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パリでもないのに~ミネルヴァの梟は黄昏に飛び立つ篇~|③ロード・事務

コロナ禍のパリ留学について独自の視点で綴った片岡一竹さんの好評連載。これから留学を考えている方々におすすめなのはもちろん、パンデミックが留学生にもたらした影響について記した貴重な記録です。
前回に引き続き、渡航までにこなさなければならない膨大な事務手続きを振り返ります。

 おれはとうとう無職になってしまった。
 
 つげ義春の名作『無能の人』は「おれはとうとう石屋になってしまった」という一文から始まるが、石屋も石屋で立派な職業である。作中でそういう描写はないが、おそらく多少は売れもしたのだろう。
それに比べると無職は文字通り働いていないのだからもっと悪い。それがおれである。
 
 無職と自嘲しているが実際は大学院生ではないか、と思われるかもしれない。しかし実は大学も学費が払えず休学中なのである。よって私は休学中の大学院博士課程でバイトなしという、限りなく無職透明に近いブルーの状態である。
 
 こういった状況だから現在唯一の収入源である当連載にも一層力を注いでしかるべきなのであるが、先月の連載をなし崩し的に休んでしまったことをお詫びしたい。
 
 決して無為徒食の日々を送っていたわけではない。私は無職である一方、研究者でもある。実際この間は忙しかった。論文一つを完成させ、発表を一つ行った。論文では新境地を拓くために新しい挑戦を行ったので大変だった。
だが大事な仕事の一つである当連載に穴をあけたことは反省せねばならぬ。遊ぶ暇もなく研究に邁進していたのでどうか大目に見てほしい。
 
 ところで先日、山下達郎のコンサートに行った。山形への遠征である。
 すばらしいコンサートだった。CDと遜色ないそのボーカル、それを最大限に響かせるための、ライブとは思えないほど質の高い音響、万人を納得させるであろうセットリスト、サービス精神にあふれたパフォーマンス、そして歌からは想像がつかない、江戸っ子魂をのぞかせる軽妙で饒舌なMC(私はラジオを聞いてなかったので山下達郎のトークがどんな具合か初めて知った。もっと淡々と「行」のごとく進むコンサートだと思っていた)……どこをとっても贅沢な体験であった。
 初めて訪れた山形の街も失礼ながら想像以上に洒脱であり、少なくともおらが宇都宮の倍以上は洗練されていた。和栗のパフェに始まって肉そばや玉こんにゃく、山形牛といったグルメを堪能し、資料館で歴史に触れ、蔵王温泉の露天風呂にまで浸かった。大満足の旅行になった。
 
 夢のような時間には、通帳に記された預金残高が終止符を打った。
 
 遊びすぎた――生活の宛てがなくなったにもかかわらず、かつて学振研究員として毎月定期収入があった頃に築き上げた生活水準は、なかなか下げられるものではない。しかもパリという物価の高い街に行っていた。金銭感覚はさらに狂う。
 
 毎月ちょっと減る預金残高が月末の給与支給によって元の嵩に戻される、というバイオリズムが崩れた後に残るのは、増えることなくただただ減少を続ける数字のリアリティである。月末の金欠状態は、収入がなくなれば常態と化す。
 そして事実を受け入れることを拒むがゆえにいたずらに気が大きくなり、さらなる浪費へと向かうのである。
 
 これからどうして口に糊していくか。未だ目途は立っていない。
 だが金銭のことばかり考えていると気が滅入るので、一旦すべてを忘れて目の前の原稿に集中していこう。考えてみれば、別に金儲けのためではないのだ。自分の文章を世に送り出すのがただ楽しい。そんな初心を思い出し、真心を込めて表現活動を続けていきたい。
 
 ちなみに計算したところ、今回の連載を6000字書けば原稿料でもろもろペイできることが分かった。だから今月は6000字書く。

* * *

 さてさっそく花の都パリの優雅な暮らし(まずい学食をかっくらう日々)をしたためていきたいのだが、生憎まだ国内で済ませるべき事務作業が終わっていない。前回から間が空いたので軽く振り返っておくと、

1. 交換留学の出願(あわや書類が間に合わず栃木と東京を弾丸往復)

2. 校内推薦のための面接(フランス人から流暢な日本語でつっこまれる)

3. 現地大学への出願(この時点で提出すべき語学能力証明書を1の段階で大学に渡しているという罠)

※ 新型コロナウイルスのための留学中止。翌年1~3を繰り返す賽の河原 ↓
4. 指導教官への受け入れ交渉(時差のため深夜の対応を迫られる)

……までが前回の内容であった。パリ留学の華やかさとは無縁の無味乾燥とした事務手続きの数々を記して需要があるのかと思ったが、意外にも好評で嬉しい。私がパリ生活そのものを語ることは期待されていないとも言える。
これから留学に行かれる方向けのガイドという意味も込めて、もう少しこのこすっからい日々に付き合っていただきたい。

