ポーランド🇵🇱とチェコ🇨🇿視察の旅✈️
昨年のこの時期には、デンマークとスイスへ行き、今年は共にEU加盟国であるポーランドとチェコへ行ってきた。
冒頭の画像は行きの航路。経由地のフランクフルトまで2時間程度遅れ、ロシア上空を避けた南回りでトホホの16,7時間。さらにワルシャワまで2時間かかった。ちなみに帰りは、中央アジア上空を通るルートで行きより2時間程度早かった。機上から見えたゴビ砂漠が印象的だった。
ポーランドはヨーロッパの中央に位置し、北方はバルト海に面しているが、南、東、西の三方向は開かれ、自然の障壁が少ないため、歴史的に外敵が侵入しやすい地形となっている。
この視点においては、わが国は島国で良かったと思う。
現地でワルシャワを説明して頂く中で、何度も「ワルシャワ蜂起」という言葉を耳にした。「ワルシャワ蜂起」なくしては語れないのだ。
第二次世界大戦中の1944年「ワルシャワ蜂起」は起きた。
この蜂起は、ナチス・ドイツに対するポーランド国内軍による武装抵抗で、目的は、ポーランドの主権をポーランド人の手に取り戻すことだった。
しかし、その結果、ナチス軍により市の85%以上が破壊され、約15,000~20,000人のポーランド国内軍兵士が戦死、民間人も約200,000人が命を失い、生き残った市民と抵抗戦士たちは強制収容所や他の地域へと追放されてしまった。そして、多くの歴史的建造物、住宅、インフラが廃墟と化した。
しかし、政府はその直後から復興を決め、多くの重要な建築物を戦前の外観に基づいて復元、この人々の努力により、ワルシャワの旧市街は「戦後の復興の傑作」と称され、1980年にはユネスコの世界遺産リストに登録されている。
復興とは、多くの震災等を経験しているわが国においても同様に、単に建物を再建することだけでなく、その地の、その国の文化的アイデンティティと歴史的記憶を保持しようという、その想いなのである。
今日のワルシャワは、この復興努力によって古い歴史と現代の活気を兼ね備えた都市として知られている。
つづく
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