母の日に初めてプレゼントした心境の変化
こんにちは、フクコトバのRYOです!
今日は少し恥ずかしい話をしたいと思います。
あんまり、普段は人に話そうとは思わない話題なのですが、このフクコトバの記事を書くときに自分をしっかりとさらけ出そうと決めていたので、たまにはこういう記事も良いかなと思い、お話したいと思います。
〜我が家のプレゼント文化〜
昨日は、「母の日」でしたね。
私は、アラサーにして初めて母の日にプレゼントしました。
元々、我が家では誕生日もこういった記念日にも、家族間でプレゼントをし合う文化はありませんでした。
私の誕生日プレゼントもいつからか「現金」でしたし、
我が家にサンタクロースが来たことはありませんでした。
友人の元に来るサンタクロースの正体を私は幼稚園の時から知っていました。(笑)
なので、何かの記念日だからといってモノをプレゼントするということが我が家ではなかったのですが、私自身の心境に変化があり、昨日初めてプレゼントをしました。
2つほど、心境が変化したことがあります。
〜誕生日はお母さんが頑張ってくれた日〜
1つ目は、「誕生日はお母さんが頑張ってくれた日」という言葉を聞いたことが理由です。
今まで誕生日というと、自分が生まれたことをみんなが祝ってくれるので、自分が主役だと思っていました。
それはもちろん間違っていませんし、赤ちゃんだった自分自身も記憶は無いけれど、めっちゃくちゃ頑張ったんだと思います。
でも、それ以上に母も頑張ってくれたんだと思います。
昨年、あるタイミングで「妊娠・出産」について勉強をすることがありました。
男性の私には、身近な話題ではなく、今まで知識はほとんど無いに等しかったのだと反省をしました。
男女平等やフェミニズム、といったことではなく、もっと基本的な知識が自分には不足していたんだと反省をしました。
いかに、「妊娠・出産」がリスクのあることで、命懸けのことなのか。
怖いことで、勇気のいることで、それでいてデリケートなことなのか。
私自身は、知識でしかわかりませんが、少しだけわかりました。
そんなこともあり、私が生まれたことで「母」となった「母親」に、何か「ありがとう」を伝えたいなと純粋に思いました。
厳密には、実家が離れているのでプレゼントとメッセージを送っただけなのですが。。。
〜あとどれだけ親孝行できるかわからない〜
2つ目は「あとどれだけ親孝行できるかわからない」と意識し始めたことです。
幸い、私の両親は特に病気を抱えているわけでもなく、至って元気です。
でも、昨年から続くコロナで、ついこの間まで元気だった人が、急に亡くなるケースをニュースで見ます。
コロナでなくても、精神的な理由や、事故などの理由で、急に亡くなることもあるかもしれません。
それは、自分に置き換えてみても、可能性があります。
「親孝行は親が生きているうちにしか出来ない」という言葉の意味が少しわかったような気がします。
あとは、単純に自分自身に少し余裕が出てきたのも大きいと思います。
コーヒーメーカーをプレゼントしたのですが、父と母でゆっくりとしたブレイクタイムを過ごしてくれたらと思います。
あまり良い人ぶりたくないのですが、ちょっと良い大人になったのかもしれません。(笑)
今日の記事は、フクコトバは全然関係ありませんし、
ファッションもビジネスも関係ありません。
ただ自分自身が忘れないように、書き留めたいと思い、この場をお借りしました。