* * *

 ここまで来たらもう先方の大学から受け入れ許可証(lettre d’acceptation)も届いているだろう。それさえあればいつでもビザを申請してフランスに飛べる。
 反対に言えばこの受け入れ許可証がなければビザは下りないから、この時点での最重要書類であると言って過言ではない。実際に受け入れ許可証がなかなか届かずに留学時期が遅れた人の話も聞いたことがある。それも何人かだ。それくらい不可欠な書類なのだ。
 
 そしてビザ申請なのであるが、これがまた複雑怪奇で参ってしまう。
 フランスは日本と比べていい加減な国だとはよく聞くし、私も方々でそう言っているのであるが、一方でこうしたアドミニストレーション関連の手続きには厳格なシステムが構築されており、下手をすれば日本以上に精確性を要求される。
 だがそれを実際に運用している人間の方はいい加減なので、もうほんとうに嫌なのだが。
 
 フランスへの学生ビザ申請のやり方は多くのサイト等で解説されているが、そのどれも、まず「Campus France」に登録して手続きを済ませ、しかる後に大使館に予約を取ってビザを申請しに行けと言っているだろう。実際にそれを知らずにいきなり大使館のビザ申請の長い列に並び、一時間近く待たされた後に
 
「Campus Franceへのご登録は」
「していません」
「お引き取りください」
 
 という数秒の会話を残して涙目のまま退出を求められるというのは、いわば在日フランス大使館における夏の風物詩である。だからCampus Franceへの登録は確実に行わねばならぬ。
 
 とはいえCampus Franceという組織(?)がいかなるものなのか、なぜこんなものへ登録しなければならないのか、私も含めて交換留学生や仏政府給費留学生のほとんどがよくわからないままフォームを埋めて登録フィー(二万円もしやがる)を支払わされているだろうが、実はワーキングホリデーとか語学留学の人は、このCampus Franceを通じて初めて現地の学校を見つけたり、受け入れ許可がもらえたりするのだという。
 そういう人はそれ用の面接試験などをこの段階で受ける必要があるのだが、交換留学や給費留学の場合はすでに受け入れ許可が出ているのでその必要はない。
 そのあたりが区別されずに記されているサイトが多いので混乱するが、繰り返すように交換留学生等にとってCampus Franceは登録だけすればそれでオーケーの代物だ。実際にこの登録が済んだ後で別にその組織(?)利用したりすることは一切なかった。
 そうであればより一層、なぜこんなものへ登録しなければならないのかが分からない。登録フィー(二万円もしやがる)をただ集めたいだけなのではないかという気がしてくる。

* * *

 Campus Franceへの登録にあたって求められるのは必要事項を記入し、必要書類をスキャンして送ることだけである。その他に志望動機文を送る必要もあるがそれは現地大学への出願の際に書いたlettre de motivationを流用すればよいだけなので問題はない……はずだった。
 実はこの必要書類をスキャンして送るという、その程度のことが思わぬ刺客となって襲い掛かるのだ。
 
 公式サイトの提出フォームが受け付けてくれるPDFファイル容量が悲しいほど少ないのである。お前らは未だにWindows 98とかそういうパソコンを使っているのか。
 したがって単にスキャンしただけのファイルでは容量オーバーで送信エラーとなる。ならばPDFを圧縮すればよいと思いきや、ネットの無料サービスを利用してブラウザ上で圧縮を試みても、「高画質」「中画質」「低画質」の三段階しか選べないようなものだと、「中」では大きすぎ「小」を選ぶしかないのだが、それだとPDFの画質がガビガビになって文字が読み取れなくなる。その状態で提出しても、システム上エラーにはならないが、後日チェックした人間に突き返される。どないせえっちゅうねん。
 
 結局ネットの海を彷徨してピクセル単位で圧縮度合いを調整できるサイトを見つけ、何とか読み取れる&提出可能のぎりぎりのレベルまでの圧縮に成功した。二時間近くの時間を要したと思う。その時見つけたサイトを共有しておきますね。
 

* * *

 めでたくCampus Franceへの登録証をもらえば、次に行うべきは大使館へビザ申請のアポイントメント取得であるが、またしてもここで罠が立ちはだかる。
 
 大使館公式サイトも含めた各種解説を読めば、Campus Franceへの登録が済んでから大使館への予約をとれと書いてあるのだが、実は登録していなくてもとれる。
 実際、先述のごとく登録が済まないまま大使館に来ちゃった人がいるという時点でそれが可能なのはわかりそうなものであるが、従順な(考えなしとも言える)私は、きっと登録証がなければ予約も取れないのだろうと思い込んでいた。
 
 これがなぜ罠なのかというと、まず私は9月1日に出発する予定で、すでに東京のアパートの解約申請までしてしまっていた。しかるにビザ申請には1か月かかると公式サイトにはあるので、8月1日までには申請しなくてはならぬ。そしてCampus Franceから登録証が届いたのが7月14日である。その時点で予約をとろうと思ったら、7月中の空きがすべて埋まってしまっており、最短で取れたのが8月13日であった。
 そうなると公式の説明を信じる限りビザが下りるのは9月13日ということになる。詰んだ。
 
