ある日の日記より。ひいおじいちゃんと鼻緒とやいと。
8月某日。晴れ時々曇り。
ただ寝転がるばかりで何もなかった日。
そんな日は何か懐かしい思い出のひとつでも書いておこうかと思う。
曽祖父のことがふと心に浮かんだ。
曽祖父が亡くなって40年近く経ち、記憶も薄れつつあるが覚えていることだけでも。
曽祖父は神戸に住んでいたが空襲によって全てを失い、曽祖母と祖父と祖母と生まれて間もない母を連れてこの町へと逃げて来た(親戚を頼ってということだった)。
曽祖父は祖父と祖母と血が繋がっていなかったと聞いた。
だからわたしも曽祖父(曽祖母も)とは血が繋がっていない。
これはずっと後になって知ったことだった。
わたしが子どもの頃、曽祖父が家で下駄や草履を作る内職のようなことをしていたのを覚えている。大小色様々な鼻緒が家にたくさんあった。
近所の料理屋の板さんが下駄を直してくれと持ってくることもあった。
それは随分と大きな背の高い下駄だった。
そして板さんは決まって頭に白いねじり鉢巻していた。
背中にお灸をしていた曽祖父の姿も記憶に残っている。
お灸というよりやいとと言ったほうが馴染みがある。
やいとすえるで〜とよく曽祖父に叱られたものだ。
今じゃあそんなこと言う人もいないだろうし、祖父母が孫を叱るということもあまりないのかもしれない。子どもがいないのでわからないがどうなんだろう。
父や母が姪や甥を叱っているところなど見たことがない。
離れて暮らし、たまにしか会わないというのもあるだろう。
わたしは生まれた時から曽祖父母、祖父母と共に暮らした。
良いこともあったがキツイことも多々あった。
離れて暮らしていたら、もっとお互いを労り大事にしたのではないかという気がする。
今になって何を思い気づき感じようとどうすることも出来ないのだが。
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