『さまざまな集団での経験』EIG:構成と変遷1

『さまざまな集団での経験』は1961年の出版ながら、その年に書かれたのはおそらく「謝辞」と「序文」だけである。ビオンはそこで、1943年のLancet掲載論文から1952年のInternational Journal of Psychoanalysis(IJP)のクライン生誕70周年記念号に掲載された総説まで、彼の集団療法に関する約10年間の論考を収録した――と書いているのだが、それには注釈を要する。
比較的よく知られているのは、第3部 再検討 が、題名は①IJP1952版と同じであっても、1955年刊行のNew Directions in Psycho-Analysisでは、それに大幅な加筆修正がなされたことである。仮にそれを②ND1955としておくと、(アルファベットばかりになるが)③単行本EIGの第3部には異同が認められないので、比較検証をするならば、①(IJP1952)と②(ND1955)の間で行なえばよいように見える。それはMatias Sanfuentes(2003)が採用した方針で、見てすぐ分かることなので自明のようだが、それまでの先立つ討論としては、Scheidlinger(1960)しか挙げられていない。そこに更に、その後の批判としてSchermer(1985)やMiller(1988)を付け加えれば、この点についての一通りの議論を見ることができる。

Sanfuentesは、①IJP1952 と②ND1955を、次の五つの観点から対比している。先取りして言うと、両者の違いあるいは3年間の発展は、精神病患者の精神分析を通じて得た、クライン理論の理解の進展の結果である。これも、ビオンが同時期に発表した論文を参照すればおのずと導かれることなので、興味深いのはそれ以外の、幾つかの指摘である。彼の基本的な主張を確認しつつ、テクスト外の文脈へと広げてみよう。

(1)フロイトの「集団」概念との関係:これは、ビオンが①ではフロイトに対して批判的で修正するという姿勢だったのが、②ではその補足をするという関わり方になっており、その分、自分の立ち位置を明確に把握するようになった、とするものである。
フロイトが集団は神経症的機制に従っていると見做したのに対し、ビオンはそこに精神病的機制を認めた。「精神病的」と言っても、支離滅裂ということではないし、あからさまな幻覚妄想のことでもなく、「現実の否認」を指している。この現象にもまた、精神病的と限らずに神経症的・倒錯的な方法があり、既にフロイトが論じているとおり、種々の防衛機制に対応する。基準となる“客観性”に対して、歪曲が圧縮と移動を超えて、部分的な特徴の極端な誇張となったものが「精神病的」であり、理想化・迫害・価値下げなど、クラインの妄想分裂ポジションに地続きである。
指導者リーダーとメンバーの関係では、フロイトが両者を催眠術師と被検者になぞらえて、暗示を通じた規範の「取り入れ」を見たのに対して、ビオンはむしろメンバーの中の力動がリーダーに投影され、その振る舞いを決定すると論じ、それをクラインの「投影同一化」概念に関連づけた。リーダーなのにメンバーの意向に従って動かされるとは、意識水準の関係ならばおかしなことだが、これは無意識の力動である。②に至ってこれらが明記されるようになったのは確かである。

(2)退行について:①でビオンは、depersonalisation(非人格化/没個性化;精神医学で言う「離人症」とすると変だが)の過程を更に研究するべき課題として掲げ、集団の中の個人が「depersonalizationと区別し難い」過程において「個人の独自性」を失っていると述べた(なので、後者で「没個性化」と訳すとAはAと区別し難い、ということになってしまうので、別の領域での現象として命名する必要が・・)。Long Week-Endの戦争篇のように、de-personalizationと書けば、意味ははっきりする。(彼がdepersonalizationについて論じた他の箇所は、Transformations, Second Thoughts中の論文、Italian Seminarsにある。)
一方、「退行」は、と言うと、クラインにとっては好ましくないことだが、ビオンにとっては、必要なことでもーーウィニコットが言うようにーー特別なことでもなく、起こることである。Cogitations中の1960年のメモ「分析技法」で:Winnicott says patients need to regress: Melanie Klein says they
must not: I say they are regressed, and the regression should be
observed and interpreted by the analyst without any need to compel
the patient to become totally regressed before he can make the analyst
observe and interpret the regression.有名でよく引用されるのは前半だが、後半があって、彼はやはりクライン派である。
「退行」に関するSanfuentesの指摘で興味深いのは、ハイマンとアイザックスの共著を文献として挙げていることである。これは少し面白くも思われるが、ビオン自身はハイマンについては別の文献しか挙げていない。そして1952年論文は読んでそれほど面白くない・・だから、彼の指摘はもっと拡張して、《ハイマンによるスーパーヴィジョンはビオンにどのように影響したか》という問いとして考えるところだろう(これは、独立学派がビオンの取り合いをする時に持ち出す論点である)。
ハイマンがクライン派を離れたのは、1955年だった。どのような流れだったのか、時系列を示すべきだろう。

文献
Heimann, P. and Isaacs, S. (1952) ‘Regression.’ In M. Klein et al. Developments in Psychoanalysis (1989). London: Karnac Books.

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