 毎年7月から8月は留学希望者が殺到するので大使館の予約取得は困難になる。それは知っていたものの、まあコロナもあるからそう埋まりはしないだろうと思っていたが甘かった。
 こうならないためにはCampus Franceへの登録前に、すべてを優先して大使館のアポを取り、それに間に合うようにCampus Franceへの登録を済ませるという戦法を取る必要がある。しかしそこまで考えが及ばなかった。
 
 なおCampus Franceであるが、公式サイトを通じて必要事項を記入し、必要書類を送って登録フィー(二万円もしやがる)を払うだけであるものの、どの程度の期間で振り込みが確認されるかは担当者の都合、おそらくはやる気に依存しており、翌日確認通知と登録証が送られてくる場合もあれば一週間以上かかる場合もある。
 すなわちCampus Franceへの登録を決め打ちして大使館の予約を取ることには幾分か「賭け」の要素が含まれる。留学には運が必要なのだ。

* * *

 幾多の困難を乗り越えて予約が取れれば大使館へ向かえるが、もちろん手ぶらで行ってはならない。ビザ申請に何より必要なのは申請書(demande de visa pour un long séjour)であるが、これはFrance-Visasの公式サイトから作成するのだ。他の必要書類もそこで教えてもらえる。一方申請の予約は在日フランス大使館のサイトから行う。そして大使館のページ内にFrance-Visasへ誘導するリンクはない。わかりやすいねえ。

 ビザ申請書はWeb上でほぼすべて作成できるが、一箇所だけ、日付と署名は直筆で書かなければならぬ。だからいったんプリントして署名を行い、行ったものを再度コピーしなければならない。ビザ申請書は原本に加えてコピーをも提出する必要があるからだ(それくらい自分でできないのか)。

 そしてここにまたおなじみの罠が潜んでいる。
 日本では署名の代わりに捺印の文化が発展しているから、署名というものがどういう効力を持ち、何を証明しているのか、私のようにわからない向きも多いのではなかろうか。
 海外の人も読むだろうからと余計な気を利かせて、自分の名前をアルファベットで書いてはならぬ。署名は必ずパスポートに書いたものと同じにせねばならぬ。
 ビザ申請の際にはパスポートも提出することになっているので、担当者は署名欄に書かれた「線」がパスポートに書かれたそれと同形であるか否かを判別するのだ。
 反対にパスポートにアルファベットで署名したのならばビザ申請書にもアルファベットで署名せねばならぬ。

 私はこれに気づかず書類を書き直す羽目に陥った(といっても署名欄だけだが)。
 
 つまり署名欄に記すものは、こう言ってよければ自分の名前を表す「文字」ではないのだ。私の名前をここに書こうとすると、「片岡一竹」という文字列を通常は用いなければならない。代わりに「森繫久彌」と書いたらそれは私ではなく森繁のこととなってしまう。
 だがこの規則は署名には当てはまらない(だからと言って森繫久彌と書いてよいわけではないが)。
 署名とは名前を読ませるための文字列ではなく、他でもなくその人がそれを書いたことを証明するためのマークに過ぎないのである。

 実際に文字が書けない人は日本以上にヨーロッパには多く、そういう人はマル書いてチョンというような文字通りのマークで済ませる。
 そしてフランスで暮らしていると、指導教員に依頼する行政書類から薬局の領収書に至るまで、何かにつけて他人の署名を頂戴する機会が多いが、その際に相手が目の前で署名しているのを見ていると、とてもじゃないが文字として判別可能な「名前」を書いているようには見えないだろう。だがそれでいいのだ。

 ではどうやってある「書かれた署名」と「それをその人が書いたという行為」を結びつけるのかというと、それはある人が常に同じマークを書いているという同一性に依拠している。過去の署名が参照項となり、それに合致しているか否かでその署名が正しいかどうかが判定されるのである。だからビザ申請書に記する「今の」署名は、パスポートに記した「過去の」署名と同じでなければならない。

 このように署名はその同一性が「反復」されることによって初めて機能する。一番最初の署名というものを想定するとして、それが正しい署名であることが証明されるためには、その後に同一の署名が反復され、それが最初の署名と合致した正しいものであると確かめられることを要求する。第二のものが存在して初めて第一のものが始原として措定される、という反復と事後性のロジックが署名を成り立たせているのだ。

 この話は現代のどの哲学者も似たようなことを言っていない、一から十まで私が考え出したオリジナルの話なので称賛するように。

* * *

 署名の罠も乗り越えて申請書を完成させたら、もう大使館に赴いてビザ申請するだけである。だがそこで最後にして最大の敵が待ちかまえている……待たれよ次回!

 

 なお6000字程度の原稿料ではまったくペイできていないという事実を最後に訂正しておく。

片岡一竹
早稲田大学文学研究科表象・メディア論コース後期博士課程。著書に『疾風怒濤精神分析入門:ジャック・ラカン的生き方のススメ』(誠信書房、2017)など。


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