というような内容になると思う。

片岡一竹
早稲田大学文学研究科表象・メディア論コース後期博士課程。著書に『疾風怒濤精神分析入門:ジャック・ラカン的生き方のススメ』(誠信書房、2017)など。


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